第7話 熊本くんとわたし⑦
夢というのは不思議だ。現実感がないのに、実際の出来事のように体は反応する。
「わたしはそういうことをいいたいんじゃない」
まつりは机に座った。わたしも椅子に腰を下ろした。
「わたしたちは結局のところ、ある決められたレールの上から出ることは不可能だってこと。くだらない男がつまらない女を着床させて。ああ、共同作業かな、で、わたしという存在がこの世に顔を出す。わたしたちは世の中の流行っているモードに合わすことしかできない。あるいはモードから外れるというスタイルをとることしかできない」
ああ、これはまつりじゃない。わたしは思った。まつりはこんな抽象的で、無意味なことを口にしたりしない。たしかに彼女は意地が悪く、この世を呪っていたし、兄の女たちを憎んでもいたけれど、この女は、まつりじゃない。
「まさかあんた、死人がなにかメッセージを伝えたくて夢に出てきた、とか思ったりしないよね。そんな生きてるやつに都合のいい解釈してないでしょうね」
この、まつりみたいな女は意地の悪い、でも魅力的な微笑みを浮かべる。
結局、この女はなにをいいたいんだろうか、とわたしは思った。夢の中だというのに、だるく、眠い。
「だから、素直になりなよ」
だから、と接続されるにはずいぶん飛んだなあ、こいつ空っぽだな、
「おやすみ」
目が覚めた。まだ夢の延長にいるようだ。スマートフォンを手に取り、時計を見ると、昼過ぎだった。熊本くんからラインがきていた。
『欲望という名の電車、渋谷でかかるらしいから行こうよ』
わたしは水を一杯飲み、テーブルの上にある紙袋を取り出した。パッケージのモデルと目があう。そのままディスクを取り出し、パソコンのなかに入れた。
『いまやってるの?』
わたしは返信した。
画面にソファーに座っている熊本くんがあらわれた。じゃあ名前とプロフィールを教えてください。タカハシタクミ、身長は百七十九センチで体重は七十二キロです。年齢は? 二十です。
笑えた。タカハシタクミ。高橋一生と斎藤工を割った芸名なんだ。年を微妙にごまかしている。
スポーツはなにやってるの? 水球をしてます。え、それ部活? そうです。そうなんだ、ガチなんだ。ガチですねえ。じゃちょっと脱いでもらっていいかなあ。すげえガタイいいじゃない。胸とか、動かせる? あー、こんな感じですかね。おお、すげえな、じゃあもう毎日トレーニングとか。ああ、はい、そうです。
『行く。何時にどこ?』
単刀直入に聞くんだけど、タクミくんってセックス好き? はい、結構、いやかなり。え、彼女いんの? ああ、いますね。付き合ってどんくらい? 半年くらいですかね。彼女に内緒でこんなの出ちゃって。まあ、そうですね。彼女とは週にどんくらいやってんの。部活忙しくてあんまり会っていないです。そうなんだ、じゃ溜まってるでしょ。はい。そうだよねえ、だったら今日はね、気持ち良くなってもらって。はい。
『文化村のほうだから、六時半に東急の本店とかで』
『りょ』
ペンギンが敬礼しているスタンプが送られてきた。
わたしは、映像を流しっぱなしにしながら、インスタントコーヒーを飲んで、食パンを焼いた。
喘ぎ声が熊本くんの口からあがりだしたとき、少しヴォリュームを下げた。サングラスをした男に、熊本くんは乳首を舐められ、下着のなかに手を入れられている。
彼女とか、こういうことしてくれるんの? いや、ないです、そんな。彼女の名前なんていうの。まつりです。まつりちゃん? 変な名前だね。
わたしは、止まった。わたしの時間だけ止まっているのが、体をよじらせて悶え続けている熊本くんでわかった。
下着から熊本くんの性器を男は出し、こんなに器用に動かせるのかと思うくらいに、手を使う。そのうち男は顔を埋め、呑み込んだ。熊本くんは目をつむり、体を小刻みに震わせ続けている。モザイクはかかっているのだけれど、部分が見えるように男は頭を大きく動かしながら、一定のリズムで熊本くんを刺激させつづけている。熊本くんの大きな体についているそれは、それ自体がとてもしっかりした存在感を持っていた。
さっき熊本くんの口からでた名前のことばかりが気になっていた。まつり、なんてよくある名前ではない。タカハシタクミは彼女に内緒でビデオに出ている。体育会系の水球部に所属していて、たまにしか彼女と会うことはない。
熊本くんとタカハシタクミは同一人物だ。本名は熊本祥介で、二十一で、身長と体重は、わたしはよく知らない。読書が趣味というつまらないプロフィールをひとにはいい、二十四時間営業のジムで修行僧のごとくストイックに、深夜トレーニングしている。滋賀県出身で、大学ではわたしとあまり関わりない男友達が何人かいる。女友達はわたしだけ。たまに料理を作って、わたしにご馳走してくれる。彼女がいるのか、それともゲイなのか、わたしは、知らない。
あ、でそうです。
熊本くんのことを、わたしはなにも知らなかった。
まつりのことも、知らなかった。
いいよ、出して。はい。いつも彼女とやってるとき、なんていってるの。まつり、出るよ。
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