第57話 熊本くんの小説37『夜空を切り裂く流星みたく』

『夜空を切り裂く流星みたく』 作 熊本祥介


 流れ星を見たことがない。だから、願い事を三回唱えたこともない。そもそも、流れ星を見たとき、とっさにそんな行動ができるのだろうか。

 自分の願い事、とはなんなんだろう。新しいスニーカーが欲しいわけでもなく、なりたい職業もとくにない。作家になれますように、と願えばいいのか。もちろんなれるものならばなりたいのだけれど、そういうことではなく、もっと大きな、決して叶うことのないようなことを託すほうが、星には似合う気がする。

 世界平和とか?

 しかし、もう、星を見ることはない。

 暗闇を、光が通り過ぎるのを待っている。


「ねえ、気づいてる? ていうか、意識的なの?」

 僕たちは再来週行われる予定の、学科の忘年会で披露する予定であるカラオケを練習するために、ここにいる。

 仲の良い女友達、みのりちゃんは十八番のmiwaを二曲歌いきり、「これならいけるな」といって、タブレットを僕によこして呑気に寛いでいる。

「熊本くん、自分のこと『僕』っていってるよ」

 そういって不思議そうに、僕の顔を覗き込んだ。

「実は、二十歳になったんで、いいかた変えようと思って」

 僕はてきとうな返事をした。昼間のカラオケボックス、隣から聞こえてくるおそろしくファンクな『Sweet Memories』。ここまで感情を乗せて歌われると、なにがあったのだろうかと心配になる。

「え? ちょっと待って。二十歳? なったの?」

「なったねえ」

 僕はタブレットを操作し、曲を送信した。

「なんでいわなかったのよ!」

「いや、それどころじゃなかったんだってば」

 二十歳の誕生日って、大変なもんでしょう? お祝いを……。曲が始まった。くるりの『ロックンロール・ハネムーン』だ。僕はみのりちゃんを無視して歌う。

 カラオケの帰り道、ねえ、なんかプレゼントしようか、なにか欲しいものないの? とみのりちゃんは何度も訊いてきた。

「強いていえば、谷崎潤一郎全集全二十八巻かな」

「いちおう訊くけどいくらすんの」

「けっこうお値段ですよねえ、多分」

「お金ないから二千円以下にしてよ」

 みのりちゃんにとって、年をとる、ということは重要なのだ。友達が記念すべき成人に達した。いくつまで、年をとることはめでたいと感じるものなんだろうか。ほんとうにめでたいのか。ポケットでアイフォンが震えた。非通知からの電話だった。

「もしもし」

 なにも声は聞こえない。しばらくそのままでいた。一分が経過したので、電話を切った。

「なんかあった?」

 みのりちゃんが訊いた。

「あっちの電波が悪かったみたいでうまく聞き取れなかった。多分またかかってくるよ」

「友達?」

「たぶん、知り合いの奥さん」

 みのりちゃんは、興味なさそうに軽く頷いて、コンビニ寄っていい? といった。


 

 公園の便所に、張り紙があるのを見つけた。

『十一月八日、ここで男子高校生が暴行を受ける事件が起こりました。現在警察が事件を捜索中です。』

 続いて連絡先が書かれていた。被害者はどうなったのか、までは書かれていない。

 暴行を受けたのはマサトくんに違いない。マサトくんは、深夜にこの公園をよくうろついており、そして寄ってくる男たちに体を弄ばれていた。僕も何度か、関係があった。人当たりのよい、明るい子だった。

 最後に会ったのはいつか。ランニングをしているとき、数人の男たちは寄ってたかって彼に群がっていた。男たちに撫でられ舐められながら、僕と目があうと、笑いかけてきた。俺はそのままランニングを続けた。あれは先月だったろうか。そうだ、それからしばらくしてからも、会った。そのときはマサトくんは一人だった。そして、こんな話をした。

「二丁目で中学のときの教師とばったり会っちゃったんすよ」

 俺たちはお互い、精液を公衆便所の壁に飛ばした後で落ち着きを取り戻し、ランニングコースをゆっくり歩いていた。

 マサトくんはこの公園をうろつく以外にも、アグレッシブにさまざまな場所に赴いている。

「それは、すごいね」

「いやあ、しかもあれですよ、体育教師。つってもタイプじゃないんすけどね。なんつーか、あんまフレンドリーな先生じゃないんすよ。噂によると子供が赤ん坊のときに死んじゃって、家庭内不和ってやつですか、最悪らしくって、学校にいても眉間こうシワ寄せてるとこしか見たことないんすよね」

 マサトくんはモノマネらしく、顔をしかめて見せた。

 中学の体育教師で、子供が死んだ。俺は懐かしい人を思い出す。しかし、顔がうまくイメージできない。こうやって、どんどん過去は脳の奥へ追いやられていく。

「そいつ、有料ハッテン場に入っていったんすよ。なか薄暗すぎて、顔もあんまよく見えない感じのとこなんすけど。やべえ、こりゃ追いかけるしかねえ、って思って俺も入ったんすけど」

「よく入れたね」

「あ、そこ三十代までしか入れないんで」

「じゃなくて、十八禁のとこじゃないの」

「あー、そこんとこは別に止められなかったっすね」

 そしてマサトくんは後を追った。

「お兄さんはあんまそゆとこ行かないかんじですか」

「そうだね」

「まあ、金払わなくてもやれますもんね、お兄さんなら」

 薄暗闇のなかで、下着一枚の男たちが数人、壁際に立っていた。マサトくんは先生を探したが見つからなかった。男たちがさりげなくマサトくんに触れてモーションをかけたが、マサトくんが探していたのはただ一人だし、そもそもタイプでない連中(腹に脂肪がついているやつなど、ただのもっさりした生き物にしか見えないという)ばかりだった。奥のほうへ向かうと、そこに教師はいた。だがすでに、たぶんその場にいるなかで一番上等らしき男とまっ最中だった。雑に床に敷かれた布団の上で、二人はからだをくっつけていた。

「せっかくここまできて見つけたっていうのになんもできなかったら代金もったいないじゃないすか、だから」

 果敢にもマサトくんは二人に割り込んで参戦した。何人かの男たちが、それを眺めていた。誰かに見られながらの性交と、かつて教わった教師のペニスを口に含んでいることに、マサトくんは「これまでなかった」くらいに興奮をした。

「あいつタチだったみたいで、俺ともう一人を交互にハメまくって、さっさと俺らにぶっぱなしやがったんすよ。で、ちょっと俺もイキたいし、と思ってたのに、出すだけ出してさっさと出て行きやがって」

 不完全燃焼ですよマジで。お前タチで先公のくせにカザカミにもおけねーなこの野郎、って。

「で、どうしたの」

「しょうがないから残された二人で舐めっこしました」

 それぞれ出すだけ出したあと、冷静になった二人はシャワーを浴びながら会話をしたという。彼は、教師と前にもここでしたことがあるといった。ガタイがいいので教師はモテるらしい。だいたいすぐに相手を見つけ、やるだけやってさっさと帰っていく。界隈ではその逞しい身体もあり、けっこうな有名人らしい。あいつとやれた、と友人間で話題にのぼったこともある。イベントなどでも見かけたことがあるという。

 マサトくんはその話を聞いて、あいつうちの学校の教師だよ、といいたいのをなんとかこらえた。武士の情けというやつだ。ご立派なナニに免じて。

「いま俺高等部だしあんま会う機会ないんすけど、たまーに見かけるたんびに、そんな小難しいツラしといてお前隠れゲイの早漏野郎じゃねーかって思ってニヤニヤしてます」

 マサトくんは、ね、これ面白くないすか、と俺に笑いかけた。俺は、うまく笑えなかった。

 マサトくんに、どこの高校なのか、その先生の名前は? と訊くことはできなかった。それはマナー違反だし、名前を聞いてしまったとき、どうしたらいいかわからなかったからだった。


 崎谷に出来上がったDVDを渡された。

「ずいぶんといじってるね」

 パッケージを見て、俺はいった。

「限りなく自然に、加工されてるな」

 雑誌の表紙になったときと同様に、自分とは思えなかった。

 撮影は二ヶ月前に、三日に渡って行われた。カメラの前、スタッフのいる中で、崎谷との行為をおこなう。気分の浮き沈みと集中のできなさがその時間のあいだ何度もあった。崎谷はプロフェッショナルだった。決して萎えることがなかった。

 逆に自分がタチ役となったとき、思い知らされた。何度か萎え、そのたびに撮影は中断された。カメラのアングル切り替えでうまく編集されるから大丈夫だ、とアキくんはいった。撮影は、アキくんも参加し、俺が掘ることになった。それまでいっさい、自分も出演するとアキくんはいわなかった。「サプライズのほうが盛り上がるでしょ」と彼はいった。

「タクミくんとはいつかやっちゃうことになるだろうなって思ってたけど、まさかこんなとこでとはねえ」

 そういってアキくんは俺の首に肩を回した。

「3Pの相手も俺と崎谷だし、緊張しないでいいでしょ」

 めちゃ楽しみなんだけど、とあのときアキくんは囁いた。

「お前、ノンケって設定だけど、やっぱり改めてみりゃいかにもっていうかまんまだよなあ」

 崎谷は俺の手にしているDVDのパッケージを覗き込み、いった。

「そもそも仲通りを普通に歩いてるしね」

「一種のファンタジーを売ってるんだから、別にだれも文句いわないだろ」

 ノンケのくせしてなんでもできる、とかって、そそるじゃないか。崎谷はタバコに火をつけた。

「お前も一躍有名人てことだ。バーにでも行ってみろ。スケベな客におごってもらえるぞ。もしくは羨望の混じった視線を浴びる。なかなか光栄なことだよ」

「あんたとアキくんはよく出てるんだね」

「あいつもめちゃくちゃなやつだからな」

 めちゃくちゃ。

「あのアドリブも良かった。彼女の名前が嘘くさいかな、とも思えたが、そのくらいの按配がちょうどいいかもな」

「あの名前は、ほんとうにそういう子がいたんだ」

「へえ、同級生かなにかか」

「知り合いだよ」

 俺たちはベッドに寝転がりながら話していた。とくになにかが変わったということもなかった。こうなったのは、あらかじめ決められていたことのひとつだったのではないか、と思えた。結局予定調和でしかなかったのかもしれない。

 自分がこの世に残せるものは、このディスクのなかに入っている痴態しかない。そう考えると、笑えた。

「なんだよ、変な顔をして」

「ウケるなあと思ってね」

「ウケてるやつの顔じゃないぞ」

 なあ、と崎谷はいった。

「俺のことを恨んでいるか?」

 そういわれ、俺は崎谷のほうを向いた。崎谷は年相応の疲れた表情をしていた。

「なんで?」

「憎んでみろよ」

 そういって俺の腹を撫でた。

「俺は幼児みたいなもんなんだ。気に入っているのに嫌いだといったり、大切なものを壊したくなったり」

「面倒臭い人だね」

「すまんな」

 来週のイベント、俺も行くから、といった。俺がGOGOとしてステージに上がることになっている。

「そばにいるときより、遠くでお前を見ているときのほうが、ずっと近くに感じるのはなんなんだろうな」

 そういって、崎谷は俺に身体を寄せた。


 今日が人生最後の日というやつか。

 衣装合わせをしながら、俺は考えていた。衣装、といってもきわどいものばかりだ。

 何度か踊りの練習をしたが、正直まったく覚えていない。

「大丈夫だって、もう出たらノリでしかないし。なにやったって客は喜ぶんだからさ」

 隣でアキくんは鏡を見たままいった。

「それよりめちゃくちゃタクミくん話題だよ。俺が最初にビデオ出たときより反響すげえから、ムカついた。ツイッターでタクミくんのことエゴサしてるもん、なぜか俺が」

 ツイッターだとキモいやつが凸ってくるから、インスタとかどう? 毎回会うたびにSNSをやるべきだと、アキくんは力説する。俺たちみたいな商売は、自己発信が重要なんだからさ。

 自分のいましていることを、商売と思ったことがなかったので、そのアキくんのプロ意識には驚かされる。

「そうだね、やってみようか」

「どうしたの急に」

 やれというから答えたのに、意外、とアキくんはいった。

「そういうの絶対しなさそうだったのに」

「今日が終わったら、考えてもいいかなあ、と思ってさ」

 今日、死ななければ。

 まもなく、イベントが始まる。

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