第20話 まつりとわたし10
「食ってるときスマホいじんなよ」
「うん」
生返事をして、わたしは読み続けた。
国道沿い、山道にある定食屋だった。川魚のてんぷらの味を感じることなくわたしは読みふけった。スマートフォンの画面の小ささが煩わしかった。
まだ途中までしか読んでいなかったけれど、あの熊本くんが書いたものなのだろうか。
彼の内面をわたしは垣間見ているのだろうか。
すべて読んでから、ラインをしよう。でも、感想をいうことができるのか。
少し頭を冷やさなくてはいけない。
岡山駅に着いた。
「今日はありがとうね」
車を降りて、壮太郎に声をかけた。
「ああ」
それだけだった。別れ際、この人はいつだってひねた子供のようになる。またね、とはいわないでおこう、とわたしがドアを閉めようとしたとき、遠くから大きな声で、
「ああ、やっぱり!」
という声がした。振り向くと、壮太郎の妻、モリヤさんが駆け寄ってきた。全身をブランドで武装している。そして高いヒールを履いているせいで、威圧的だ。
「ごめんなさいねえ、仕事で、せっかくのお墓まいりだっていうのに!」
なにが「せっかく」なのか。呆れたが、人の感想など吹き飛ばすほどの勢いがあった。
「駅に着いたときにおうちに電話したら、楠音さんが、待っていればもう少しでここにくるっておっしゃって」
わたしはぞっとした。あの女が、わたしたちがここで別れることを知っていることに。そして、壮太郎とモリヤさんが、とくに驚いていないことに。
「みのりさん、よね? 壮太郎のお守りしてくれてありがとうございます」
モリヤさんはわたしに微笑む。
「いつも遊んでくださってるんでしょう?」
わたしは硬直した。笑顔をつくろうことができない。
「……ひさしぶりにお会いしたんです」
わたしはぎこちなく答えた。心の中で、この返事は正解なんだろうか、と怯えながら。
「いいのよ、隠さないで。わたし忙しいから、うちの人と遊んでやってください」
この人の目は、嫌だ。わたしは見つめ合った瞬間、不愉快になった。
「いえ、そんなこと……」
「前世で大変だったんでしょう?」
「前世?」
突然なにをいいだしたんだこいつ。
「前世でねえ、血の濃い子供を妊娠して、しかも堕胎してしまって、何重にも罪を背負ってしまったのよね、中世の頃に。お義母さまがおっしゃっていたわ。まつりちゃんのお友達だから、絶対にカルマから逃してあげなくてはいけないっておっしゃっていたわよ。まつりちゃんだってきっと……」
「ねえ、なにをいってるのこの人!」
わたしは車にいる壮太郎に向かって怒鳴った。
「おちつけ」
「おちつけるわけないだろ、なんなんだよこの女!」
道行くひとたちがわたしたちを見ている。カルマ? 罪? 馬鹿らしい。それは中世で起こったことでも前世のことでもない。わたしが中学生の頃に……。
車から壮太郎が出てきた。
「もう車に乗れよ」
壮太郎がモリヤさんの肩を掴んだ。
「あら、ぜんぶ知ってるんじゃなかったの? お義母さまは……」
いいわけを続けられても、まったく、耳に入ってこない。こういう女のいいわけは、謝罪でなく自己正当化だ。聞きたくなかった。
壮太郎に車に入れとひっぱられながら、モリヤさんは、「ああ、これをね渡さなくちゃと思ってね、これ!」とわたしの手に封筒を握らせた。
去っていく車が見えなくなってから、封筒をひらくと、一万円札が十枚入っていた。
新幹線の座席に座り、スマホを開いた。熊本くんに会いたい。カバンのなかに入っている大金を駅のゴミ箱に投げ捨てるほど、わたしは怒り狂っていないのかもしれない。このお金を送り返さなくてはいけない。でも、こんなこと熊本くんに相談できない。
とにかく、熊本くんと話したい。なんでもないことを話したい。
ラインをひらくと、ゼミのグループメッセージが溜まっていた。
『祥介、大学やめたってよ』『まじ?』『それどこ情報?』『みのりちゃんマジ?』
くだらないスタンプと、ゼミ仲間たちの答えを求めていないようなつぶやき。熊本くんのラインは、『メンバーがいません』とあった。
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