第27話 熊本くんの小説⑦
「先生! 先生!」
その人を見つけたときの父のはしゃぎ方ぶりは、見たこともないものだった。
「おひさしぶりです!」
先生と呼ばれる人の前に走ってやってきて、輪のなかにむりやり割り込んでいった。
「ああ、フジワラくん、久し振りだねえ」
先生呼ばれる男は、父を旧姓で呼んだ。おだやかな返事を受けてからのい父のはしゃぎぶりが、恐ろしかった。
「息子です」
と僕を紹介し、手で頭をぐいと下げさせた。
「はじめまして」
僕は顔をあげて、先生をしっかりと、見た。白髪頭をオールバックにしている、恰幅のいい男だった。目が合っても、その人はまったく自分のことを見ていない。僕の背後を見ているように感じた。
「長旅ごくろうさまでした。ジュースとお菓子があるから、好きなだけ食べなさい」
先生は、輪のなかにいた誰かに声をかけられ、去っていった。
先生の屋敷は、まるで戦国武将の住処のようだ。大河ドラマの世界に紛れ込んでしまったような錯覚を起こす。先生からお話がある、といって人々は広間のほうに向かった。
「小さい子たちはお菓子のある部屋にしばらくいてね」
そういって、女の人が僕に声をかけた。見知らぬ子供たちが集まっている部屋。そんな面倒臭そうなところに行きたくもなかった。かといって大人たちといっしょに「ありがたいお話」を聞く気にもなれない。
「あなた、フジワラさんの息子さんよね」
黒い着物姿の女は、僕をまじまじと見た。こんな見方をされたことは一度もなかった。まるでなにもかも透けて見えているのではないか、と思わせる。衣服のなか、いや、肉や骨の奥まで覗き込むような目だった。僕は恐ろしくなり、体が震えだした。
「フジワラさんたちご兄弟はね、あるとき突然やってこられたの。たしか、北海道がご出身よね。先生の書かれた本にたいへんな感銘を受けられたそうで。今でも思い出すわ、あの人たちの真剣な顔を」
父が北海道出身だと知らなかった。この目つきが異様にするどい女に告げられ、僕は混乱した。
「彼らは自分たちだけが幸福であるためになら、なんだってする人たちね。その野心には見込みがある。でも、外ばかりを見つめすぎている。だから、中身が渇ききっている。いえ、それどころか、火がついてしまっている。いずれ焼き尽くして、外の世界まで燃やしてしまうことになるかもしれない」
なにをいっているんだかさっぱりわからなかった。やはり、ここはシューキョーなのかもしれない。
「あなたはこれから、二つに分裂するでしょう。そして、選択することになるわ。どちらを選ぶかで、人生が決まる。誕生日はいつ?」
「十一月二十五日、です」
「三島由紀夫が割腹した日ね」
面白いわ。女は笑った。笑い方に品がなく、バカにしているのか下品なのかわかりかねた。三島由紀夫なんて人、知らなかった。
「頭でなく、身体を使いなさい。頭だけで考えていると、ただの器用な人間になり、他人に支配されるしかない。身体の感覚を大事にしなさい。いま、あなたの体は、どう感じているの?」
「どうって……」
「わたしは怖い?」
「はい」
僕は、素直に答えた。それしかいえなかったからだった。
「どんな風に?」
「あなたは、なにものなんですか?」
何者、なんて語彙が自分のなかにあったことに、驚いた。
「わたしはね、神様よ」
女はそういって、口元を歪めた。あっけにとらえている僕がおかしいらしい、ふふふ、と女は口から声を出す。その声は、メジロのおばちゃんの旦那さんの息くらいに、遠い場所から聞こえてきた気がする。
「二つ、あなたに贈り物をあげましょう。一つ目は、あなたに親友ができるでしょう。あなたのことが大好きで、あなたのことを一番わかってくれる存在よ。少し頭は悪いけれど、助けてくれる。身代わりにもなる。そしてもう一つ、あなたは二十歳になるまでに死ぬかもしれない」
なにをいってるんだこいつ。死ぬ?
「あなたの人生は凝縮されていく。普通の人間が寿命をかけて登る階段を、何段も飛ばしながら進む。誕生日までに、あなたはなにか見つけるかもしれない。死ななかったら、そういうこと。そしてあなたは、あなたが求めているものを手にするでしょうね。もしかしたらそれからが、あなたの本当の人生になるのかもしれない。生きていれば、ね」
僕はさっぱりわからなかった。というよりも、頭も身体も、この女の言葉を拒絶していた。「わたしのことを、頭がおかしい女だと思っているでしょう?」
女は歩き出した。僕はぼうっとしてしまっており、ついていくのがやっとだった。
「そう、わたしは頭がおかしいの。でもね、あなたももう、おかしな世界にいるのよ」
ぎしぎしと、床が鳴る。
「わたしはね、面白いのよ。人間が、欲だの人情だの、正義だとか悪だとか、そういうことにあくせくしているのが、本当に、楽しいの。結局のところ、波動でしかないっていうのに、なんでみんな、大それたことを考えるのかしらねえ」
独り言をいいながら、女は進む。無限に続くように、長い廊下。
「あなたと同じ宿命を背負った面白い子が、一人いるのよ」
女がいきなり立ち止まる。僕は止まることができず、女にぶつかった。
「きっと素晴らしい出会いになるわ」
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