第28話 熊本くんの小説⑧
電気のついていない薄暗い部屋に、女の子がひとり、ソファーに寝転がっている。
「どうぞごゆっくり。わたしがくるまで、絶対にでちゃだめよ」
そういって、女は障子をしめた。僕はどうしたらいいのかわからず、突っ立っていた。
女の子におそるおそる近づいてみる。女の子は、眠っているようだった。長い髪、白い肌、そしてワンピースから突き出た細く長い手足。ワンピースの裾がめくれてしまっており、腿がきわどいあたりまであらわになっている。
いづらい。
僕は畳に座り込んだ。テーブルにはジュースも菓子もない。ソファーの下に、文庫本が落ちていた。拾ってみると、それはさっき新幹線で読んでいたものと同じだった。出版社が違う。黒い背表紙の文庫をひらき、読みかけていた箇所を探した。このまましばらく大人がやってくるまで待っていなくてはならないなら、せめてこの話を読み切ってしまおうと思った。
弟の遺書の部分を読んでいるとき、
「誰、あんた?」
声がした。驚いてソファーのほうを振り向くと、同じ体勢のまま、女の子は僕を睨んでいる。
「あの、女の人が、ここで待ってろって」
なんとか返事をすると、
「まさか、あいつ?」といって余計に女の子は厳しい目つきをした。
「黒い着物の……」
今日大人たちは全員黒い、というのに、あの女の印象を伝えるのに、そこしか残っていない。なんとか別のことを伝えなければ、と思って出た言葉は、
「へんなおばさん」だった。
女の子は、突然笑い出した。
「あんた、なかなかセンスいいね」
そうだよね、へんだよね、マジでやばいよね。そういって女の子は起き上がった。めくれたワンピースを直そうとはせず、ソファの背もたれにからだを沈めた。
「なに、お別れ会にきたの?」
彼女は腕を組み、足を交差させた。
「お父さんがきたんで」
「いま何時? 講話の最中?」
「わかんないけど」
「悪さでもした?」
女の子は僕を値踏みするように、眺めた。
「悪さ?」
「わたしね、お別れ会のときに、黒い服着せられそうになって、それが嫌でね、ママはこの服が好きだったから、絶対にこれを着たいってきかなかったのよ。そうしたら、反省しろって、あいつに閉じ込められた」
女の子はいった。閉じ込められる、といっても、襖と障子で囲まれているだけなんだから、いくらでも出ることはできるんじゃないだろうか、と僕は思った。
「わたしじゃ開かないようになっているのよ」
僕がなにを考えているのか、見透かしたのだろうか。女の子は、そういって再びソファに横になる。
「四十九日で、もうママとお別れになるかもしれないから、一番わたしが似合う服を着たかっただけなのに」
「それは、悪くないよ」
僕はいった。なにが悪いんだろう。もし母が死んでしまって、お別れをしなくてはならないときに、一番かっこいい格好をしないで、どんな服を着ろというんだ。
「いいやつだね」
女の子はいった。
「それ、面白い?」
僕は文庫本を持ったままだった。
「さっき、ここにくるまで読んでたのと同じやつだったから、ごめん」
僕は文庫を彼女に手渡した。
「面白いかって訊いてんの」
「面白いと、思う」
「そう。お兄ちゃんが読んでたから、面白いかなって借りてみたんだけど、なんかさっぱり頭に入ってこなくてさ、寝ちゃった」
女の子は文庫本を机に放り投げた。
「ゲンジツのほうがとんでもないのに、本なんか読めないわ」
現実、という言葉が、あまりにも意味なく響いたので、僕は少し考え込んでしまった。
「ねえ、あんたなら、そこの障子あけられるよね」
女の子はいった。
早く、と急かされ、僕は障子をあけた。日の光が部屋に差し込まれる。なんの力もいらなかった。
「あんた、なんて名前?」
「祥介」
「そう、あんたにいいもの見せてあげるよ」
そういって彼女は立ち上がり、部屋を出た。名前を訊いたんだから、自分の名前も名乗るものではないのか、と思いながら、僕も立ち上がった。さっきあの女の人は、「でちゃだめ」っていっていた。
右に曲がったり、左に曲がったり、自力ではさっきの部屋に戻ることはできそうもない。僕は冷や汗を掻きながら、彼女の後をついていった。
「ここよ」
彼女は障子をあけ、部屋に入っていく。
その部屋には、たくさんのコミック雑誌や脱ぎ散らかした衣服が転がっていて、足の踏み場がなかった。彼女は足でものを蹴散らしながらすすんだ。僕は足を踏み入れたとき、空のペットボトルを蹴った。誰かの部屋らしい。和室独特の香りと、汗臭い臭いが混ざっており、空気は湿っていた。
彼女は壁と本棚のあいだに手を入れ、なにかを探そうとしていた。
「なにやってんの?」
「ちょっと待って」
左手を顔に近づけ、人差し指でしーっというジェスチャーをした。
「あった」
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