第17話 まつりとわたし⑦

「うちの父さん、力なんてないのよ」

 まつりの家に泊まったとき、まつりはさらりと秘密を暴露した。わたしたちは布団をかぶり、プリングルスとファンタ、という深夜に食べてはいけない禁断のおやつをちびちびとつまんでいた。

「お父さんにすごい霊力があって、信者のみなさまが地獄になんていかないように日々祈ってるっていわれてるけどさ」

「その説明、とんでもないな」

 笑うに笑えない。でもなんとか茶化していった。

「あの女がすごいんだよ。あいつ、妖怪なんじゃないかなって思ってる」

 わたしの耳にまつりは顔を寄せ、小声で言った。

「しかもさ、おそろしいことに、おにいちゃんの童貞を奪ったんだよあの女」

「はあ?」

 さすがに驚いて、わたしは声を張り上げた。壮太郎……、当時はまつりのお兄ちゃん、とだけしか認識していなかったその人は、まつりと三つ年が離れていて、ちょうど大学生になったばかりだった。

 ときどき高校の前まで、車でやってきて、まつりを乗せて去っていった。

 神経質そうで着ている服が野暮ったい。でももてそう。つまり余裕のあるタイプにわたしには映っていた。

「なんでそれ知ってんの」

「見た」

 がばりとわたしは布団から起き上がった。まつりの表情は真剣だった。

「あの女はお兄ちゃんにべたべたしててさ。わたしはずっと警戒してたのよ。お兄ちゃんがとって食われるって思ってた。小学生だったとき、お兄ちゃんは中学生ね、夜にトイレに行こうとしたとき、お兄ちゃんの部屋から……」

「うわあ、やめてやめて!」

 といいながらもあまりの漫画的、というかどうしようもなくベタな展開の続きを知りたくてたまらなくて、どうしたらいいのかわからなかった。

「お兄ちゃん、妹がそのことを知ってるって……」

「うすうす感づいてるんじゃない? 一時期わたし、お兄ちゃんたちのアレを覗くのにハマっててて、毎晩障子の外で聞いてたし、隙間があろうものなら覗いたし」

「よくやるよ」

 呆れた、というよりその度胸に尊敬の念すら抱いた。

「なんだろうな、学んだんだよな、あれを見ていて」

「なにを学んだっていうの」

「人間てまぬけだなって」

 その話を聞いた翌日、帰り際にまつりの家族が見送ってくれた。霊能者とよばれているお父さんは総白髪で、お父さんというよりおじいさんに見えた。その横に、若いが色気のない女に、まつりと壮太郎。

 奇妙に歪んだ家族。わたしは少しだけ早足になって、外に出た。


「じゃあ、いってらっしゃいね」

 そういって楠音さんはわたしたちを見送った。

「どうもありがとうございます」

 出された朝食があまり喉に通らなかった。

「みのりさん」

「はい」

 さっさと出て行こうとしたところで、いきなり声をかけられ慌てた。

「なんですか」

「あなた、気をつけたほうがいいわよ」

 わたしは、ぞっとした。

「おい、やめろよ」

 壮太郎はいつになく荒い口調で咎めた。

「あら、ごめんなさいね」

 まったく謝っているようには見えない。余計にわたしは混乱した。

「なにか、ありましたか」

 そういって、まずいと思った。相手のテリトリーに入ってしまった。

「絶対に、信用ならないやつのペースに乗っちゃダメなの。そうなった瞬間に取り込まれる。他人の抱えているファンタジーに飲み込まれるの」

 かつて、まつりが話していたことを思い出す。

「まつりちゃんも心配しているわよ」

「マジでやめてくんないかな」

 壮太郎が怒鳴った。

 これはきっと、呪いだ。

「見えたんですか、なにか」

 わたしは訊ねた。取り込まれてしまったならば、もう突き進むしかない。女は口元をほころばせたが、そこにはなんの意味も読み取ることができなかった。そのとき、気づいた。わたしもまた、わたしのファンタジーのなかで生きている、と。これは、パワーゲームだ。対峙している女は、負けるつもりがない。

「実はね、昨日、まつりちゃんが夢にでてきたのよ」

 楠音さんはいった。機械的な口調。

「あの子はたくさん涙を流していた。自殺なんてしてしまったことを後悔しているのかしらって思った。やってしまったことを後悔していてはダメよ。それはあなたが決めたことなんだから。自殺したからって、もう生まれ変わることができないとか、地獄におちるなんて、そんなことはさせないわ。お父さまやわたしが絶対にあなたを極楽に、いえ、もう一度生まれなおさせてあげましょうって、抱きしめてあげたの。そうしたらね、小さな声でいうのよ」

「おい、行くぞ」

 壮太郎がわたしの腕を引っ張った。

「みのりちゃんに伝えてって。よんじゃダメよ、って」

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