第18話 まつりとわたし⑧

 なにをよんではいけないのか。よぶ? たしかにあの女はそういった。

 壮太郎は不機嫌に車を運転していた。続きを聞くことができないまま、わたしはあの家を去った。

「悪いことしたな」

 しばらくしてから壮太郎がいった。

「別に、大丈夫」

「ひどい顔をしている」

 そうだろうな、と思った。いまひどい顔をしていなかったらいつするんだ。誰かが死んだときか。

 言葉は傷口をひろげ、内部にまで侵入してくる。浸透し、それまでの自分をがらりと変えてしまう。アップデートではない。悪意というウイルス。

 昨晩に見たまつりと、あの女の見たまつりは別物だ。それはわかっていた。あの女の世界から見た、まつり、を語っているにすぎない。しかし、それが間違いだと誰がいえるのだろう。

「着いたら起こしてもらっていい?」

 壮太郎の返事を待たずに、わたしは目をつむった。


 墓地は、まつりの家が所有している、山の上にあった。

「いつも思うけど、なんでこんなとこに作ったのよ……」

 しかもわたしたちは裸足だった。裸足で山に登らなくてはならない、というのが決まりだ。

「なんだかしらんが最初に始めた先祖がそういうふうにしたらしい」

 山をくだってくる人々がわたしたちに挨拶をして過ぎ去っていく。彼らもまた裸足だった。

 スマホを見ると圏外になっていた。


「お兄ちゃんはもう、とりこまれてしまったのよ」

 まつりはあるときいった。その頃、わたしは壮太郎と関係を持ったばかりだった。ちょうどよかったのだ。壮太郎もまた、妹の友達に手を出す、ということに躊躇しなかった。

 わたしはぞっとした。あのときのことを知っているの? と身構えた。そんなことはない。わたしは、ファミレスで声をかけられ、壮太郎の車でしばらくドライブをした。話したことはまつりのことばかりだった。まつりは自慢の妹だったらしく、学校での活躍を話すと、とても嬉しそうだった。

 そのとき、わたしは家に帰りたくなかった。壮太郎は、察したのかもしれない。わたしたちはシンデレラ城を小さく、そしておそろしくみずぼらしくさせたようなラブホテルに入った。

「人間ってまぬけだなって」

 とまつりにいわれるであろうことをした。わたしは自分が他人に身を任せることがうまくできないということを改めて確認することとなった。密閉された、やたらとカラフルな部屋のなかで、わたしは視線を感じていた。楠音さんがベッドのそばにあったソファに座り、わたしたちに「こうしなさい」とか「ああしなさい」と指導しているのではないか、と想像し身震いした。

「どういうこと?」

 わたしはまつりに訊いた。

「お兄ちゃんの結婚相手が決まった」

 まつりはいった。兄が結婚することに不満なただのブラコンの妹、にも見える。

「それは、おめでとう」

 ああ、これは婚約前に別の女とやりたかっただけだな、とんだクソ野郎だな、とわたしは思った。そのくらいでちょうどいいような気がした。高校生で、刹那的で、おそろしく世間知らずのわたしは、まるでこちらも割り切っていますよ、というふうにして、わけのわからない不安に蓋をした。

「あの女が決めたの」

 まつりは吐き捨てた。そこが気に入らないのだろう。

「わたしね、自分はあの家と血が繋がっていないのよ」

 兄貴の結婚よりもとんでもないことを、いきなりまつりはいった。

「なに? どういうこと?」

「わたし、お母さんが浮気した相手とできた子供じゃないかって」

「それ、本当なの?」

「確証はないけど」

 なんだ、ただの妄想か、とわたしは少し安心した。そして、わたしが日頃感じている家族に対してのわだかまりなど、この壮大な一族からしたらたいしたことない、と感じていた。あまりにとんでもない設定、ばかばかしいくらいに現実味がない。わたしの悩みなんてちっぽけだな、と思わせた。

「でも、真実だと思うんだよね」

 あまりに真剣な表情をしていたから、そうだね、と同意した。それしかできなかった。

 相手は出入りしている業者だと思う。その人はなんていうか、べつにこれといった特徴もない、よくいるおっさんなんだけど、わたしを見る目が、なんていうか、懐かしそうっていうか、すごく優しいんだよね。

 話すうちにまつりの顔が、熱を帯びていった。うんうんと頷きながら、壮太郎とのことをばれやしないかとわたしは怯えていた。

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