第40話 熊本くんの小説20
新幹線の車両は貸切状態になっている。富士山を通り過ぎるとき、車内は大騒ぎになり、水沢先生がみなを怒鳴りつけていた。
「みずっちのほうがうるせえじゃん」
隣に座っている滝本が、僕にトッポを差し出しながらいった。
「奥さん妊娠中なのに、俺らの世話とかしたくないでしょ」
奥さんの出産予定日を知ったとき、あるクラスメートが着床日を逆算した。「俺らが定期テストのときにあいつ嫁さんに中出ししたのかよ」と誰かがいい、「いや待て、てことはみずっちデキ婚なんじゃね?」などと噂しあった。
俺は一気に五本引き抜き、全部噛んだ。
「うわ、王様食いしやがった」
「全部くれるんじゃないの?」
俺は噛みながらいった。
「なに読んでんの」
滝本が訊ねた。
「『はましぎ』ってやつ」
「それハリー・ポッターとかコードギアスみたいな話?」
「似たようなもんだな」
「タイトルからしてちげえだろ」
滝本はお菓子を求めて立ち上がった。
「なあ、俺たちがやったってこと、油井にいっていい?」
週に数回、部活が終わると俺は篠崎の部屋でセックスをするようになった。さっきまで、「いろんなやつとやりたかったけど、竿は一本に絞ったほうがケツにフィットして快楽が増すのかもしれん」などといっていたところだった。今日は指で自分の尻をほぐされたこともあり、頭の芯まで火が通ったようになり、ぼんやりしながら篠崎の話を聞いていた。
「やだよ」
俺はいって、背を向けた。
「いまじゃない。タクミが高校生になったときにさ」
「なんで高校生」
「あいつは生粋のDK好きなんだ。ウリセンもオプションでボーイにブレザーの制服を着させてさ、そのままやるのが大好きらしい」
うちの学校の制服も、ブレザーだ。オプションの制服のネクタイは赤いのだろうか、パンツはグレーなんだろうか、神経質そうなお顔をした油井さんが、高校生に抱かれているところを想像した。さほど気分のいいものではなかった。
「どうしてそういうこと知ってんの?」
「世の中狭いからなあ」
といって篠崎は含み笑いをする。
「なあ、いいだろ?」
「別に構わないよ」
俺は答えた。どうでもよかった。それを油井さんに知られたところでなにがあるわけでもなかろう。
「お前さ、ケツに指つっこまれてるあいだもずっとビンビンだったな。素質あるよ」
そういって篠崎は、その日何度目かの行為を始めようと俺の胸を揉みだした。
「タッキーは?」
水沢先生が俺の座席横通路で訊いた。
「お菓子めぐんでもらいに行脚中です」
「移動すんなっていってんのに」
そういって水沢先生は僕の横に座った。
「先生も昔京都だったんですか?」
「そうだよ、ていうか修学旅行のしおりが昔のまんまで正直びびった」
そういって水沢先生は大きなあくびをした。
「お疲れ様です」
「おう」
タッキーきたら説教な、といって水沢先生は目を瞑った。
「俺が名探偵コナン並みのひらめきで推理するとだ、油井は美味しそうな男子高校生になったお前を食ってやるつもりだ」
コンビニに行く、と篠崎はいい、俺と一緒に部屋をでた。篠崎の話の大半は、油井さんのことばかりだった。
お前が油井さんと寝たいのだろう、と俺はいいたかった。話がややこしくなりそうなのでやめた。
「金田一少年並みの推理でいわせてもらうと、それはないよ」
俺はいった。
「お前は当事者だから見えていないんだ」
油井さんのことが気になって仕方ない当事者はいった。
「でもなんでわざわざやったってことをいうんだ」
「あいつがどんな顔するか見てみたい」
お前の話をしてたんだ、油井は。水沢に似ているって。
水沢先生は寝息を立て、僕の肩に頭を載せてしまっていた。
滝口が戻ってきて、水沢先生が座っているのを見て、小声でやべえ、とつぶやいた。
「みずっち熟睡じゃん」
小声でいった。
「疲れてるんだよ」
「昨日嫁とやったんだよ」
そういって、滝口はスマホを取り出し、ハイ、チーズ、といいシャッターを押した。俺は肩に水沢先生の頭を載せたまま、Vサインをした。
滝口はまたどこかへと出かけて行き、俺は水沢先生の頭に顔を寄せ、目を瞑った。
三日目の自由行動のチームはまったく計画性のないメンバーが集まっていて、俺がすべて予定を組むことになった。
「とにかく買い物したい、ていうか木刀を買いたい」
滝口たちが宣言していたので、まずはなににか買い物に行こう、と新京極に向かうことになった。
「いっとくけど、三十分で買い物は終了だからな」
俺はみなにいった。
「これから新撰組関連の場所を一日がかりで巡るから」
「別にいいけど、どういうこと」
「去年『燃えよ剣』を読んで、絶対京都いったら行くと決めてた」
自分の意見を通すときは、言い切ることが大事だ、というのは、水泳部で学んだことのひとつだ。
「なにそれ」
「司馬遼太郎」
名前だけは聞いたことあるけど、と不満げな一堂に、
「ほら、時間ないからさっさと好きなだけ買い物しろ」
待ち合わせ場所を決めて、全員を追い払った。お土産は八つ橋セットを三つ買えばよかった。家族用と、油井さんと篠崎の分だ。油井さんのいらないは、「欲しい」だと解釈した。
「あいつはさ、俺が高校にいっていない、といった瞬間に俺に興味を起こさなくなったんだ」
篠崎はあるときいった。
「バーであったとき、あいつは愛想の一つも見せなかった。まるで昔振り付けを習ったロシア人みたいだったよ。ジジイのくせにキャラ作って気を引こうって魂胆だったのかと勘ぐった。でも違っていた。だいたいピチピチの十代がバーにいたら、おごるのが筋ってもんだろう、あいつはそんなこともしやしなかった」
そもそも十代がバーにいるのがおかしい、と俺は突っ込むべきなのか。思い出すと腸煮えくり返ってきたらしく、篠崎は油井に対する不満をくどくどと並べ立てた。
篠崎は、本当に、油井さんのことが気になって気になってしょうがないらしい。あてつけのために、俺とやっている。別に構わなかった。数を重ねるたびに、こつのようなものがわかってきたし、そもそもセックスとオナニーは別だということがわかったのも発見だった。
篠崎は、自分の経歴のことを俺に一切話さなかった。将来を約束されていたダンサーが、突然の方向転換。ストーカーなどと蔑まれるほどに熱狂的ファンの女が金を出し、月に一度イベントを開催してもらい、踊っている。それ以外は、レッスンをしているか、適当にバイトをしているか、誰かとゴミだらけの部屋で寝ている男。
話さないことは気がかりでもなかった。あの性格ならば、いいたくなったら、聞いてくれオーラを出して質問してくるよう促してくるだろう。それに、聞いて欲しいのは俺ではなく油井さんなのだろう。
十代で高校にも行かず、一人暮らし。実家はどこなの、と訊ねると、篠崎は曙橋、とつまらなさそうに答えた。
「曙橋は、ここだけど」
「ここから歩いて三分のとこ」
「なんで、一人で暮らしてるの?」
質問をした瞬間、しまった、と思った。篠崎の顔に「それを聞くか?」という文字がべったりと張り付いていた。
「俺は、期待はずれだったからな」
そういって、話はまた油井さんの悪口になった。
期待はずれ、と家族にいわれた篠崎に、自分を視たのかもしれない。そして、期待に応えることのできなかった自分を、うまくごまかしていたのかもしれない、と感じた。そのとき、胸の奥で、なにかが叩くような気がした。いまよりもっと幼かった自分が、メッセージを送ろうとしているのだけれど、うまくいかずに癇癪を起こしてるような。
熊本祥介かもしれない。
俺はもう、熊本祥介、の皮を被った、別人だった。
母と妹に、キーホルダーでも買おうか。近くの土産物屋に飾られている、ご当地キティちゃんを見ているときだ。
近くにいた誰かが、根付けをひとつとった。
「わたしはリラックマ派かな。これよくない? 伏見の酒とリラックマ」
俺は、耳を疑った。いや、耳が震えた。そしてそいつを見たとき、あまりのことに一瞬視界全体がぼやけた。見たくないから、脳がそうさせたのかもしれない。
そこに立っていたのは、岡山で会った、女の子だった。
「ひさしぶり、タクミ」
彼女はセーラー服を着ていて、あのときより背も高くなっていた。顔も、あのときのきつさのようなものは取れている。
「なんでいるんだよ」
あのとき、あんな目に遭わされ、憎しみしかなかった。なのに、
「懐かしいでしょ」
先読みをされた。
たしかに、記憶の底まで落として蓋をした経験だった。思い出したくもないはずなのに、奇妙な感慨があった。
「だってあんた、タクミだもの。わたしが作ってあげたんでしょう。いうなれば、わたし、あんたの、ママみたいなもんよ」
「ふざけんなよ」
「ふざけてるように見える?」
たしかに、この女は真剣なのだ。自覚的に、そういう世界に身を置いていて、生きている。
「うちの学校、去年までは修学旅行、沖縄だったのよ。だけどホテルの窓から出て、隣の部屋に行こうとした子が、マヌケにも落ちちゃって、今年はこんな近距離になっちゃったわけ。なにかあるな、って思ったけど、タクミに会えるとは思わなかった。自由行動がつまんなくて抜け出したとこだったのよ」
彼女はいった。すべてが嘘くさく芝居がかっている。
「ねえ、あんたも暇なら一緒に遊ぼうよ」
「これから待ち合わせなんで」
「いいじゃない、別にいなくなったって、誰も心配しないわ、人の一人や二人」
そういって俺の手を掴んだ。えーっ! という声が聞こえた。数メートル先で、滝口が驚いて口を開けている。
「ショースケ、まさか……ナンパ?」
「違う!」
俺は叫んだ。他のやつらも集まり出し、彼女と俺に距離を置きながら、こんちわ、などと挨拶しだした。女慣れしていない連中が、じろじろと観察するような目つきで眺めている。
「関係ないから」
俺は手を振りほどいた。
「彼、ちょっと借ります」
そういわれたら、どいつもこいつも「どうぞどうぞ」などといいだした。
「オッケーでたし、いくわよ」
腕を引っ張られ、耳元でつぶやかれた。
「あのこと、バラされてもいいの?」
俺はそのまま従い、皆にあとで合流するから予定通りに進め、写真も撮れ、と叫んだ。滝口たちは、行ってらっしゃーい、などと囃し立てた。俺たちが見えなくなってから、ありもしないことをいって大騒ぎするに決まっている。
「不思議なものね、それぞれが住んでいるところの真ん中で会うだなんて」
「名前、なんていうの」
つまらないことをいわれ、返事に代わりに訊いた。
「教えたじゃない、忘れたの?」
「忘れた」
「ひどいわ、ママの名前忘れちゃうだなんて」
とくになんとも思っていないのだろう、鼻歌を歌いながら、俺の前を歩いていく。
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