第39話 熊本くんの小説19

 借りた本を返すため、「ハマシギ」に向かった。読み終わったあと、立原正秋にはまり、近所の図書館で何冊か借りた。本屋では見つからなかった。調べてみると、かなり小説は出ていたらしい。油井さんと、この作家の話をしたかった。

 そして、油井さんの言葉が欲しかった。あの人は、勘が冴えているのか、読心術を備えているのか、意味深な、こんがらがったものを見透かすような力がある気がしていた。

 一目見て、なにかコメントしてくれたなら、それでよかった。「髪切った?」とか、そういうことだけでもいい。含みのある物言いをしてくれるだけでいい。

『外出中』

 とドアに張り紙が貼られていた。そもそもこの本屋に客はいるんだろうか。しゃがみ、待った。しばらく待っても油井さんは現れなかった。立ち上がり、どこかふらついてからもう一度寄ってみることにした。


 結局あの日、篠崎の部屋で、セックスをした。

 篠崎は舞台がはねた後の高揚感と陽気さで誘い、一緒に狭いユニットバスに入り、シャワーを浴びた。

「今日俺すげえ掘られたい気分なんだけど」

 そういって、尻を念入りに洗った。

「ひさしぶりだから、こんなの入るかなあ」

 などといいながら、固くなった性器を弾いたり、

「使い込んでない乳首だな」

 といって摘んだ。そして手をとって、自分の性器を触れさせた。

 タチウケどっちかと訊かれ、したことがないと告げると、「どっちもできるようになったほうが二倍楽しめるから」といった。

「今度俺がケツほぐしてやるよ。それに熊本絶対素質あるよ、そういうエロい顔してるよ」

 篠崎の部屋は家具が一切なかった。中央に寝乱れたままの布団と、そばにトランクが倒して置かれていた。トランクの上に、空になったコンビニ弁当の容器と箸があり、どうやら机代わりにしているらしい。フローリングの部屋には、脱ぎ捨てられたシャツや飲みかけのペットボトル、丸められたティッシュなどがあちこちにあった。この部屋にはゴミ箱というものがないらしい。

 布団に寝かされ、あちこちを撫でられたり舌を這わされたり、お互いの性器を確認するように扱っているうちに、「この態勢が入りやすいから」といって、篠崎は上に乗り、器用に性器をその場所へとあてがった。そして、呻きながら、なかに沈み込ませていく。声が聞こえる、実体も見たことがある、タカハシタクミ。その存在にいつだって怯えていた。自分にとって、荷が重い、自分自身の性的な行為や衝動を代わりに遂行、指導する存在だったタクミは、初めて意識的に射精をしたとき以来、現れなかった。

 自慰に耽りながら、どこかでタカハシタクミが顔を出してくるのではないか、と後ろめたさに近い恐れを感じていた。

「もう少し、スライドする感じで」

 腰を掴みながら懇願してくる篠崎の首元に顔を埋めながら、タカハシタクミが現れるのではないか、と思っていた。

「そうそう、当たる当たる」

 びくびくと痙攣させる篠崎を感じながら、僕の頭のなかで、とても冷静な場所ができていた。そして、才能があることを自覚した。

 そしてもう、「僕」は、自分が熊本祥介ではないことを理解した。

「俺」は、ほんとうは、タカハシタクミなんだ、と。コンドームのなかで、陰茎はこれまでないほど脈打ち一回り肥大化し、俺は何度も放ち続けた。


 ぶらぶらしてから「ハマシギ」に戻ってみると、張り紙はなくなっていた。ドアを開けると、油井さんが前と同じように椅子に座っていた。

「やあ」

「こんにちは、これ、ありがとうございました」

 僕は文庫本を油井さんに手渡した。

「どうだった、これ」

「おもしろかったです」

 そのあとで何冊か図書館で借りた、と俺は話した。

「立原正秋を気に入ってくれて嬉しいよ。きみの書く小説も、きっと読者を困惑させたり、気に入られたり、突き放されたと思われて見て見ぬ振りされたりするんじゃないかな」

「小説?」

 突然なにをいっているんだ。俺は訊き返した。

「きみは、小説を書きたいんじゃないかな、と思っていたよ。と、いうか、書くほかないだろうね。世の中にはふた通りの人間がいる。書く必要のないのに書きたがるやつと、書くしかないのに書けないやつだ」

 小説を書く、なんて考えたこともなかった。

「俺は、書く必要のないのに、書きたがるほうですか」

「そうじゃない。書けないやつが、無理をして書く。書きあがったとき、それは書く必要のないものだった、と悟る。だからまた書く。二つの宿命を行き来できるやつが、小説家なんだ」

 この人からなにか言葉を引き出したかったというのに、もらった言葉に、俺は困惑した。

「もうじき修学旅行だろ」

 油井さんは話を変えた。

「はい」

「やっぱり京都奈良?」

「そうです、水沢先生もぼやいてました」

「八つ橋はいらないよ」

 それと、これを貸すよ。そういって本棚から文庫本を取り出し、俺に渡した。

 立原正秋の『はましぎ』だった。

「『恋人たち』の続き、店名はこの小説からつけたんだ」

 店を後にするとき、油井さんはいった。

「俺、っていいかたが、あまりに馴染みすぎてて、別人かと思ったよ」


 篠崎はすべてを終えたあと、仰向けになり、天井を見つめながら、いった。

「ざまあみろだ」

 なにが、と聞くと、

「油井はさ、お前を食う気まんまんだったんだ。十年水沢に片想いして、自分の友達の女をあてがってやって、自分の檻の中にいれたとでも思ってやがる。でも結局やれなかったから、そいつのお気に入りのホモっけある生徒を抱いて、まああいつはドネコだから、抱かれるほうか、積年の恨みをお前で晴らしてやろうとしてたのさ。初掘りがあんなシケたおっさんだった日にゃ、熊本も散々だったよなあ」

 といった。なにもいえなかった。

「熊本、下の名前なんていうの?」

「タクミ」

 と俺は答えた。

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