第3話 熊本くんとわたし③

 ラインがきているのはわかっていた。熊本くんの部屋から出てすぐに、スマホを見た。

『いまなにしてる?』

 そしてしょぼくれた猫のスタンプ。

『いま友達の家でたところ』

 返信してすぐに、着信を知らせる振動があった。無視してわたしは歩いた。

 夜道の心細さは幼い頃に戻ったような気になる。寂しさよりなにかワクワクした気持ちが先立つ。もう戻ることのできない場所に、奇跡が起きて辿り着くことができた。そんな気分になる。もちろんそんなことは、ない。自分は過去に戻りたいのだろうか。

 二十歳をすぎたわたしのまま、夜道をすすむ。年を取って、自分はこの道を歩いていたことを思い出したりするんだろうか、と考えた。何年前の何月何日、といわれても、なんでもない日のことを覚えているわけがない。なんでもない日々というのは、混ざり合い、忘れ去られ、なんでもなかったことだけが残る。そこに時間も季節もない。

 二十歳の頃を思い出して、未来のわたしはどう一言で片付けるのだろうか。未来の自分をあてにしないでおこう。

 またスマホが震えた。今度は電話だ。

「ライン返事なかったから」

 壮太郎の声がした。心配、というよりは腹を立てているようだった。いい大人なのに、壮太郎はいつも電話をかけてくるときこんな声を出した。

「歩いてたとこだから」

「いまどこ」

「大岡山」

「こんな時間に?」

 やっと口ぶりがほぐれてきた。この人が、大人の顔をして、スーツを着て働いていると思うと、なんだかおかしい。神経質で、いつも眉間のあたりにしわを寄せている。

「友達の家に長居しちゃった」

 わたしはカレーをおかわりし、熊本くんに「大食いだね」と呆れられた。二杯目のカレーを食べているとき、熊本くんは見た目がひどくまずそうなプロテインを飲んでいた。しばらくしてから、二十四時間営業のジムに行く、といっていた。 

「明日時間ある? 夜」

 そういわれ一瞬、面倒だな、と思った。知り合った頃は、毎日のように会っていた。しだいに会う間隔が広がってきている。

「わかった。じゃあ、そういうことで」

 多分いつものところで待ち合わせをするんだろう。電話を切った。ラインを開くと、『さびしいなー』と壮太郎からメッセージがきていた。さっき無視したものだ。

 駅に着いて、ベンチに座り、借りた『欲望という名の電車』をひらいてみても、頭に入ってこず、すぐに閉じた。わたしはスマホを取り出した。

 熊本祥介、と検索をしてみる。検索してみても、とくになにも出てこなかった。熊本くんはSNSをしていない。そもそも、本名でビデオに出るわけがない。自分がとても後ろ暗いことをしているように思いながら、検索を続けた。

 熱中しているうちに電車がやってきた。電車のなかにいる人たちはみな疲れた顔をしていた。自分も同じような顔をしているんだろう。

 今日のことを、未来に思い出すことがあるんだろうか。

 友達のことを検索して、なにかをつきとめようとした日。自分にまったく関係がないというのに、事実を知りたいなどと綺麗事で自分を隠しながら、熱中したこと。

 ビデオを通信販売しているサイトのページをめくり続けた。ありとあらゆる男たちの裸が映っているパッケージ写真を。いまスマートフォンを覗き込まれたら、どれだけ欲求不満なんだ、と呆れられるのだろうか。

 降りる駅まであと一駅、というところで、見つけた。わたしは息をのんだ。競泳水着を履いていつものなんとなく所在無さげな表情をしている熊本くんの画像を見つけた。わたしは混乱した。そもそも、熊本くんの裸をわたしは見たことがない。なんだかボディビルダーみたいだなあ、と思った。マッチョ、というのだろうか。広い肩幅と、張り出ている胸はわかっていたし、腕が太いことだって知っていた。腹筋が割れているんだなあ、と変に感心した。ほぼ毎日ジムに通っているらしいけれど、たしかに作り込んでいる。

 駅を降りて改めてサイトを確認した。衝撃的デビュー! 今年ナンバーワンの体育会系イケメン。

 改めて見てみても、熊本くんだ。DVDの裏面の画像では、熊本くんはさまざまな体位をして身悶えている。モザイクのかかった性器を、腿を広げ見せている画像もあった。

 ありえないほどの巨砲を隠し持つ完璧な肉体美。初出演作品にして最高傑作、フルコースで体験。ひどく煽ったコピーが書かれている。

 あの女の子のいっていたことは本当だった。学校で噂になっているのだろうか。誰かがこれを見つけた、ということだろう。

 噂になってしまうのも仕方がないだろうな、という諦めと、騒ぎ立てる連中のくだらなさに、腹が立ってきた。

 ただ、わたしが熊本くんになにかいうのは違う。どんな理由で出たのか教えてもらったところで、なんとコメントすればいいのかわからなかった。

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