第48話 熊本くんの小説28

 心斎橋のアップルストアまで、マックブックを買いにいった。やっと手に入れた。油井さんの書店にあるのを見て以来、小説を書くためにも自分のPCが必要だ、と思っていた。

 ワイファイを使える場所も確認済みだった。これでやっと、書き続けることができる。これまでノートに書き連ねた散文をひとまとめにする。原稿用紙でもよかったのだけれど、自力でPCを手に入れるまで、油井さんに送ったものの続きを書くことを止めていた。熟成させる必要があった。中学に入ってからのことを、まとめる。もっとフィクションに近いものを書いてもいいのかもしれないと思うこともあった。まずこの現実を、小説という形式を使って確認する必要がある。

 そしてもうひとつ、地元に着いたとき、家電量販店でアイフォンを契約した。書店のアルバイトをしながら、レジでカタログ雑誌を読み予習しておいた。

 電話を手にいれたところで、べつに家族から連絡がくることはない。だからまだ必要はないかもしれない。いずれ必要になるのだから、と思い切った。

 誰からも連絡がこないスマートフォンを手にして、可能性のようなものを感じた。どんな期待なのかわからなかったけれど。

 ドトールコーヒーで本を読みながら充電していたら、アイフォンがいきなり鳴りだした。知らない番号が表示されている。

 はじめての着信が間違い電話というのは、出鼻をくじかれる思いだった。俺は電話をとった。

「もしもし」

「おひさしぶり」

 女の声がした。

「どなたですか。間違いだと思いますけど」

「間違いやしないわ、熊本さん」

 ぞっとした。そして、瞬時に理解した。

「このタイミングで電話を買うなんて、やっぱり世の中はよくできているわね」

「なんで番号を」

「あなたのことを考えて適当に番号をうっただけよ」

 そんなことができる人間は、二人しかいない。どちらもたちが悪いが、こいつはまつりよりも一筋縄ではいかない……。

「昨晩、なにか感じなかった?」

「なにをですか」

「そう、あなたわりと鈍感なのね。修行すれば能力者になれる可能性もあるのにねえ」

「なんの話ですか」

 この異常な状況を受け入れている自分がいた。隣に座っている中年の男が咳払いをした。

「昨日ね、まつりさんがお亡くなりになりました」

 理解できなかった。

「なんで」

 俺は小声でいった。

「自殺よ。車に轢かれたってことになっているけど、あれは、自分で選んだのよ。歯向かいかたが幼稚ね。あの子はそういう急ぐところがあったわ。まだ死ぬことはなかったっていうのに。幸福でいられるためのお膳立てはしておいてあげたっていうのにね」

 その聞こえてくる言葉ひとつひとつに、内面が反発していた。言葉にならなかった。

「明日お通夜があるからいらっしゃい。お金ならあるでしょう。おばあさまがあなたに渡したお守りのなかに」

 ぽち袋のことか。この女はなにもかもよくわかっている。

「懐かしい人にも会えるわよ」


 岡山の屋敷に再び訪れることになるとは思わなかった。

 駅からタクシーに乗った。場所を伝えると、「ああ、神様のとこね」と運転手はいった。

「神様?」

 俺は訊いた。

「有名なとこですから」

 運転手は言葉を濁した。

「やっぱりそういうところなんですか?」

「あんた、知らないでいくの?」

 あそこはさあ、昔から変な家だって有名だったんだよ。それこそ予言とかいってまわりにふれまわるばあさんとかいてさ。そういうのが好きなマニアみたいのいるでしょ、超能力だとかUFOだとか。オカルトブームっていうのかな、よく昔テレビでやってたじゃない、何度か紹介されてね、わざわざ遠くからやってくる人とかもでてきてさ。これ乗せたお客さんがいってたんだけど、いまの当主ってのがやり手でビジネスセミナーとそういうのを混ぜたようなのやってるらしいよ。いまじゃ生き神さまって呼ばれてるね。このへんじゃそれで通ってる。それにしても金持ちになるために大金払って話聞くってどうなんだろうねえ。

 運転手は到着するまでずっと、その当主に騙された人間かのように喋り続けた。

「で、あんたなんであんなとこ行くの」

 わざわざ騙されにでも行くのか? という声が聞こえてきそうだった。

「お通夜なんです」

 そういうと、運転手は黙った。そして気づいた。自分は喪服を着ていない。制服を着てくればよかった。


 屋敷の手前でタクシーを降りた。門の前に、俺と同い年くらいのセーラー服姿の女の子が、立っていた。虚ろだった。

 ボタンダウンシャツにデニムといういでたちの、この場にまったく似つかわしくない自分は、紛れることもできずに喪服の人々とともに邸内に入った。

 セーラー服の女の子の横を通り過ぎる。あの子はまつりの友達なんだろうか。あいつに友達がいるなんて、という不遜な思いが浮かんだ。きっと、制服の女の子にとってのまつりと、俺の知っているまつりは違うんだろう。


「いらっしゃい」

 そう声をかけられ振り返ると、あの女が立っていた。かつてと同じいでたちだった。

「ずいぶん逞しくなったわねえ。あのときはひょろっとしてたのに」

 なにも変わっていない女がいった。

「本日は……」

 こういうときなんていうのかわからず、口ごもった。

「そういうのはいいわ」

 お焼香あげてあげて、といって女は歩いていく。俺はついていった。

 飾られている花は豪華で、どこかの国の王女が死んでしまったかのようだった。平服のまま、俺は棺のほうへ向かった。

 これは、呪いなのか? あの女がかけた? まったく現実感がない。だからあの女を責めるとか、自分もそうなるのかと問うこともできない。すべてが謎を纏っている。

 ただの多感な女の子が、思い込みで自殺を図った。

 ほんとうに?

 この家で始まった、俺たちのつながり。そして、久しぶりにあの名前を思い出した。

 タカハシタクミ。

 俺はもう、タカハシタクミという存在と同化している。

 この、死んでしまった女の子がつけた名前。

 その名を口のなかで転がしてみる。苦い。

 そもそも、タカハシタクミとはいったいなんなんだ。

「お茶でもいかが」

 女にいわれ、俺はそのままついていく。

「質問はないの?」

「なんで俺たちは二十歳で死ぬんですか」

「自分の命日を知りたいの?」

「まつりが」

 以前と同じく、一人では戻ることのできなさそうな廊下を俺たちは歩いていた。

「成人になったら、わたしがあの子をオルグするとでも思ってたんじゃないの?」

 無駄よ。だって、すでにあの子はわたしのものだったんだもの。そういって俺のほうを向いた。

「あなたもそうよ。でもあなたたちだけじゃない。誰だってそうなのにね」

 障子を開き、女は俺を部屋に通した。隅に積まれていた座布団を取り、畳に置いた。

「どうぞ」

 俺は座布団に座った。女はちゃぶ台の向かいに座る。

「いい、しばらくあなたは一言もしゃべっちゃだめよ。なにをしてもだめ。もしなにかしようものなら、あなたをむりやり押さえつける。まつりがあなたを浅はかに誘惑しようとしたときみたいにね」

「なにをいって」

「しゃべるな」

 お茶をお持ちしました、と声がした。声に聞き覚えがあった。そして盆を持ってきた壮年の男に、俺は驚愕した。

 父だった。

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