第36話 熊本くんの小説16

 ドアの向こうから、さほどうまくもないカラオケが聴こえてくる。アイコのちょっと前にでたやつだ。

 僕は部員たちといっしょに、ドアの前で競泳パンツ姿で待機中だった。自分が緊張しているのがわかる。

「まだかよ」

 横にいた滝口が僕にいった。

「もうじきだよ」

「やっぱさあ、怪盗少女じゃなくてさあ、ヘビロテのほうがよかったんじゃね?」

「なにを今更」

 こいつはいつだって直前になって不平を漏らす。

「文化祭でやったとき一番ウケたじゃん、それに」

「ヘビロテはお前がセンターだったから?」

 そういうわけじゃないけどさあ、と滝口は口をとがらす。

「怪盗少女も最後のワールドオーダーだって、祥介がセンターじゃん。職権乱用だろ」

「なにするか会議したとき、お前らなにも意見出さなかっただろ。それに、先生は怪盗少女の振りが好きっていってたし」

 そもそも、やろうと提案したとき、全員が嫌がったのだ。無理はない。文化祭のときだってみんな、いつものボックスタイプの水着ではなく、競泳用のビキニを履くことを散々ごねた。文化祭には、父兄だけでなく、「女子」がやってくるというのに、こんな格好するのは嫌だ、とブーイングの嵐となった。「伝統だから!」の顧問の一言に、しぶしぶ従った形だった。

「新入生向けの部活紹介のときにやったセトリそのままやったほうが楽だよな、ってみんな思ってたんだよ」

「知るか」

「ところで祥介、お前チンコでかいからはみ出てるぞ」

「嘘つけ」

 偽アイコの歌が終わり、拍手が起こった。

「エビ反りしくじんなよ」

 去年の文化祭、水泳部が毎年やっている『ウオーターボーイズ』……をまんまパクったパフォーマンスで、僕は、しょぼいエビ反りジャンプをしてしまい、部員たちの語り草になっている。

「今回は、これまで一番高く飛ぶよ」

「そもそもプールじゃないし」

「では、新郎が顧問をしている水泳部の皆さんに出てきていただきましょう。新郎も学生時代やっていたという、伝統あるものです。本日はプールではなく、この披露宴でのスペシャルパフォーマンスとなります」

 司会の声。開くドア、そして、爆音のももクロ。


「ひさしぶり」

 声をかけられた。喫煙スペースに、タキシード姿の油井さんが、タバコを持って立っていた。

 僕たちはパフォーマンスを終えて、即現地解散となった。結婚披露宴は続いている。僕は同級生たちと一緒に行く途中で見つけた吉野家に行こうと話していたところだった。

「先行ってて」

 僕はそういって油井さんのところへ向かった。

「僕らもジンギスカン、やったなあ」

 油井さんは煙を口から吐き出しながらいった。

 沈黙が起こり、このまま礼をして帰ろう、と思った。

「きみ、ずいぶん大人になったね」

 僕は今年の春に中学三年生になり、水泳部の中等部キャプテンになっていた。

「どうも」

「こんなふうに、日向できちんと水をやってるひまわりみたく背ってのは伸びるんだな。いくつになった?」

「百七十です」

「これからもっと伸びるんだろうな」

 僕より少し背の高い油井さんが、タバコの火を消した。

「体つきもなんていうか、水沢メソッドのおかげか」

「というか、ただのしごきです」

 油井さんは低く笑った。

「僕のこと、覚えてたんですか」

 油井さんと新婦の山本さんに会ったときから、二年経っていた。

「いつだって水沢はきみのことを話しているし、体がでっかくなっても、すぐにわかったよ。ちょっと見ものだったんだ。どうやらきみの雪辱戦らしいって、聞いてたから」

 僕はさっきのパフォーマンスよりも、頭に血が上った。

「とりあえず、あのときよりは高く飛べたんで、満足してます」

「なるほど」

 僕は礼をして、そのまま去ろうとした。

「本屋には、いつくるんだい?」

 僕の背に向かって油井さんがいった。

「前に行ったとき、閉まってました」

「ああ、すまん。気分で店を開けたり閉めたりしてるんだ」

 僕は披露宴会場を出た。

 あいかわらず、油井さんはなにもかも見透かしているような風情だった。そして、パフォーマンス中に、大笑いしている水沢先生の横で、山本さんが僕のことを真剣な顔で見つめていたのを思い出した。

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