第15話 まつりとわたし⑤

「わたしが、こんなふうにまつりのことを考えてるから、ってこと」

「まあそうだよね。気づいてないだろうけど、わたしのことを悪役にしたいって願望もミックスされてるよね」

「そんなこと」

「あるでしょ」

 返事ができなかった。たしかにそうかもしれなかった。わたしのなかでまつりはどんどんわけのわからない存在になっていってる。

「いいと思うよ。誰も責めらんないでしょ、そんなの。とにかく、見方がすべてで、自分が生きやすいように物事を見る、ことは大事だからね」

 まつりが笑いだす。

「ねえ、なにが見たい?」

 笑いの延長で、まつりが囁く。

「なんだって見れるよ」

「なにを見たいっていうのよ……」

 わたしの存在はなかった。カメラになっていた。熊本くんの部屋だ。本棚に手をつけて、熊本くんは四つん這いになっていた。裸の熊本くんが、同じように体格のよい男に、腰に手を回され、背後から大きな音を立て突かれている。

 ぐう、とかうう、とか呻きながら、熊本くんは犯され続けている。

 時折男が動きをかえると、熊本くんは頭を棚に押し付けた。

「動物みたいだね」

 まつりの声がした。

「動物の交尾とか、わたしちゃんと見たことないんだけどさ」

 熊本くんの手にひっかかり、何冊かの本が、棚から落ちた。

「あんたのフェチ具合が、あらわれているんだよ。どんだけなんだよ」

「違う」

 自分自身が存在しない部屋では、目を閉じることができなかった。

「でも、実際こういうことはあったのかもしれないよね」

 熊本くんの背中は汗ばみ、時折流れができた。男が熊本くんに覆いかぶさり、顔を近づけて口を吸う。

「ねえ、よく見てみなよ」

 なにを見ろというのだ。熊本くんの目はとろんとしていて、口は相手の出した舌を吸い込もうと唇をすぼませる。

 その相手は、熊本くんだった。熊本くんを抱き続ける熊本くんが、熊本くんの尻を叩き、のけぞらせ、熊本くんを床に落とした。そのまま熊本くんは後ろから熊本くんを抱きしめて、首に顔を埋める。熊本くんは訊いたことのない声、いや、タカハシタクミが映像の中であげていた音色をあげた。

 わたしは混乱した。熊本くんを、タカハシタクミが抱いているのか、その逆なのか。そんなことはどうでもよかった。同じ体、同じ顔の男が、熊本くんの部屋で、からまりあっている。

 これが、わたしの欲望なんだろうか。ただ、わたしはこの痴態を見続けている。

「あんたはあんた以外になることはできない」

 まつりの声がした。

「あんたは、なにになりたかったの?」

「わたしは」

 多分、わたしは存在しない部屋のなかで泣いていたのだと思う。存在しないわたしが、存在することのない涙を流し続けていた。

「わたしは、まつりになりたかった」

 壮太郎を愛しているまつりになりたかったから、壮太郎と寝た。

「他には」

「わたしは、熊本くんになりたかった」

 熊本くんのような人に、なりたかった。わたしが規定した、人にやさしい、落ち着いた、身綺麗な、誰からも愛される、誰もが振り向く、そして、女を傷つけるようなことを一切しない、熊本くんになりたかった。

「そんな熊本を、あんたは熊本自身になって、犯してやりたかったんじゃないの?」

 さまざまな格好になりながら交接が続く。もののない部屋のなかで、蠢き続ける熊本くんたち。

「なんのために、熊本くんになりたかったのよ」

「それは」

 思考がぼやけてくる。視界は鮮明なのに、まとまらなくなる。それをいってはいけない、となにかにいわれている気がする。

 ぴったりと重なった熊本くんたちが大きく揺れ続け、同時に大きな声をあげた。尻が何度も震え、汗に濡れた背中から湯気がでているのかぼやけ、鈍く光る。二人はぐったりとしていたが、からだを離そうとしなかった。

 わたしは目を覚ました。

 そして、あの目があった。

 ベッドの横に、父が立っていた。父は無表情だった。わたしのことを、ただ見ていた。

 夜毎に、わたしの部屋にやってきて、わたしのことを見下ろしていたときの、あの顔だった。

 父が、父でない何者かになっているときの顔。この家に出るまで、ずっと怯えていた、あの行為が始まる合図。

 しばらく、暗闇のなかで、見つめあった。わたしは、息をのみこみ、睨みつけた。もうわたしは、あの頃のわたしではない。わたしにしかなれなかったとしても。

 父は一瞬たじろぐ。一言も口をきかず、部屋から静かに出て行った。

 わたしは起き上がった。髪をかきあげ、平静を取り戻そうとつとめた。汗をかいていた。

 一刻も早く、ここから出ようと思った。喉が乾いていた。

 わたしは着替えて、音を立てないようにして、部屋から出た。

 まつり、わたしがなんであなたたちになりたかったのか、それは。

 父に監視されているような気配を感じた。うろたえず、落ち着いて、出て行く。

 夕方にでも、母には電話すればいい。

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