第32話 熊本くんの小説12
規則的に暮らすこと。通学途中に本を読むこと。放課後、疲れきるまで泳ぎ続けること。それが僕の毎日だった。
祖母が亡くなってから、両親は一切会話をしなくなった。父は、我が家の隅、ほとんど使われることのない客間に自分の陣地を作り、風呂も外で入っているようだった。トイレを使っている場面にでくわすと母は舌打ちをした。母は食事を作ることを面倒だ、といい、食事は惣菜を買ってくるだけとなった。仏壇に備えるために、米だけはいちおう炊いていた。
我が家は、祖母の死以前と後で、がらりと変わってしまった。父が給料をよこさないことも、一家の嫌われ者であったとこも変わらなかったが、子供たちに見せる母の態度は露骨なものとなった。父も、だからといって出て行くということはしなかった。
「わたしが先に死んだら、あの男に遺産を半分奪われることになるからね」
母はいった。
「絶対に長生きしてやるんだ」
これは母の口癖になった。
家のなかは次第に、乱雑になっていった。
僕は家にいるあいだは、部屋にこもるようになった。とにかく眠かった。部活動を真剣に打ち込んでいるせいなのか、家に帰ると僕はすぐに寝てしまっていた。
『それでいいんだよ』
タカハシタクミが現れることは、祖母の遺体を見たとき以来、ない。
『とにかくきみは、いまは置かれている状況を見ないでいていい』
だがくたくたに疲れて眠ってしまいそうになるとき、脳の奥から声が聞こえてくる。僕にメッセージを送ってくる。
『きみの処理速度が追いつくまで、きみはまず、やりたいことだけをすればいい。本を読む、とかプールで泳ぐ、とか、明確に自分の意志で行うことだけに集中する訓練をいま、しているんだ』
僕は布団のなかで、硬くなっている部分をパジャマ越しに触れた。水沢先生が教えてくれた方法を、まだ試していない。同級生たちは、ことあるごとに、あの話をしている。何回したとか、なにでした、とか。
僕はすでに、どうなるのかを、見たことがある。刺激を与え続けると、よりそれは硬くなり、噴水を起こす。渡辺がそうだった。口中に渡辺は何度も出し続け、自然と零さないよう、えづくのを抑えながら受け止め続けた。自分があんなふうに狼狽、忘我、そして脱力するのかと思うと、それは興奮よりも、恐れがあった。
『なにかを知ることに、早いも遅いもないけれど、ベストのタイミングというものがある。きみはいつもそれが少々ずれている。それが自分以外のものに対する不安になっていて、うまく振舞うことができない。それだけなんだ。もうすぐきちんと、正しい時間に、すべてが起こるようになる。僕が調整してあげるよ』
ときどき、僕はこの声を、宇宙人からのメッセージなのではないか、と思うときがあった。ネットのオカルト掲示板をよく見ているという同級生が、いっていた。宇宙人はいろんなところで人間のふりをして暮らしているんだ、と。たまにネット上で、これから起こることを予言しているらしい。
岡山でのあの体験も、妖怪とか、霊とか、そういう類のものなんじゃないだろうか。あの、美人だけれど傲慢そうで嘘つきな女の子。どんな顔をしていたか忘れてしまった、喪服の女。
僕からタカハシタクミに問いかけることはない。タカハシタクミは、僕が求めている答えを、僕がいうまえにいってくれる。僕の問いを、いつだって先読みする。
僕は弄りながら、眠気に負けることを待つ。タカハシタクミの声すらない場所に、潜ろうとする。
学校には屋内プールがあり、週に三回ある体育のうち一回は、水泳だ。今日は授業と放課後の部活と、二度プールに入った。まだ中学に入学したばかりで、お調子者たちのそろっている僕のクラスはいつも騒がしい。水沢先生も、別にそれを咎めることはない。むしろ率先してその輪のなかに混ざろうとする。
「はいじゃあそろそろ授業すっから」
と、いいながらも、水沢先生だって半笑いだ。
「じゃお前ら準備体操するからそろそろ本気出せよー」
といいながらジャージのジッパーをあける。みずっちが脱ぐぞー、と誰かが囃す。
「見よ、このキレッキレのカットを」
そういって競泳水着一枚になった水沢先生がボディビルダーのポーズをとる。
「はい、そのままジャンプー」
全員がバラバラにジャンプをしだし、次第にそれは、揃い始める。
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