第10話 熊本くんとわたし10

「ちょっとパソコン借りるね」

 そういって熊本くんは、部屋の床に置きっ放しにしているノートパソコンをひらいた。

「パスワードなんだっけ」

「なに見るのよ」

「ゼミの飲み会、幹事なんだよね」

「そんなの自分のスマホで調べてよ」

「パソコンでみたほうが楽じゃん。雰囲気つかめるし。いいとこあったら客観的意見を教えて」

 わたしはパスワードを教えた。

「いつものとこじゃつまんないって甲斐先生がいうんだよね」

 予算は二千五百円くらいで飲み放題とかないかなあ、などといいながら、熊本くんはキーボードを叩いていた。

 わたし、体調不良っていう設定なんだけどなあ、と思いながらわたしは立ち上がった。台所はすっかりきれいになっている。

 冷蔵庫をあけて、麦茶を取り出した。そういえば、水出しパックがもうなかった。買おうと思ってコンビニに入ったんだった。

「ねえ、みのりちゃん」

 熊本くんがわたしを呼んだ。

「なんかいい店あった?」

 熊本くんが帰るとき、いっしょにでるか、とわたしはのんきに思っていた。

「なんか僕に訊きたいこととか、ないの?」

 熊本くんは険しい顔でパソコンを見つめていた。

「べつに、安けりゃどこでもいいよ」

 そういってから、思い出した。

「飲み会、わたし行けないのよ、実家に帰らなくちゃいけなくって」

 熊本くんはわたしを見た。こんなに悲しそうな顔をしている人を、間近で見たことがあるだろうか、というくらい、青ざめて、眉毛を下げ、そして、わたしをなにか化け物でも見るような目で。

「なに?」

 わたしは、人にこんな表情をさせてしまうような人間なんだろうか。

「初めて見たよ」

 そういって、パソコンの画面をわたしに向けた。

 ちょうど、途中から再生されている。音は消えていて、熊本くんが屈強な男の上に乗り、腰を動かしていた。

「ディスクもらったけど、まだ見てなかった」

 熊本くんはいった。熊本くんは音量をあげた。

 ああ、ああ、でます、でます、だめですか。

 むせび泣きながら懇願するタカハシタクミに、まだ我慢できるよね、ねえ、と声をうわずらせながら男がいう。

 もれちゃいます、もれちゃいますよ。

「すごいね、どこで買ったの?」

 熊本くんは、口元を歪めながら、いった。

「お店で」

 わたしはいった。

「学校で噂になってるのは知ってたけど、みんなわりと他人事っていうか、僕の前じゃいわないからね。高かったでしょ」

「うん、でもね」

 どう説明したらいいのかわからないまま、わたしは言葉を探した。なにも出てなかった。

 タカハシタクミが、う、う、とあがり、うわあ、すげえなあと男がいう。エッロいなあ、こんなになっちゃって、タクミくん、変態だなあ。

『はい、頭がおかしくなりそうです』

「誰に見られたところでなんとも思わないと思ってたけど、訊かれたら答える気マンマンだったんだけどね、こういうふうに見ちゃうのは、なんだか、いたたまれないものがあるねえ」

 少しうなだれた熊本くんを見て、ほんとうに、どうでもいいことを考えた。

 目の前のひとは、熊本くん? タカハシタクミ?

 わたしは、人を傷つける天才だ。

「少し、見ていていい?」

 熊本くんはいった。

 どのくらいの時間だったのか、わからなかったが、わたしは立ったまま、熊本くんがパソコンを見続けている姿を見ていた。

「終わった」

 そういって、ノートパソコンを熊本くんは閉めた。

「じゃあ、そういうことで」

 熊本くんは立ち上がった。わたしと目を合わせなかった。わたしが合わせられなかったのかもしれない。

「飲み会無理っぽいの?」

 いつもの熊本くんの口調とは違うと感じた。もうこの人間にはなにもは配慮しないでいい、と誰かが認定した、だからもうどうでもいい。そうくだしたのは誰なのだろう。

「実家に、友達のお墓参りにいくから」

 興味なさそうに熊本くんは頷いた。

 靴紐を結ぶために、玄関に座り込み背中を丸めている熊本くんを見ながら、なにかいってくれやしないか、と甘い期待をした。

「じゃあ、そういうわけで、また」

 ドアが閉まった。

 熊本くんと会ったのは、これが最後となった。

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