第2話 熊本くんとわたし②

 熊本くんはいま、カレーを作っている。

 わたしは寝転んで、本を読みながら、出来上がるのを待っていた。内容が頭に入ってこないのは、おいしそうな匂いが部屋じゅうに漂っているせい、ではない。

「アダルトビデオだよ、男同士の」

 最後まで名前を思いだすことのできなかった同級生の言葉がひっかかっていた。いや、むしろそのことばかり考えていた。

 熊本くんにはどこか、まわりと違うものがある。秘密を抱えていて、それを隠すために所作や笑顔が浮世離れしている、ような。人はそういう人間をすぐに見つけ出す。そして、どうにかして暴いてやろうと野蛮なことをする。相手の準備を待つ間もなく、自分なりの理屈をつけて、「友達だから」「悩んでそうだから」「なにも後ろめたいことなんてないよ」なんていって。共感だか同情だかわからないいたわりを見せたりする。

 つまりはみんな、暇なのだ。自分のことを見たくないから、他人のことばかり気になる。

 頭に入ってこない字面を眺めていたら、眠くなってきた。

 インドの金持ちってこんなんじゃなかろうか。かすかにカレーの匂いを感じつつ、エアコンの効いた部屋で微睡む、とか。カレーからのインド、という想像力のかけらもない発想をわたしはした。

「できたよ」

 台所から声がした。熊本くんがカレー皿を二つ持ってやってきた。

 熊本くんはさっさとあぐらをかき、スプーンを手にする。

「なに読んでたの」

「『欲望という名の電車』」

「映画もいいんだよね」

 名画よりマーベル・シネマティック・ユニバースのほうが似合いそうな図体をしている熊本くんはいった。

「なんだろう、このカレー、どっかで食べたことがある」

 作品の感想を訊かれても、コメントできそうもないので、わたしは話を変えた。

「小学校の給食にでたカレーっぽくない?」

 熊本くんはいった。そういわれれば確かにそうだった。

「なにか工夫した?」

「いや、ただの市販のやつ。でも甘口にしてみた」

 熊本くんはわたしがくるたびに、ごはんを作ってくれる。そういえば、ふたりで外食をしたことがない。スーパーで買い物をしたこともない。熊本くんの部屋の冷蔵庫のなかはいつでも食材が詰め込まれている。部屋の家具はベッドとローテーブル、そして本棚しかないというのに。

「じゃがいもを多めにしたのが正解だったかな」

 熊本くんはいった。

 テレビのない熊本くんの部屋では、無言でいることが多い。自分の部屋にいるとき、ラジオをつけっぱなしにしておくほど音にまみれているわたしとしては、はじめ、とにかく音が欲しかった。お互い勝手に本を読んでいるとき、熊本くんが立てる物音があるとほっとした。

 こんなに静かな場所で長い時間いるだなんて耐えられないなあ、と思っていた。

 それなのに、どうしたことか、この静かな部屋にいる時間をわたしは愛し始めていた。

 熊本くんに好きな人がいるのか、訊ねたことはない。異性がその質問をするとき、どこか期待やいやらしさがあるように思える。そう捉えられでもされたら心外だった。

 わたしと熊本くんが付き合っていると勘違いしている同級生のことを思った。

 たまに校舎で一緒に歩いているのを見て、彼女たち(彼らも)はなんと思っていたのだろう。不釣り合いなカップル、と誤解していたのか。

 他人のことをあまり考えないようにしよう。そうわたしは決めていた。おかげで大学で友人は、熊本くんしかいない。

 わたしは本から目を離し、熊本くんを見た。ベッドの上で、壁によりかかって本を読んでいる。わたしの視線に気づいて、熊本くんは顔をあげた。

「なに?」

「なんの本読んでるの」

「『燃えるスカートの少女』ってやつ」

 そういって、文庫の表紙をわたしに見せた。

「面白い?」

「彼氏が逆進化するって話が面白いね」

 そういうと熊本くんはまた読み始めた。

 わたしは、あの女の子が、なんといっていれば、とくにショックも感じたりしなかったのか、と考えてみた。

 あのとき、わたしは彼女にこういった。

「で?」

 彼女は一瞬ムッとして、そのまま立ち上がった。

「あ、知ってたんだ。ごめんねえ」

 足早に立ち去る彼女の背中を見ていたはずなのに、思い出せない。あの子、今日どんな服を着ていたんだっけ。

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