食客商売7話-4「請負人、確定申告に奔走する」
「……てな訳で、その金貸しの寺院をしょっぴく口実が欲しいのさ」
防人の長官、ゴチェフは三つ編みの髭を撫でながら言った。
「ははあ。左様ですか。しかし、どうも、いやはや」
コッパアが頭を掻く。ドモンは腕を組んだまま、口を固く閉ざしている。
市庁舎の事務室には、よく素行の悪い役人達が仕事をサボって遊びに来る。
その「素行の悪い」連中の中に、ちゃっかり防人が混ざっていた。
ただの防人ならまだいい。問題は、その防人が組織の長であるということ。これでは誰も叱る事が出来ない。
こうして、不良共の些細な悪行は、権威の濫用によって、半ば黙認されているのであった。
「それでしたら、脱税の証拠を突きつけるのがよろしいでしょう。ええと、ここに金の計算と書類には、小うるさい男がおります」
コッパアはドモンに話を振った。
「ほう?」
「……その寺院が役所に提出した申告書に、一つでも嘘偽りがあれば、口実は作れます」
「確かめられるか?」
「税務の者をゴチェフ様の元へ出向かせます。ただいま、手配をして参りますので、失礼!」
コッパアが素早く動いた。
「あ奴、普段はさほど俊敏でもないだろう?」
「ええ」
素直にドモンは頷く。
「まあ、口実を作った所で、金の力で逃げるだろうな。それに、実は金を借りた客に、現役の司法関係者がいてなぁ」
「では勝ち目が薄いと?」
「おいおい。捕まえるだけが勝利じゃあないぜ。正義ってのは、何でもアリなんだ」
ゴチェフはあっけらかんと言った。
「街には請負人とか言う、くそったれな殺し屋がいて、まるで正義の使者のように振る舞ってやがるそうじゃあないか。おかげで、奴らを正義の使者だと囃す馬鹿も少なくない」
請負人。ドモンは密かに動揺した。
その請負人の正体は、ここにいるドモン・マギルなのだから。
勘付かれたか? ドモンは防人の主から目を離さぬよう、正面を向けた。
「つまり、馬鹿共にとっては、請負人の殺しもまた正義なのさ」
「なるほど」
ゴチェフの人懐っこい笑みに対し、ドモンは無表情を貫き通す。
「……あまり、関心はできませんな」
低い声でドモンは感想を述べた。
「まあな。野放しにするつもりはねぇよ。だがしかし、会ってみてぇもんだ。その請負人とやらによお」
ゴチェフは節くれだった厚い手に拳を作った。
--------------------------------------------------------
夜道を歩くドモンは、ランタンを片手に、ずっと前だけを見ていた。
河原沿いの小道に人の気配はない。
通り過ぎる民家や暖簾を下ろした商店は、ひっそり静まり返っている。
ランタン灯りは寒空の暗闇に呑まれてしまい、わずかに小役人の帰り道を示すだけだ。
「……すまんな。このような事をさせて」
ふと、ドモンは足を止めて口を開く。
その姿はまるで、闇に向かって話しているようだった。
「珍しいねぇ。アンタが、誰かに後ろを守らせるなんて」
女の声が返ってきた。
ニト。マギル商会の食客。
「防人の動きに気をつけろ」
ドモンは静かに言った。
「するってぇと、ゴチェフは勘付いたのかい、アンタの正体に?」
「それにしては、揺さぶり方が露骨すぎる」
正体を暴くまでには至っていない。ドモンはそう判断した。
「しかし、請負人の動きに関心を寄せ始めたのは確かだ。気を抜くな。証拠を掴まれたら、どこまでも追ってくるぞ」
「おっかねぇや。アンタが何とかし てくれ」
「私だって願い下げだ」
二人揃ってため息。
「ところで、高利貸しの因業坊主のことだけど」
切り出したのはニト。
「近いうちに仕事で関わることになるかも」
「分かった。心しておこう」
ドモンは気づいた。ほんの一瞬で、ニトの気配が跡形もなく消えたことに。
--------------------------------------------------------
あくる朝、エシェバ老は息を引き取った。
その後の葬儀や埋葬に、家族や親戚といった血縁者達の姿はなかった。
老人が一族の最後の一人だったのだ。
エシェバ老の棺に土をかけたのは、最期まで尽くした執事と数少ない友人。それを見守るのは、マギル商会の主人一家。そして、安駄賃で呼んだ、ざんばら髪の坊主。
レミルは坊主を見て、最初は気まずげにしていた。でも今は違う。
たとえざんばら髪だろうが、派手な着物を着ていようが、どうでもいい。
それより、別れとはこうも呆気ないのだと、拍子抜けしていた。
何一つ印象に残るような事もなく、すべてが淡々と、滞りなく進んでいく。
悲しいとはもっと湿っぽい気がしていた。
今は乾いている。どうして?
祖父が死んだ時。
私はどうしていたんだろう。
結局、レミルは最後まで涙を一滴も流せなかった。
店に戻ったレミルは、食客や友人たちに、葬儀の事を静かに話した。泣けなかったことも、正直に。
「悲しいからって、必ず涙が流れると限らないよ、お嬢」
ぼんやりした眼差しで、食客は言った。
「そうですね。悲しみ方は人の数だけあるのだと思います」
続けて口を開いたのは、ロラミア。
「レミルさんが率直に悲しいとおもったのなら、あなたは悲しんでいた。それで良いと思います」
「うん……。そうなのかな。ごめんね、みんな。何だか急に、自分が薄情な人間になっちゃったのかと思って」
「家族で なければ他人だ。情が薄くて当然だろう。よもや貴様、世界中の人間が一人死ぬ度に悲しむつもりか?」
と、言ったのはクーゼだった。
「無神経すぎますよ。それに、エシェバ老はまったくの他人でもないんですから」
困惑気味にロラミアが抗議する。
答えに窮したクーゼは一同から背を向けた。
「……すまん」
やっと紡ぎ出せた言葉は謝罪だった。
「ううん。気にしないで。この話、もう止めにしよう。いつまでも、感傷に浸ってちゃいけないよね」
レミルは寂しげに笑う。
「話を聞いてもらってありがとう。お腹、空いてない? 家からお菓子を持ってくるわ」
「手伝うよ、お嬢」
ニトが真っ先に動く。
「つまみ食いはダメだかんね」
「へーい」
二人が蔵を出た後、ロラミアは、ずっと背を向けていたクーゼに話しかけた。
「修練も大事ですが、少しくらい、正しい言葉の選び方を学んではいかがでしょう?」
返ってきたのは舌打ちを一つだけ。クーゼは何も答えなかった。
「クーゼさんなりに慰めようとしたのでしょう? 本当は気に病むなって、言いたかったんでしょう?」
「……あいつとそっくりだな、貴様は」
「はい?」
「かつて、貴様のようなお節介焼きがいたんだ。もういい。この話は忘れろ」
女剣士は歯をくいしばる。彼女もまた、親しい者を喪っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます