食客商売7話「請負人、確定申告に奔走する」
食客商売7話-1「請負人、確定申告に奔走する」
「ああ、嘆かわしい。同じ僧籍に身を置く者として、私はひどく悲しんでおります」
年老いた僧侶は悲観にくれている。
市庁舎の役人、ドモン・マギルとコッパァの二人は顔を見合わせた。
「酒に淫行、賭博、浪費、盗みに横領。御主様に仕える者達は務めを忘れ、堕落の道を歩んでいる」
この老僧が属している宗派は、商業で賑わうサチャの街をはじめ、各地に寺院を置いている。
御主(みぬし)という神を崇め祀る彼らは、清貧を良しとし、身に余る欲を悪しきものと捉えている。
だがここ最近は、神より金を拝む坊主が増えているらしい。老僧が鼻白むような破戒僧が大手を振って歩くのも日常茶飯事だとか。
老僧はこの世の終わりに直 面したかのように、暗い面持ちで嘆いた。
それはそれ。
話の合間を狙い、ドモンは口を開く。
「だからといって、脱税をしていい理由になりません」
途端に老僧は真顔になった。
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「すまんな。面倒な仕事を手伝わせて」
寺院からの帰り道、コッパァはすまなそうに言った。気さくだけが取り柄なだけに、謝る姿勢にも軽さが感じられる。
「これも給料の内だ」
ドモンは静かに答える。
「その給料のから税が引かれ、財布に入るのは雀の涙」
コッパァはうな垂れた。
小国にも匹敵するこの商業の街にも、当然のように税制というものがある。
貧乏長屋の人足、儲からない商人、落ち目の騎士、懐寂しい貴族、そして坊主。国家は、あらゆる口実のもとに 、こういう時だけ平等に、税を徴収する。
もちろん薄給の役人達も、もれなく税を納めることになっていた。
「参った、参った。こんなんじゃあ、高い店にも行けやしない」
「家族といる時間に割け」
「いいや。女房は俺が飲みに行くとおかんむりな癖に、家にいたら今度は不機嫌なんだ。泣けるぜ。俺はただ、人生を明るく楽しく生きたいだけなのに」
「明るく楽しくとは……」
ドモンは足を止める。
「アレか?」
目の前の喧騒を指さした。
「拝め、拝め。皆の衆、両手を擦り合わせてよく拝まぬか!」
道のど真ん中で男が騒いでいる。騒ぎながら天下の往来を闊歩していたのだ。
無雑作に羽織った女ものの着物、首飾りや腕輪、ざんばら髪。だらしなく 結ぶ腰帯と銀のひょうたん。
そして、手には鰯の頭を突き刺した杖を持っていた。
「どんなものにも神は宿る。鰯の頭にも、鯖の尾っぽにも。さあさ、皆の衆、皆の衆!神はここにおるぞえ!」
「あー。慎ましい生き方も悪くはないなぁ」
と、コッパァは目をそらしながら言った。
「では、このまま庁舎に戻ろう」
ドモンは歩を進める。堅物に主導権を握られたコッパァは、茶屋へ寄る機会を失い、肩を落とした。
「良くもなく、悪くもなく。何ともまぁ平穏だこと」
マギル商会の女店主、シャスタは帳簿を閉じた。
「さいですか」
ソファに寝そべる食客は適当な相槌をうつ。彼女の名前はニト。かれこれ十数年、シャスタが面倒を見てきた居候だ。
「それだけ安定してるんだよ、ウチはぁ」
のんびり間延びした口調でニトは言った。
女主人は知らない。この怠惰は演技で、正体は冷酷無比の暗殺屋「請負人」だと。
それはさておき。
「停滞の間違いでないといいンだけど」
事情を知らぬシャスタは、凝り固まった体を伸ばした。
歳をとって熟れたとはいえ、褐色の細い肢体には、未だにしなやかさが残っていた。
女主人は席をたち、愚鈍な置物の腹に顔を埋める。
柔らかいようで堅い。これといって運動はしていない筈なのに、無駄な脂肪は殆どない。でも、ふかふか。
シャスタもソファに横たわる。寝てばかりの食客を、若い頃から抱き枕のように活用していた。
「そろそろ、 お上に一年の納税額を報告せにゃならン。決して安くないのが痛いトコよね。しッかし、役人の妻なのに、これといッて得もないたァどういうこッた」
「婿旦那に掛け合ったらどう? ちょっとばかし、まけてくれって」
「こう言うに決まッとる。それは……」
「公私混同だ」
男の声が降ってきた。慌ててシャスタはニトの腹から顔をあげた。
シャスタの夫、ドモン・マギルが、無表情に見下ろしていた。
この男、家族の前であっても、滅多に感情を表に出さないのである。
「お、おお。お帰りなさいま……しっ!?」
起き上がろうと体を起こしたシャスタだが、ニトに引っかかってソファから転げ落ちてしまう。
もちろん、頑として動かなかった食客も道連れを食らった。
「賑やかだな、お前たち」
ドモンはぽつりと呟く。微笑ましい場面なのに、彼の顔に笑みはなかった。
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シャスタがドモンから説教を食らっている隙に、ニトは素早 く退散した。
鈍臭く振る舞う食客からは想像もつかない身のこなしの軽さであった。
ニトが向かったのは庭に面した土蔵。
この家には蔵が二つあり、一つを店が、もう一つをマギル家が使っている。ニトは後者の中に入った。
先客がいた。
「やっとあの場所から動いたんだ」
マギル家の一人娘、レミル。
「小言大好き婿旦那が帰ってきたからね。あたしまでとばっちり食らうのはごめんだ」
ニトはそう言いながら、木箱にどっさり尻を置いた。
店の者たちは、ドモンの事を婿旦那と呼ぶ。これは彼が、マギル家の婿養子であることに由来している。
それはさておき。
ニトは他にも先客がいる事に気付いた。
「邪魔しているぞ」
引き締まった 体つきをした少女が、三角巾で吊るした右腕を庇うように階段を降りてきた。
クーゼ・フォシャール。
武術道場に通う女剣士。先の闇討ち事件以来、この店に出入りするようになっていた。
「まだ腕は治らんか」
「ひと月。それくらいかかる」
むすっと女剣士は返答する。怒っているのではない。この女、たとえ嬉しいことがあっても、頑なに不機嫌に振る舞うのだ。
「腕が治ったらアタシと仕合え。いいな?」
癖のある前髪の下、クーゼの鋭い目が光る。
「まだ言ってる。ニトと戦ってもいい事ないよ。時間の無駄だよぉ」
レミルはげんなりして言った。
「やれやれ。困った」
ニトも飄々と受け流す。
「んで、今日は何の用なの女剣士様。片腕使えなくたって 練習はできるだろう?」
「それを終えて来た。ここにいれば、あの女装男に会えると思ってな。あいつには礼を言えずじまいなんだ」
怪我を負ったクーゼを手当てしたのは、常連客のロラミア。
つまりこの女剣士、恩人を名前でなく、女装男とあだ名で呼んでいるのだ。
「ああ、あいつ。今日は見てないかも。そういえば、ここの所、店に来ないね」
胡乱に答えるニト。
「忙しいのよ、あの人も。どこかの誰かさんと違って」
レミルは皮肉交じりに言うが、矛先を向けられた側は知らんぷりをした。
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