食客商売7話-6「請負人、確定申告に奔走する」
その日の夜。
物置に閉じ込められたディー・ランは、盛大にくしゃみをした。両手を後ろに縛られているせいで、垂れた鼻水すら拭えない。
新調したばかりの高価な上着は剥ぎ取られ、不良坊主は下着姿のまま、外と大して変わらぬ寒さに晒されていた。
義憤に駆られた寺院の者達は、邪智 暴虐な不良坊主を懲らしめんと躍起になった。
彼らは囲んで棒で叩き、囲んで冷水と熱湯を交互に浴びせ、更には囲んでお経まで唱えた。
それを日が暮れるまで繰り返し、さらなる反省を促すために、こうして物置に閉じ込めたのである。
隙間風が吹きすさぶ度に、ぎしぎしと痛みが全身をはしる。身をよじりたいが、足首も縛られて思うように動けない。
「そろそろ、助けてくれねぇかなぁ……」
ディー・ランは物置の扉を二度、ちらちら見やる。
淡い期待に反して、扉が開く気配はない。
まだ来ないのか?
「それとも見捨てられた? そりゃあないでしょう、みんなぁ。勘弁して。俺がいつ恨まれるようなコトしたって?」
ぶつぶつ文句を言いながら、ディー・ランは易々と両肩の関節を外してしまう。
背中に回された腕を前に持っていくと、床に手をあて、今度は関節をはめ直した。
「あとで痛み止めの湿布を貼らなきゃならんなぁ。それにしても、覚えてろよ、ドモンのやつ」
尚も文句を並べながら、不良坊主は頑丈な歯を縄につきたてた。
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「逃げたぞ! 捕まえろ!」
待ちに待っていた「合図」だ。
屋根裏に潜んでいたヴィクは、持ち込んでいた布巻きを、さっと広げる。
包まれていたのは弓だった。
しかし、肝心の矢がない。
忘れて来たのか?
否、ヴィクは弓と一緒に持ち込んだ石つぶてを掴み、屋根の上へ。
松明を持った僧兵達が脱走したディー・ランを追いかけていた。
ディー・ランはわき目もふらずに全力疾走。門をくぐり抜けた彼の後ろ姿が遠のいていく。
あの男なら一人で脱出して、一人で逃げおおせるだろう。
しかし、まだだ。もっと場をかき乱さねばならない。
ヴィクは弓を構え、石つぶてを弦にあてがい、キリキリと引いた。
発射。
先頭を走ってい た僧兵の背中に石が当たった。予期せぬ衝撃を受けた僧兵は派手に転倒。後続の二人が足を引っ掛けて相次いで倒れこむ。
「くせ者か!」
「どこに……」
つづけてヴィクは、僧兵達が持つ松明の火元だけを撃ち抜いて火を弾き消した。
さらに、同時に寺の中の灯りが消えていく。ぷつり、ぷつり。静かに、一定の間隔で、次々と。
これはディー・ランの仕業だった。彼は脱走直前に、寺中の蝋燭や灯篭に細工をしていたのだ。
たちまち、暗闇が辺り一面に広がる。
よほど夜目の利く者ですら目を凝らさねばならぬ程、真っ暗な世界となってしまった。
舞台は整った。
いよいよ、請負人達は仕事に取り掛かる。
暗闇に紛れ、ボロ布をまとったニトが境内 へ侵入する。
今回の標的は僧侶のニゼ、彼の側近、そして主人を裏切った庭師だ。
その一人、側近は庭に面した自室にいた。
彼は部屋の灯りをあえて消し、じっと暗闇の中に身を隠す事を選んだのだ。
しかし、それでも請負人から逃げることはできなかった。
ニトは窓の下にしゃがみ、手甲を嵌めた手で、窓枠を軽く叩いた。
「……誰か、いるのか?」
側近は裏返った声を発する。ニトは部屋の中から聞こえる微かな足音を捉えた。
音が後ろへ下がっていく。側近は警戒して窓から離れてしまったようだ。
これが罠であると見抜けずに。
次の瞬間、側近が小さな悲鳴をあげる。
突入するニト。その手には、納屋で拾ったスケート靴が握られていた。
部屋の中で側近は、天井から逆さ吊りにされていた。黒紐が太い脚に絡みつき、それが天井まで伸びているのだ。
側近は何か言葉を発しようとしたが、それより素早く、スケート靴のブレードが、側近の首を切り裂いた。
言葉の代わりに鮮血が出てきてしまった。
血を避けてニトは天井を見上げる。
黒紐を握るドモンは指を一本たて、それで自分の首を切る仕草をした。
もう一人始末しろ、という指示だ。
ニトは頷きもせず、庭師の始末に向かった。
庭師は屋外にいた。
先の騒ぎにつられて外に出た矢先に、寺中の灯りが消え、身動きがとれなくなったのだ。
ニトは無警戒な背後へ忍び寄る。
今、手にしているのは竹のスキ ー板。スケート靴の刃は、側近の首を薙いだせいで、ナマクラとなってしまったのだ。
きょろきょろ辺りを見回す庭師。その角度は浅く、首や体を回す度に、必ず死角が生まれる。
その中に、ニトはうまく溶けとんでいた。
そして、ニトは一度も気づかれることなく、必殺の間合いに入った。
「おい」
ぶっきらぼうに声をかける。驚いた庭師は反射的に振り返ってしまう。
彼には、ニトが突然現れたように見えた事だろう。大きく見開かれた目は、驚がくから恐怖へと色を変えていた。
請負人のニトは、スキー板で標的の無防備なみぞおちを突く。体をくの字に折り曲げて苦悶する庭師。
その間に、ニトは彼の首へ、スキー板を押し当てた。
「ひっ……」
冷んやりした感触に庭師は慄くが、もう遅い。
ニトは側面の刃を肉につき立て、なめらかに引いた。地面に残った雪が生暖かい飛沫で赤く染まった。
騒ぎはどうなったのだ?
因業坊主のニゼは、何も見えない本堂で立ち竦んでいた。
部屋に戻りたくとも、方角はおろか、自分の立ち位置すら掴めない。
だからオロオロするばかり。
「ふえぇ……」
情けない嗚咽を漏らし(ついでに袴も少し濡らし)て、二本進んでは三歩下がるを繰り返す。
その内に、背中をぶつけた。
ぎゃっと叫んで振り向く。
御主の木像だった。目と鼻の先にいるおかげで、御主の腹が立つほど涼しい顔が見える。
驚かせるな。忌々しく思いながら、御主像から離れようとし た……次の瞬間。
ぷすり。
何かが耳裏に刺さった。
確かめたくても全身が固まってしまったように、ちっとも動かない。
同時に五感全てが、体から離れていく。
少しだけ苦しい気がする。それ以外は全く何も感じない。
ニゼは恐怖した。死に近付いていく。こちらはただ、無抵抗に待つだけ。
激痛が伴えば、狂ったように苦しむことができる。少しは死から気をそらすこともできるだろう。だが、今は真っ正面から受け止めなければならない。
(お慈悲を……)
ニゼは御主像にすがりつき、それからズルズルと崩れ落ちていった。
柱の陰からヴィクが顔を出す。
ニゼが死んだと確認して、吹き矢を懐へ仕舞う。
放ったのは特製の針。先端には、 マヤジャに古くから伝わる製法で作った、強力な毒が塗られていた。
終わった。ヴィクは身を翻して、その場から駆け去る。
こうして、依頼を完遂した請負人達は散り散りに、闇の中へ消え去っていった。
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