食客商売7話-終「請負人、確定申告に奔走する」
それから2時間後。繁華街の小料理屋。
ヴィクはひっそり、喧騒の外で飯を食っていた。つきまとう陰気が他の客を拒み、周りも暗い顔をしたマヤジャの青年から距離を置いている。
人を殺した。だというのに、実感が薄い。
吹き矢を放った時の緊張は、どこかに飛んで行ってしまった。手応えもよく覚えていない。もう少しで忘れてしまいそうだ。
何が違う?
不意に、狙撃手ミトライ……狂気に堕ちた弟子が、脳裏によぎった。
あの時、ヴィクは狙撃の師匠として、彼女に引導を渡した。
引き金の感触。銃声。ライフルの反動。火薬のにおい。全て、はっきり覚えている。
どうして?
同じ「殺し」なのに。
相手はまったくの他人だから?
見ず知らずの人間には、どこまでも冷酷になれる。それはよく知っている。
でも、それが理由だとしたら、人はきっかけ一つで……。
嫌な想像は、とある客の登場によって、横に流された。
「おい。貴様は確か、マヤジャの……」
クーゼ・フォシャール。
マギル商会に出入りしている女剣士。面識はあれど、それぐらいしかヴィクは知らない。そして女剣士も、ヴィクの事を、店と取引をしているマヤジャという認識しか持っていなかった。
お互いに合わせた目を白黒させた。
「お一人さま?」
先に質問したのはヴィク。これは愚問だと、彼は心の内で、舌打ちをしていた。
「見ての通り」
案の定、クーゼはぶっきらぼうに答えた。
それから彼女も、バツの悪そうに視線を彷徨わせた。
「一緒にどうだ?」
先に口を開いたクーゼが、手前のテーブルを顎で指す。
しばし考えた後、ヴィクは頷いた。
理由は分からなかった。普段なら断っていただろう。
それはクーゼも同じだった。
「……その、浮かない顔をしているな」
移動してきたヴィクに彼女はそっと言う。
「そう見える?」
「見える。それに、理由も知っているから、余計にそう思ってしまう」
クーゼは女給に酒を頼み、話を再開した。
「レミルとお前の話をした。あのお節介娘、よっぽど貴様のことが心配らしい」
「レミルが?」
ヴィクはきょとんとする。
クーゼの前に蓋つきジョッキが置かれた。
「まあ、その、なんだ。アタシで良ければ付き合うが。どうだ?」
目を瞬かせるヴィクに、女剣士は言う。
「それとも、マギル商会に行く度に、歳下の少女にい慰められ、労られたいのか?」
「毎回、気が滅入ってしまいそうだ」
「だろう? ならば、ここで全て吐き出せ」
クーゼがジョッキを持ち上げた。おずおずとヴィクも倣う。
「……ありがとう」
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翌日。マギル商会。
漬物石が庭に張られた氷の上を滑っていた。ニトは縁側に寝そべりながら、流れ行く漬物石を目で追った。
「ここにいたか」
ドモンが声をかけてきた。
「見なよ、あいつらの真剣な顔」
ブラシを持った使用人が、必死に氷を磨いていた。その様子を、氷の周りにいる仲間達が固唾をのんで見守る。
「面白いのかしら、アレ?」
「やってみたら良いだろう」
「そうだねェ。気が向いたらやろう」
寝返りをうったニトは、まるで陸に上がったアザラシのようだった。
「先ほど、防人の一団が寺院へ向かった。ニゼに買収されていた汚職役人達も、今日中には全員、捕まるだろう」
と、ドモンは淡白に話した。
ふうん、とニトは気の抜けた相槌をうつ。
「主犯が死んじまったのに、今さら摘発ってのもねぇ」
「宣伝が目的なんだ。たとえ御主の使いでも容赦はしないと」
「……じゃあ、あとはコトが治るのをゆっくり待つとしよう」
「これで終わりだといいんだがな」
一件落着だというのにドモンの表情は硬いままであった。
「ああ、防人の長官のことを気にしてるのかい?」
ニトはドモンの横顔を見上げる。
歳をとるにつれて、ますます心配性が酷くなっているようだ。
だらけるフリをしながら、友人は苦笑する。
「どっしり構えていようぜ、婿旦那。心配して いたって『その時』が早く来る訳でもなし。遅くなる事もないんだから」
そう言って、ニトはまた、歓声をあげる使用人達へ視線を移した。
「ここに居たんですか?」
しばらくして、シャスタとレミルがやって来た。今朝から二人は、市庁舎まで出かけていた。
「すごい行列だったよ」
くたびれ顔のレミルが、ニトの隣にどさりと座る。
「税の申告、お疲れ様」
「ああ、待ってるだけで疲れたわい。ほら、ドモンさん。言われた通り、市民の務めとやらを果たして来ましたえ?」
と、シャスタは細めた目でドモンを見る。
「ご苦労」
ドモンはそれだけしか言わない。表情にも変化がなかった。
「それだけでっか? ちぃとは褒めてくださりませんこと?わっちの納めた税金が、回り回って、ドモンさんのお給料になるンのに」
シャスタはニトを押し退け、ドモンにべったり体をくっ付ける。やっと、主人の仏頂面が少しだけ崩れた。
「ねぇ、ニト」
思い出したようにレミルが声をかける。そして呟くように言った。
「あたし達、税金をいっぱい払ってるのよ。それなのに、どうしてお父さんの給料は上がらないのかしら?」
「そういえばそうだ」
ニトは家長へ顔を向ける。
家族からの視線を避けるように、ドモンはそっぽを向いてしまう。
彼の丸まった背中は何だかもの寂しく見えてならない。
「世の中、世知辛いわねぇ~」
シャスタはくすくす笑った。
(了)
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