食客商売8話「食客、中途採用される」
食客商売8話-1「食客、中途採用される」
――15年前の夜。
月が黒雲が覆い隠される中で、怪物は血を吐き、片膝をついていた。
地面にぶちまけられた赤黒の液体が、行燈の弱々しい灯りで妖しく輝く。
同時に弱々しい灯りは、ふるふる震える怪物の姿も曝け出していた。
怪物はまるで「ボロ切れのお化け」というような姿だった。
フードで顔を覆い隠し、薄汚い衣の下には傷だらけの防具。そして両手には、鎖を巻いた赤手甲をはめている。
「まだやるか?」
灯りの届かぬ暗がりから、男が怪物に声をかけた。
男は着物も外套も黒ずくめだった。
「その傷では、もう戦えぬだろう」
と、男は続ける。
対する怪物は、ぜーぜー息を吸っては吐きを繰り返すばかり。
最早、話す余裕すら無くないらしい。
手にした
「もう充分殺した。任務は終了だ」
辺りに転がる死体の数は尋常ではない。
ざっと30体はあるだろう。
暗闇の中にはもっと……。
「まだ」
もがり笛の混ざった掠れ声が返ってくる。
「おわってない」
怪物の体がわずかに揺れた。
瞬き一つ終わらぬ間に、怪物は男に肉薄していた。怪物の赤手甲には、折れた刃が鎖で巻きつけられていた。この怪物、一瞬で即席の暗器をこしらえたのである。
男にはそれに瞠目する余裕もなかった。紙一重で
間合いを取り、男は縄鏢を投げる。
怪物は、もう片手の鎖で飛んで来たひょうを絡めとり、逆に奪いとってしまった。
たちまち無手となってしまった男は、ほぞを噛む。
すかさず怪物は男に縄鏢を投げ返す。
鋭い鏢が男の胸を突き刺さ……らない!?
肉を叩く鈍い音が響いただけ。男は苦悶に満ちた顔で?を素手で掴んだ。
鏢はなまくらだった。
意を決した怪物は再度、突貫。手甲の刃を振るう。
その斬撃を男はかい潜る。
そして、鋭い当身を食らわせた。
満身創痍の怪物を倒すには、この一打で充分だった。それだけ怪物は消耗しきっていたのだ。
しかし、倒れる怪物から身を離した男は、警戒を解かず、縄鏢を握り直した。
この怪物は油断ならない。
男……ドモンは、露わになった怪物の素顔を睨んだ。
女。怪物の正体は、若い女だった。
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商人の街、サチャ。
巨大な運河と街中に張り巡らされた水路、そして内陸への幹線道路によって、古くから栄えてきた。
今日も街のあちこちで、東の衣を着た西の生まれの人が北の郷土料理を食べ、南の地酒に舌鼓を打つ光景が至る所で見られる。
活気は絶えず、栄華は衰えを知らない。
そんな街で、ドモンは暗殺稼業の傍ら、
市庁舎の役人として日々を過ごしている。
あるいは公務の傍ら、裏の仕事に手を出しているのかもしれない。
いずれにせよ、金を貰って人を殺しているのに変わりはない。
彼のような暗殺者を裏の世界では、
「請負人」
と呼ぶ。
標的は俗にいう悪党ども。つまり、悪が悪を人知れずに始末するというのだ。これほど変わった仕事はないだろう。
それはともかく……。
ドモンは一向に片付かぬ書類の山に、そろそろ辟易し始めていた。
無口、無表情、無愛想の三拍子を備えているとさえ評されるこの男にも、飽きはやって来るのだ。
「暇か?」
と、挨拶がわりに声をかけてきたのは同僚のコッパァ。彼は何かにつけてドモンのもとへやって来る。
「いいや」
つっけんどんにドモンは答えた。これは二人にとって挨拶のようなものだった。
「少しは休まんと、体がもたぬぞ?」
冷たくあしらわれてもコッパァはビクともしない。彼はドモン性格をよく知っていたし、むしろ、友人の冷たい反応を楽しんでいる節さえあった。
ドモンは帳簿をたたんで、体をコッパァへ向ける。招かれざる客は部屋の主人の許可なしに、手近な椅子に座っていた。
「暇になった。して、今日はどうした?」
無表情にドモンは尋ねる。
「またどうしようもない噂話か?」
「そうだよ。新鮮で、どうしようもない噂話を仕入れて来てやったのさ」
椅子の背もたれに頬杖をつき、コッパァは言った。
「最近、刑務所から脱走した山賊一味の話題で町じゅう賑やかになったの、覚えてるか?」
「覚えている。お前がわざわざその話をしにここへ来たからな」
「一人残らず死んだよ。今朝、河原にむくろの山ができていた。それはもう、うず高く積み上がって……」
「見に行ったのか?」
「行く訳ねーだろ。縁起でもない」
「では、むくろの山とは……」
「野次馬がそう言ってたんだって。俺はそれを又聞きしただけだよ!」
だろうな。ドモンは心の内で呟く。見ていたら、喋る気など失せるだろう。
脳裏に怪物と対峙した瞬間が蘇る。
あの夜。あの河原で。あの怪物が。あの女が。たった一人で、30人もの山賊一味を全滅させた。
その真相に辿り着く者は金輪際、現れる事はないだろう。
ドモンはあの夜の事を鮮明に思い出すことが出来た。
あの日、彼は殺しの依頼を受けていた。
暗殺目標は、あの山賊一味の頭領。しかし、その獲物は横取りされてしまった。
仕留めたのは、赤い手甲の怪物である。
そして怪物は躊躇なく、ドモンを襲った。
請負人は拾った刀で必死に斬撃を避けて、斬りかえす。反撃は防がれ、一度は武器も奪われた。
もし、
ドモンは鏢の切れ味を落として、あえて
理由は単に、尖った錘の方が、飛距離を伸ばせるからに過ぎない。しかし、その選択が、結果として彼の命を救ったのだ。
さて……。
かような事が起きていたと知る由もないコッパァは、あっけらかんと言葉を続けるのである。
「
この街の防人は、日和見主義なきらいがある。おかげでドモンは、暗殺を少し楽にこなせていた。
「しかし、呆気なく終わったもんだぜ。てっきりこれから、山賊と防人との大立ち回りが拝めるとばかり思ってたのによぉ」
「その手の話をご所望なら貸本屋に行け」
と、結んでドモンは仕事に戻る事にした。
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