食客商売6話-2「殺し請け負います」
食客、召喚である。
「……」
出て来ない。待てども待てども、食客は家の中から出て来ない。
シャスタとクーゼは真顔のまま互いを見た。
「こっち来い、ニト!」
シャスタは再び叫ぶが、やはり、出て来ない。
「こらあ! 早う出てこんかい!」
シャスタは激怒した。あの怠惰の塊を引きずり出さんと、一人、家に上がった。
シャスタは商人だ。武術など分からぬ。
しかし、ニトが大事から目を背けていることぐらいは分かった。
こなれたソファがある部屋へ、シャスタは大股で歩いていく。そこが、タダ飯食いの居候の定位置だった。
「ニト!」
乱暴にドアを開けた。
ニトの姿はなかった。
「に、逃げおったわい……」
めまいを覚え、シャスタは額に手をあてた。
あの面倒な客に何と説明しようか。
思案しながら店へと戻った女主人は、さらに頭を抱える事態に直面した。
戦いは既に始まっていた。
あろうことか、店の前で。
クーゼは先端に幅広の刃がついた杖を構え、ニトを睨んでいた。
対するニトは、ボンヤリつっ立っている。
片や武器を持ち、片や無手。
「ち、ちょいと!」
慌てて外に出ようとする彼女を、番頭のザムロが止めた。
「もう手遅れですよ、女将さん。俺たちには止められねぇ」
「で、でも……」
ちらりと、シャスタはクーゼの横顔を見る。彼女の険しい顔つきは悪鬼と喩えても足りないくらいの凶相であった。
シャスタの中でぽっきり意志が折れた。
「無理だわ」
「でしょう?」
二人は顔を見合わせた。
「ニトのヤツ、大丈夫なん?槍を持った女が相手なんだよ。しかも、素手だ」
遠巻きに見ながら、シャスタは不安げに呟く。
「手矛ですよ。クーゼの得物は、手矛っていうんです」
と、ザムロ。
「どっちでもよか。それより……」
「どうしてこうなったか、でしょう。あいつから近づいて行ったんです。何も持たずに。それから急に、ああやって互いに向かい合った」
ザムロの言葉にシャスタは絶句する。
「なして?」
「さて?何かあるんでしょう。武人様の取り決めごとめいた何かが」
そんなものはない。
クーゼは聞こえてくる話を心の中で一蹴した。
体の一部といってもいい手矛を構えたまま、ニトを睨む。
相手の女食客。体つきは良いが、緊張感に欠けている。
木偶の坊ならぬ木偶の嬢。脅威など感じられない筈だ。
なのに……アタシは、怖れている。
クーゼは訝しんだ。額に汗をにじませ、僅かに体を動かす。
相手からは何も反応がない。相変わらず、ぼんやりしていた。
真剣味のない女。上の空で浮ついているだけ。
本当に?
女食客にばったりでくわした瞬間、首筋に痺れを覚えた。
そして、反射的に手矛を構えてしまった。
迂闊なのは承知している。
しかし、あの時の直感に従わなければ、もしかしたら……。
ますます、クーゼは疑いと警戒を強めた。
その時だった。
「待たれよ!その勝負、待たれよ!」
馬に乗った男が二人の間に割り込む。
ポカンと乱入者を見上げるニト。手矛を下げ、クーゼは驚く。
「道場からの使いだと?」
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食客との仕合を切り上げ、クーゼは急ぎ、道場へと戻った。
「先生!」
師範の自室に入るや、他の門下生たちが一斉にクーゼへ視線を向けた。
年若い男がクーゼの元へ寄った。自分の口元に指をあて、小声で言う。
「大声を出しては先生のお身体にさわります」
「す、すまん」
謝ったのち、クーゼは若者に尋ねた。
「して、容態はどうだ?」
「薬を飲まれて、少し落ち着きました。ですが、当分は安静にせよと、お医者様が」
「うむ……」
クーゼは沈痛な面持ちで、ベッドの上の老人をみた。
老人は門下生たちに囲まれ、ひゅーひゅーと苦しげな呼吸を繰り返している。
「……ルゼット。いるのか、ルゼット。クーゼは、どこだ?まだ、帰って来ぬか?」
老人が呻く。
「先生」
クーゼが門下生たちをかき分け、ベッドに近寄った。その後に若者……ルゼットがつづく。
「こちらに。遅くなりました。申し訳ございません」
「ああ、帰ってきたか。すまんな、このような事になってしまって」
老人は謝った。クーゼは言葉を返そうとしたが、喉奥でつっかえて、何も言えない。その内に老人が先に言った。
「今度の発作で悟った。そろそろ、この体もおしまいだと。もうじき、大会が開かれるというのに、なんとも情けない」
老人がクーゼへ手を伸ばす。クーゼは枯れ果て、しぼんでしまった手を握る。
「ラグディオ、ムウス」
老人に呼ばれた2人の男達が進み出た。
「本来ならば、正式な場で言い渡そうと考えていたが、時間がない。よいか、お前達。今度の大会、我が道場からはクーゼに出場してもらう」
場がどよめいた。
「クーゼ様が?」
「確かに道場でも随一の実力者だが」
「しかし、先生は今……」
様々な反応が起こる中、クーゼは硬い表情のまま、老人の手を強く握った。
さて、このセスパタは大勢の門下生を抱え、多くの実力者を有する武術道場である。それに加え、名だたる有力者たちの寵愛を受けており、他の道場よりも規模は抜きんでていた。
その中でも特に腕の立つ高弟が、
ラグディオ・アディカ
ムウス・パタ
ルゼット・フィ・ラドクリフ
クーゼ・フォシャール
この四人。
稽古では彼らが指導役を務め、門下生達を鍛えると共に、己の技量を磨いている。師範が倒れようと、彼らはこの日も稽古に励んでいた。
「遅い!」
門弟を怒鳴りつけるクーゼ。彼女は稽古用の手矛を振ってどん臭い尻を弾いた。
手矛は杖ほどの長さを持つ柄の先に、幅広の刃を備えた長柄武器だ。
槍より短く、湾刀より長い。大人が簡単に振り回せる程度の長さで、扱いもさほど難しくない。
だからといって、すぐに修められるような武術ではない。それは、クーゼに軽くあしらわれ、コテンパンに叩きのめされる門弟共を見たら明らかだ。
「なんだ、なんだ。お前たちの体たらく、見るに耐えん!」
クーゼはへばる門弟共を見下ろし、怒鳴りつけた。
「全員、浜辺までの道を5往復走れ。その後で私から一本も取れぬようであれば、更に5往復だ!」
手矛の石頭で床を叩く。
「おっかねぇ」
「鬼だ。悪魔だ。死神だ」
難を逃れた生徒が慄く。
「よそ見しない。さ、次はどなたですか?」
飄々とルゼットが言う。
「では自分が!お願いします!」
肩を怒らせた暑苦しい大男が進み出た。
「あまりにも酷い方は、クーゼさん直々に稽古をつけてもらうよう、私から頼んでおきますので。皆さん、心して掛かってきなさい」
爽やかな微笑と言動が余りにもかけ離れていた。
瞬く間に門弟たちの間に冷たい風が吹き込んだ。
さらに更に、道場の端では苛烈な打ち合いが繰り広げられていた。
「もっと早く!より強く!どうした、その程度か!?」
眼帯を巻いた男が胴間声で叫ぶ。
ラグディオ・アディカだ。隻眼でありながら、次々と繰り出される弟子の連続攻撃を躱し、際どい突きを傷だらけの手矛で防ぐ。
「まだだ。まだだ。たわけ!」
弟子の渾身の一打が傷だらけの防具を掠った。
互いの肩と肩がぶつかり合う。アディカは弟子の襟首を掴み、傷だらけの片手で床に組み伏せてしまう。
それから目にも止まらぬ速さで弟子の首に手矛をあて、アディカは悪鬼の如き笑みを浮かべた。
「うつけ者めが!突きを放った時に気を緩ませたな。一本取れたらそれで良しか?」
三人の高弟達に解放された門弟達が休憩に入る。
一部、クーゼによって走り込みを命じられた者達が遅れて休憩を取り始めた頃、ムウス・パタが道場に現れた。その後ろを、彼の弟子達がぞろぞろと続く。
「さすがだぜ。パタ先生への信頼がそのまんま表れてやがる」
誰かが呟いた。
「人が多いからって、わざわざ時間をズラして練習するんだぜ。まったく、師範代様さまは違うな」
別の誰かが小声で、囁くように言う。
広い道場はムウス一派で占拠され、休みをとっていた門弟達は外へ出た。
こういう時、どこにでもある〈派閥〉というものが、あからさまに表れる。
ムウスはいずれ師範の座につくだろうと噂されている男だ。
それも、持ち前の政治力と派閥の力によって。この場合、実力云々は二の次にされてしまう。それを影で揶揄する者は少なくない。
「それがどうした」
不意にアディカが低い声で言ったので、多くの門弟達が竦み上がった。
道着の間から見える肌には、所狭しと傷や痣がついている。
さらに無造作に束ねたざんばら髪、左目の眼帯と獅子を連想させる精悍な顔は、野性味溢れる武人のものだった。
更に日頃の厳しい修練が相まり、彼は畏怖の存在として、距離を置かれていた。
すくっと立ち上がり、アディカは歩き出す。
「どちらへ?」
ルゼットが尋ねた。
「所用だ。夕方の稽古までには戻る」
そう言っている間にも、アディカの背中は遠ざかっていった。
「では私も。各自、体を休めてください」
ルゼットもにこやかに言って場を離れた。
「……今度の大会、俺はてっきりあの人が推挙されると思ってたんだ」
高弟二人がいなくなった途端、誰かが声をひそめて言いだした。
「止せよ」
「実はあっしも。ムウス・パタはもやしに毛が生えたようなちんまい野郎で、負けるのは目に見えてら」
「クーゼ様は確かに実力はあるぜ。でもよ、俺はやっぱり、ルゼットさんが適任だと思ってんだ、今でも」
「噂で聞いたんだけどさ、ルゼットさんは自分から辞去したそうだ」
「へぇ、野心のない人なんだぁね」
クーゼ、ルゼットの両名は道場の角に立ち、噂に花を咲かせる門弟達を見ていた。
「まったく。困りましたね。これは大会が終わっても、しばらくは尾を引きますよ」
「それが何だ」
憮然と言い放つクーゼ。
ルゼットはやれやれと頭を振った。
「あなたもですか」
道場の派閥は、高弟4人それぞれに弟子たちが集まり、ごく自然に誕生した。
最大勢力のムウス一派と、その次に規模の大きいアディカ派。ルゼット、クーゼを慕う者達はどちらにも与しない、いわゆる中間派だ。
「本来、アタシは修行中の身だ。他人にかまけている余裕などない」
「困りましたね。これから大会を制して、防人の指南役を担うであろうお方が、このようなお考えでは」
「ふん。役不足なのは承知している。だから皆は、お前を、と言っていたのに」
クーゼはそっぽ向く。
「なぜ、辞去した?」
「それこそ役不足だからです」
にべもなく答えたルゼットを、クーゼは湿った目つきで睨む。
「クーゼ様らしくありません。周りが何と言おうと我が道を往くあなたが、何てことはない戯言を気にしておられる」
「気にしてなど……」
「とにかく、あなたは我らの思いを背負って大舞台へと上がるのです。迷いはお捨てなさい」
物腰は至って穏やかだ。
しかし、クーゼは彼の目の奥に宿る鋭い光を見逃さなかった。
「僕は信じております。あなたが大舞台に立つに相応しいお方であり、充分な力を持っておられると。胸を張って」
このやり取りを見ている者は一人だけ。その存在にクーゼ達は気づかなかった。
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