食客商売6話「殺し請け負います」

食客商売6話-1「殺し請け負います」


 朝陽が昇る。

 雲の少ない寒空の下で海は橙色に輝き、砂浜には陽に彩られた白波が打ち寄せる。


 鳥達が浜辺でいななく。砂に埋まった貝をついばみ、寒さに体を震わせる。

 そんな彼らだったが、急に羽をばたつかせ、空へ飛び上がってしまった。


 鳥たちは驚いたのだ。

 寝起きの彼らを驚かせたのは無数の足音だった。地面を震わせる振動だった。

 それらは、遠い彼方からこちらへ近づいて来ていた。

 波の音すらかき消す屈強な男達のかけ声と共に。

「イヤッサアアアッ!ハイッ!!」

「キャベッジイィィンッ!」

「ジョイヤッササジャァアアアッ!」

 くすんだ白い道着姿の彼らは、全身の筋肉を震わせ、声を腹から振り絞る。


 全員の手には、先に布を巻いた杖が握られていた。それを抱え、波打ち際を裸足で走っているのだ。

 その中に、若い女が一人だけいた。男たちと歩幅を合わせ、一際大きな声を張り上げていた。


 集団はやがて緩やかに足を止め、呼吸を整える。

 やがて彼らは整列して杖を構えた。

 そして、一糸乱れぬ動きで杖を振るい始めた。

「オオタイィサアアアァァァンッ!!」

「イチョオォォヤッ!クウゥ!!」

「ラッパァァ」

「ノマァァクゥ!!」

「ッッッショオオッセイヤーックッ!」

 肉から迸る熱気。滴る汗。朝の冷気が次第に温められていく。

 朝陽を背に受けながら、武術道場の門下生たちは稽古を続けた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「武道大会?」

 食客・ニトは、怪訝な面持ちで器から顔を上げる。

「防人に武術を指南する<教頭>を決めるんだと。実際に戦わせて、強いヤツを召しとろうってのサ。手っ取り早い決め方さね」

 早めの昼食の席で、女主人のシャスタが言った。


「この話に真っ先に手を挙げたのが、街の武術道場なんよ。ウチの師範は、うちの高弟はと、わいのわいのとやって来たんだって」

「お上とお近づきになれる、またとない機会だもの。そりゃあ、張り切るよねぇ」

 ニトは心のこもらない返答をし、器に顔を戻す。


 竹の箸で熱々の麺を掴み、大きく開けた口をに運ぶ。

 醤油と魚介ダシで作った特製のつゆ、蕎麦麺の風味と食感が口の中を心地よさで満たす。同時に、こう訴えてくるのだ。

 もっと食べろと。


「あんまりにもうるさいんで、結局、大会に出られるのは各道場一人だけ、という制限がついちまったとさ」

「へぇ」

「他人事みたいに言っちゃって」

 呆れながら、シャスタはつゆにクローケ(注・潰した芋とひき肉を混ぜ合わせた揚げ物)をつゆに浸した。


「せっかくだし、会場回りをうろついて、稽古つけてもらって来たら?」

「何でさ。嫌よ、あたし」

 ニトはつゆまでゴクゴク飲み干して、器を空にした。


「何のために、おみゃあを店に置いてると思うとんの?」

 じっとり、シャスタは居候を睨んだ。

 睨まれている居候は、いつものようにのらりくらりと躱す気でいた。

「何の為でしょうねー。そういえば、いまいちハッキリしてないよね、そこんとこ」

「まさかアンタ、これからもずっと、何もせずに食っては寝てを繰り返すつもり?」

「さすがにずっとは無理かなぁ」

 ニトはのほほんと答える。


「だったらここで、ジブンが店にいる価値ってのを、わっちに見せんといかんな?」

 低い声で言いながら、シャスタは身を乗り出した。対するニトは空になった器で身を守りながら、上体だけのけ反らせた。



 雑貨屋マギル商会には食客がいる。

 食客とは、寝食の見返りに己の技能を提供する者の呼び名だ。

 しかし、このニトという名の女食客は何もしない。怠惰な猫のようにゴロゴロしてばかりなのだ。


 店を手伝うこともあるが、身のこなしは鈍臭く、手際もぱっとしない。

 そんな彼女が店に居座るようになって15年が経つ。その間に女主人は一人娘のレミルを産み、娘は店を手伝う利発で健気でお淑やか(自称)な少女に成長した。


 しかし、相変わらず食客は怠け者のままだった。幼いレミルの世話もしたが、食客としての務めを果たした所を見た者はいなかった。


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 ある日のこと。

 店に若い女がやって来た。

 女は先端に革袋をかぶせた杖を携えていた。

「はいな。どちらさんで?」

 丸い顔には愛想のいい笑顔を作った番頭が、女に近づく。


 店の娘レミルより、ほんの少しだけ歳上のように見える。長身で年不相応に落ち着いているが、まだ少女だった。

 癖のある髪を肩まで伸ばし、垂れた前髪の下で、鋭い猛禽の目を光らせている。

 女は眉間にシワができるほど目をつり上げていた。元からなのか、意識的にやっているのかは判別できない。

 ただ、近寄りがたい雰囲気を出しているのは確かだ。


「お眼鏡に叶うものはございましたか?」

「食客」

 ぶっきらぼうに女は言った。

「はて?」

 番頭は丸い目をいっそう丸くした。

「この店に食客がいるだろう。そいつを出してくれ」

「は、はあ。失礼ですが、どちら様で?」

 番頭は女にまっすぐ体を向けながら、一方で店内の使用人達に合図を出した。

 厄介ごと発生。


 すぐに腕っぷしの強い若者が出口を抑え、用心棒をこっそり掴む。

 女は背後の気配を察知したようだ。制するように鋭く言った。

「荒事は起こす気はない。この店の食客とさえ手合わせするだけだ」

 そして、女は名乗った。

「クーゼ。クーゼ・フォシャール。セスパタで武術を学んでいる。早く、食客を出してくれ」


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「セスパタっていえば、この街でも指折りの道場だ」

「そこの御人が食客と手合わせしてぇんだと」

「手合わせって……つまり、戦うっての?ウチのあれと?」

 店の裏で使用人達は口々に言い合う。


「ぎょええ!?」

 マギル商会の一人娘、レミルはすっとんきょうな声をあげた。

「無理だよ……」

 少女は太い眉を八の字に曲げる。

「ウチのニトが勝てる訳ないじゃない。みんな、あいつがまじめに稽古してるの、見たことあって?」

「ない」

 皆は即答する。


「頭下げたら帰ってもらえる人、ザムロ?」

「ダメっすね、お嬢。あれは目的果たせずに死んだら、自力で墓から出てくるクチだ。生粋の頑固者だ。そんなのを納得させろと?」

「無理な話だよねぇ」

 レミルは店の方を見た。

 母のシャスタが代わりに応対をしているが、やはり挑戦者が帰る気配はない。


 女将の判断やいかに。皆は固唾をのむ。


「ニト。ちょいと来な!」

 しばし後、シャスタは大声で呼んだ。


 食客、召喚である。

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