食客商売6話-3「殺し請け負います」
その日の夜。マギル商会からやや離れた場所に建つ朽ちた小屋。
ろうそくの微かな灯りに照らされた、数人ばかりの影があった。
「するとお前さん。道場まで、あのクーゼを尾けたってぇのかい」
と言ったのは、番頭のザムロだ。
「うん。ちょっと気になったから」
答えるのはニト。愚鈍に振舞う食客だ。しかし、今の彼女は様子が違う。
「あたしを指名した理由は、最後まで分からずじまいだったけれども」
「向こうも、それどころじゃなくなったようだからな。これでいいのかもしれん。余計なことには、首を突っ込むものじゃあない」
「長老ぶった話し方をしやがって」
ニトは嘆息した。
「しかし、驚いた。こっそり逃げた筈なんだけど、こっちに気づいて外に飛び出してきた。しかも、説明なしにいきなり手矛を抜いてさ。参ったよ」
「手練れなのかい、やっぱり」
「だろうね。場数は踏んでないけど、それ以上に才能に恵まれているんだ。怖いんだよな、ああいうのは」
「もし、何かの縁で戦うとなったら、勝ち目はあるか?」
と、ザムロは尋ねた。
ニトは鼻で笑う。
「馬鹿な質問はおよし。向こう何十年経ったって、そんな日は来やしないさ」
これでクーゼとの縁は切れた。この時、ニトはそう思っていた。
しかし、それは間違いだった。
------------―――------------―――――――――――
二週間後。時刻は正午を回ったばかり。
クーゼは酔っ払いと出会った。
そんなのは世に掃いて捨てるほどいる。
その酔っ払いは坊主だった。
が、酒で乱れる坊主も珍しくなかった。
だが、派手な着物を着崩した、ざんばら髪の酔いどれ坊主は、世間広しと言えど、お目にかかれやしない。
加えて、夜鷹らしき女二人の肩を抱き、天下の往来を我が物顔で闊歩する坊主など、もはや魑魅魍魎の親戚といっても過言ではない。
道行く通行人は奇異の視線を酔いどれ坊主へと向けていた。無視しようにも、派手な装いに嫌でも目がいってしまう。
「母さま。あれ……」
「しぃ。見てはなりません」
母親と思しき女が子どもの前に立ち、視界を遮る。
「あんな大人になってはいけませんよ」
「はあい」
これは別の親子連れの会話。
クーゼは最初、素通りしようかと思った。
だが、気になってしょうがない。
あの坊主は何者なのか。何ゆえ、あのような目立つ振舞いをしているのか。
気づいた時には足が勝手に動いていた。
気づかれないよう注意を払って後を追う。
酔いどれ坊主の一行は、寂れた茶屋の店先で腰を下ろした。
すぐ横は水路。桟橋には小舟が一艘。
後で舟でも借りよう。クーゼはそう考えながら、坊主に近づく。
何をしているのだろう。自分でもバカだと思った。
「もし」
「あんだい、お前さん。俺ちゃんに何の用?」
坊主が上目遣いに尋ねる。黙っていれば長髪の色男なのに、口を開くだけで卑しさが倍増する。
「貴様に興味を持った。何者なのか、と」
正直にクーゼは答えた。
「見ての通りさね」
両脇の女達をがっしり掴みながら坊主は答える。片方の手が夜鷹の着物の内へ滑り落ちていた。
不愉快な男。
アタシは馬鹿だった。
遅い後悔の味にクーゼは内心で舌打ちをする。
「煩悩まみれの俗物にしか見えんが?」
「人は皆、煩悩まみれよ」
男は言った。
「すべて煩悩。すべて我欲。それが人を人たらしめる」
「では貴様は最も人間らしいと?」
「その通り。道行く者達は俺様を見て学んだことだろう。子どもにも良い手本となったであろう」
平然と言ってのける坊主。夜鷹達がくすくす笑う。クーゼは坊主を睨んだ。
「今までも散々訊かれた。その度に俺は答えた。僧籍に身を置くただの人間。
数え歳で28の男。いくつもの街と数えきれんほどの酒場を渡り歩いた流浪人。
名はディー・ランだと。何度もね」
不良坊主のディー・ランは、夜鷹が酌をした酒を一口で飲み干した。
美味そうに酒を飲み、嬉しそうに女の身体を触る。
これを俗人と呼ばずして他になんと呼ぶ。
呼ぶとすれば。クーゼには断言できた。
たった一文字。
屑。
「俺は名乗った。なら、お嬢さん。あんたも名乗れ」
「その次はわたいらが名乗りましょうか?」
と、夜鷹が訊く。
「いらん、いらん。俺ちゃん忘れっぽいの」
「薄情なお人だわぁ」
ディー・ランと夜鷹達が声をあげて笑い出す。それに腹をたてたクーゼは、大声で名乗った。
「セスパタの門弟が一人、クーゼ・フォシャールだ!」
「……へぇ、武道家の卵だってえのか」
ディー・ランが小声で呟く。一瞬で、緩んでいた顔つきが変わった。
目に宿した光にクーゼは思わず身構える。
この男、似ている。女剣士は先日の食客を思い出した。
ディー・ランは女達から腕を離し、ゆっくり立ち上がった。
「ンだよ。手っ取り早い方法があンじゃねェか。俺ちゃんのこと知りたいって?だったら、これあるのみ」
ディー・ランは拳を掲げて見せた。
「背中にしょっているのは手矛だろう、女ァ」
「いかにも」
クーゼは頷く。思ってもみない展開になった。
「その手は何だ?」
「無粋な質問するンじゃあねェ、女剣士サマ。決まってンだろ。喧嘩だよ、喧嘩ァ」
「喧嘩」
「そうだ。アンタは手矛を振り回し、俺は拳を振るう。簡単なことだろう」
驚きと僅かな期待で胸が勝手に小躍りを始める。
「確かに。異論はない」
クーゼは手矛を地面に突き立てた。
怪訝な顔になるディー・ランに彼女は言い放つ。
「これで対等に戦える」
「いいの、得物使わなくても?」
「これしきのことで使っては……」
クーゼは口を閉じて軽くのけ反った。
鼻先から僅か3寸の位置を、ディー・ランの拳が通過。
不意打ちである。クーゼは卑怯坊主から離れ、構えた。
「貴様!」
「先に言っただろう。喧嘩ッてよォ!」
曲げた両腕で顔を守りながら、ディー・ランは突っ込んで来る。
既に戦いは始まっていた。
クーゼは気持ちを切り替え、お返しといわんばかりに掌打を繰り出す。
が、太い腕の壁に阻まれる。
硬い。この男、鍛えている。クーゼは先ほどまでの評価を、あらためざるを得なくなった。
夜鷹達がやんやと手を叩いて喜ぶ。呑気だなと女剣士は呆れる。
「こっちの方もイケるクチかい」
ディー・ランは両腕を振って薄笑いを浮かべる。
「何だろう。貴様が言うと無性に腹がたつ」
「そう言いなさんな。ンじゃあ、イクぜ!」
ディー・ランは身体を小刻みに揺らしながら、左右の拳を打ち込む。
ひらりひらりとクーゼに躱されても、猛攻は止まらない。
反撃の前蹴りは身体を沈めて避ける。
細く、引き締まった脚。見惚れる暇なかった。
その脚を曲げ、女剣士は膝蹴りを坊主に見舞う。
腕を交差して坊主は鋭い一撃を抑え込む。
逃しきれなかった衝撃が隙を作った。
ディー・ランにとっては致命的な一瞬。クーゼにとっては好機。
女剣士が半歩踏み込む。
足刀蹴り。
直撃。
しかし、ディー・ランの強固な腹筋が、彼女の渾身の一撃を防いだ。
一瞬だけ、彼は顔を歪ませた。
だが、すぐに平静を装い、
「ヤる事が派手だねェ……」
と、驚いてみせた。
「喧嘩だからな」
クーゼは蹴り脚を戻しながら言う。
「先の発言は取り消す」
彼女が突き刺していた手矛に手を伸ばした時だ。
甲高い笛の音が響いた。
「防人だな」
防人とは、この街の治安維持組織の名前だ。
同時に、組織に属する役人の通称としても使われている。
だから、見回り中の役人の事も防人と皆は呼ぶのだ。
「こっちに来るらしい」
ディー・ランは頭を掻いた。
クーゼは急いで手矛を肩に担ぐ。
今度出場する大会を主催しているのは彼らだ。
試合前に喧嘩沙汰を起こしていたと知れたら、面倒な事になる。
「この喧嘩、しばし預ける」
「おう。俺は街中をうろついてっからよ。見つけたら声を掛けな」
そう言うと、ディー・ランも夜鷹達を軽々と小脇に抱きかかえた。
「いつでも相手してやる」
坊主は笑う。
気持ちのいい笑顔に見えた。先ほどの不快感など、どこにもなかった。
「では」
「じゃあな」
二人は別々の方角へ駈け去った。
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