食客商売5話「婿旦那の浮気は成功するのか?」

食客商売5話-1「婿旦那の浮気は成功するのか?」

「婿旦那様が浮気?」

 雑貨屋マギル商会の蔵に少女の声が響く。

 名前はユコ。この店の使用人だ。

 相当驚いたらしい。なかなか治らない猫背が、この時ばかりはピンと伸び切った。


「声が大きい!」

 と、ユコをたしなめるもう一人の少女。

「お嬢も声がデカいよぉ」

 続けて大人の女が、のんびりと言う。


「レミルお嬢様。どこでそんな話を?」

 ユコは上目遣いに少女を見る。

 マギル商会の一人娘、レミルは浮かない顔つきで答えた。

「信頼できる情報筋から」

「なんです、それ?」

「正直に父さんの同僚さんって言えば?」

 大人の女が口を挟む。大人の余裕か、それともただ呑気なのか、彼女は酷く落ち着いていた。

「ニ ト!」

 主人の娘は眉をつり上げた。食客のニトは大人しく口を噤んだ。


「市庁舎の役人さんが?」

「職場でもちょっと噂なってるみたい」

 レミルの言葉を聞き、ユコはぽかんと呆けてしまう。

「で、でも。あの婿旦那様が。まさか」

 少女は躊躇ったが、意を決して言う。

「女の人はおろか、人と親しげに話す姿が全く想像できない御方ですよ?」

「ユコ……」

 レミルは話しを遮るように口を開く。


「だってお嬢様!」

「分かってる。娘の私が言うのもアレだけど……お父さんって、よく結婚できたよね」

 レミルは正直に言った。

「それもよりによって、相手はお母さん」

「娘にすら疑問を抱かれるとは」

 やれやれとニトは肩をすくめた。


 〇〇〇

 マギル商会は中堅ど ころの雑貨屋だ。

 店を切り盛りするのが女商人のシャスタ。

 彼女はレミルの母親で、良からぬ噂の男、〈婿旦那〉の妻でもある。


 そんなシャスタは、浮かない顔で鉛色の空を見上げ、嘆息していた。

 憂いが増す寒い季節にしても、気っ風の良い彼女が落ち込むのは滅多にない事だった。

 女主人の異変に、店の使用人達は声を押し殺して驚いていた。


「女将様は噂のこと、ご存知なので?」

 ユコはレミルに尋ねた。二人の少女は、物陰から机に突っ伏してため息を吐き続ける女店主を盗み見ていた。

「たぶん知らない。みんなも、お母さんがいないところで話しているみたいだし」

「では、どうしてあんなに気落ちしているのでしょう。やはり、別の原因 があると?」

「かもしれない」



同時刻。市庁舎の事務室。


 役人のドモン・マギルは、方々から送られてくる書類全てに目を通し、計算違いがないか、誤記がないか、一つ一つ確かめていた。


 問題なしの印と署名を書きいれる。

 間違っていれば作成者の元へ赴き、修正するよう指示する。正しければ、別の部署で正式な手続きしてもらうよう手配をする。


 さらに全役人宛の小包や書簡を捌き、逆に彼らが送る書簡などを、お抱えの配達夫達に割り振る。

 彼は何十年も事務室の片隅で、増殖を続ける資料の山と本の壁に囲まれながら、黙々と業務をこなしているのである。


 ……不良役人どもを尻目に。

 ドモンは筆を置いて後ろを振り返る。

 男達が茶と菓子を囲み、わいのわいのと騒いでいた。


 馬鹿笑いをする者がいれば、一心に菓子を口に頬張る者もいる。全員、市庁舎の役人達。持ち場から逃げて、勝手にやって来ては勝手に騒ぎ、勝手に帰っていくのだ。


「んで、そこの女中のケツがでっかくいの。鷲掴みにしても、手から溢れ落ちるんだわ、これが!」

 招かれざる客がやって来ても、ドモンは何も言わない。迎合する訳でもない。机に向かい、静かに仕事をする。それだけ。


「ドモン。今の話、聞いてたかい?」

 口ひげを蓄えた年長の役人が矛先を向けてきた。

「ええ。少しだけ」

 言葉少なく答え、口を閉ざしてしまう。


 手慣れた客人たちは、ドモン抜きで雑談を続ける。怒る者はいない。皆、この部屋の住人が滅多に話さない男だと知っていた。


 無口な男が沈黙という服を着て、寡黙のお面をつけて歩いている。

 それがドモン・マギルという男なのだ。


 会話と相づちは必要最小限。愛想笑いは一月に一度あるかどうか。喜怒哀楽に至っては人生で一度拝めるかどうか。散々な言われ様だが、あながち的外れではなかった。


 そんなドモンに、コッパァという名の役人が声をかけた。

「それで、ドモンちゃん。あの噂は本当?」

「噂?」

 ドモンが食いつく。


「一体、なんの話でしょうか?」

「とぼけちゃって。あんたも隅に置けないぜ。朱に染まらないようなフリして、ちゃっかり女なんて作ってさあ!」

「女?」


「 そうそう。お宅が 浮気してるんじゃないかって噂が流れてんの。幸い、俺ら含めて数人しか知らないけど」

「慣れない事をするからすぐにバレるのさ」

 同僚たちの言動にドモンは困惑する。表面上は眉ひとつ動いていないが、彼はここ数ヶ月で、一番動揺していた。

「あの……言っていることの意味が……」


「なぁに俺たちにしらばっくれてんだ!?」

「隠そうたって無駄だぞ?さあ、いい加減に白状したらどうだ!」

 ドモンはこけた頬を指で掻く。

「身に覚えがありませぬ」

「もう少しマトモなとぼけ方ができんのか、お主は?」

 口ひげの年長者がにやつく。


「最近、色街をふらついてるそうじゃあないか。それだけじゃあない。殆ど足を運ばない飲み屋にも頻繁に通ってるとか!」

 追求を 受け、ドモンは目を瞬く。

「確かに行きましたが……」


 ここぞとばかりに、コッパァが威勢良く畳み掛けに来る。

「言い逃れしようとは思うな!懇意にしてる夜鷹から、ちゃーんと時間と場所と人相を聞き出してんだ。鉄仮面めいた無表情といえば、世界広しといえど、アンタだけだ」

 彼は、馴れ馴れしく肩を組んできた。

「奥さんにバレたら流石のあんたでも、顔を歪ませるだろうねぇ。楽しみだねぇ」

「……」

 ドモンの堪忍袋の尾が、プチプチと、音を立ててキレ始めていた。

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