食客商売1話-3「あんた、この食客をどう思う?」
その後。
「騎士ってなァ、これまでにない位、落ちぶれたのヨ」
レミルの母、シャスタ・マギルは、静かに帳簿を閉じた。
「まア、わっちの話しを聞きな、レミル」
短い茜色の髪をいじり、陽に焼けた彫の深い顔を娘へと向け、椅子に座ったまま細長い脚を組み直した。
娘は膝をつめて耳を傾ける。
「みィんな没落したんだ。騎士共は何すんにも金がかかっちまう。中にゃ、土地も家も手放して、二束三文の足しにする輩もおる」
シャスタは変わった話し方をする。何でも、祖父母に連れられ、各地で行商の旅をしている内に、言葉や訛りが混ざってしまったそうだ。
これは店を開くより前の、ずっと古い話。母がまだ子だった頃の昔話。
そして今は、今の話をしている最中。
「あちこちで戦争とまではいかないけど、国同士の小競り合いなんて、しょっちゅう起きているのに?」
と、レミルは言いながら、椅子の上で脚をぶらぶらさせ始めた。
今日もどこかで国家公認の私掠船が船を
襲って金を稼いだり、兵隊くずれ同士が国境を挟んで撃ちあったり、村を襲ったり。
どったんばったん大騒ぎ。
小さないざこざなら日常茶飯事。
誰も深刻に捉えるような気配がない。
みんな感覚が麻痺しているのかも。レミルは、そう思わずにはいられない。
一昔前に大きな戦乱があったそうだから、それに比べたら些細過ぎて、みんな気にならなくなっているだけなのかもしれない。
シャスタはアーモンド形の目を細めた。
「王様に仕えるような騎士が出張る規模でもないからネ。その肝心の稼ぎ口、戦争だって、ここんトコは鉄砲やら大砲でカタがついちまう。ちィとも活躍できんのネ。
だから金が入る所か、いらぬ出費で余計に貧しくなるンだ。でも何にせよ。血生臭いのだけは勘弁して欲しいわア……」
想像は身内の言動に否定された。
戦いはうんざり、といったシャスタの顔に娘は安堵する。
「レミル。さっき決斗と言ったかい?」
「うん」
「たぶん、そいつァ昔からある、強盗騎士共のやり方さね」
「強盗騎士?」
レミルは頭の上に疑問符を浮かべた。
「騎士の身分を持ちながら、強盗や盗賊を働く手合いのことです、お嬢」
と、親子の横を通りかかった男が代わりに答える。
番頭のザムロ。先代の頃から店で働く一番の古参であった。
恰幅が良いを通り越し、肥えた体はもはや丸だった。顔と丸い。太い四肢も丸い。目も鼻も、ふくよかな耳も丸い。
彼を構成するパーツすべてが丸い。
丸い男であった。
「昔は制度を悪用して、合法ギリギリの身代金誘拐もやってました。それでも野盗よりはお上品にやってたんですが。この所は、天下の往来でも好き勝手にやる無頼が増えてきているんですよ。それだけ、ふところ具合も悪いってことです」
ザムロに質問したら大体の答えが返ってくる。おかげでレミルは、幼い頃から彼から様々な知識を仕入れる事が出来た。
それが役に立った試しはないが。
「良くあるのは難癖つけて決斗をけしかける手口。そして恐喝紛いの交渉に持ち込み、相手から示談金を巻き上げるんです。
命盗られちゃ堪ったものじゃありません。相手は泣く泣く、金を払う。どれだけ理不尽でも、こっちに落ち度が無かったとしても」
「ひっどぉい……」
レミルは口許を両袖で覆い、顔をしかめた。ザムロも困り顔で二度も頷く。
「悪党だねぇ」
いつの間にか、ニトまでもが話しの輪に加わっていた。
乾燥させた葉に五本のキリッポを包み、片手にも食べかけを手にしている。
「姿が見えないと思ったら、わざわざキリッポを買いに行っていたの?」
レミルはまたも肩を落として溜息をつく。
ニトは心情を察する気もないようで、美味しそうにキリッポをむしゃむしゃ食べる。
「昼間にあンだけ食べといて、まだ食うか。ホンっとに性もないヤツねェ……」
「腹が減ったらなんとやら、だよ」
面と向かって主人から苦言を呈されても食客はビクともしない。
「ついでに食べ歩きもしてきた。お嬢と一緒に通りかかった露店のが一番美味かったから、お土産」
と、食客はにっこり笑い、包みをレミルへ渡した。
ぶつぶつ聞き取れない小言を並べながらも、レミルはキリッポを一本、手にした。
シャスタもやれやれと肩を竦めるだけ。
それを見たザムロが吹き出す。
「なるほど。この笑顔にころっと騙されて、お嬢も女将さんも、ニトを甘やかしちまうんですな」
何も言い返せず、母娘は項垂れた。
たぶん、その通りだ。
レミルは納得した。こんな食客が家に居続けられるのも、私達が甘すぎるからだ。
でも、これ以外に理由があるのかしら?
―――――――――――――――――――
その日の夜。
「昼間に起きた自殺騒ぎですがね」
夕食を皆で囲んでいる時だった。ザムロが徐に話題を切りだす。
所帯の小さな店だからなのか、使用人が主人と食卓を囲んでいる。この光景を珍しがられるが、マギル母娘にとって、これが当たり前だった。
さて……。
「止めンさい。ンな話聴きとうない」
顔を曇らせ、シャスタは厭々かぶりを振った。
「耳に入れて損はないですぜ、女将さん。
俺達も無関係といかないかもだ」
レミルも同席していた使用人達も、思わず食事の手を止めてしまう。
唯一、ニトだけがそ知らぬで、シチューを無作法に啜っていた。行儀の悪さをレミルは指摘してやりたかったが、先ずは目前の話に集中することにした。
「どういう事よ」
さすがにシャスタも訊かずにはいられなくなったらしい。
「昼間の騎士ども、悪どいやり口で荒稼ぎしてるそうなんです。噂に違わぬ大悪党なんだから、用心に越したことはないでしょう」
「ほう?」
「決斗で死んだのは、小姓のヴェトロって男で、昼間に自殺したのは、その婚約者。
この女に、件の強盗騎士共がしつこく付きまとっていましてね。色恋沙汰なら、少しはロマンスがあったが、例によって原因は金。
女はしつこく強請られてたんです」
「おっかねぇ話しだこと」
ニトが小声を挟む。
「そして、騎士連中を追い払うのに颯爽と立ち上がったのが……」
「ヴェトロ。話しが見えてきた。決斗で勝負をつけようとしたんだネ」
先を読んだシャスタが横から言う。
「仕組まれていたんすよ、最初から。立会人はもちろん騎士の仲間。結果はご存じの通り。きっと、騙し討ちだったんだろうな。
泣けるよ、本当……」
ザムロは大きく息を吐いた。
どんより。夕食の席に重い空気がのしかかる。誰もが口を閉ざし、やり場のない感情を抱え込む。
「いやァ。すんません。不謹慎な話しで」
ぺこりと頭を下げ、ザムロは謝る。
「いいや、話してくれてどうも」
シャスタが口を開く。
「しッかし、お前さんが言うように、どうしようもなく最低な手合いだ。よくもまァ捕まらずにいられンね」
「これも噂ですが、連中が街に入った時点で、
防人は街の治安維持を行う組織のことだ。
市長や議会とは別に、
「なんにせよ、用心せにゃならンか。こういう時、頼りになる用心棒がウチにいたら、少しは心強いンだけど……」
そう言ってシャスタは意地の悪い笑みを浮かべてニトを見る。空気を変えようと、いつものように食客を弄り倒すつもりらしい。
「あれれ? 女将ちゃんはあたしの事、頼りにしてるから、いつも美味しいゴハンをくれるんでしょう?」
とぼけた返し。これが素なのか、はたまた、シャスタに合わせているのか。
「何まァ言うとンの。刀も碌に振れるのか分からん女に飯を食わせて、命を預ける、ご酔狂なヤツがおるかい?」
「女将ちゃん!」
ニトは満面の笑みで即答し、彼女の前にお椀を差し出す。
「この……おバカさん」
シャスタは椀を受け取る。
「空気は読めんが、食う気はたっぷりかよ」
誰かが冷やかし半分に口走る。
「酷いね」
「まったくだ。つまらんシャレだ」
「そっちかよ……」
徐々に食卓に会話が戻り始めた。発端のザムロも皆も、心の内で安堵する。
レミルもニトの隣でくすくす笑っていた。
なみなみとシチューを盛ってからニトにつき返す。
「残さず食え。食客一人もてなせないんじゃア、主人失格だかんね」
わざわざ言うまでもなく、ニトはがつがつ、お代わりを食べ始める。嬉しそうに食べ進めるニトの表情に、シャスタも暖かい微笑を浮かべた。
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