食客商売3話-終「狩人、人を狩る」


 翌日。

 ミトライは長銃を携えて、険しい山道を進んでいた。整地された事が一度もない、道なき道であった。


 それをものとせず、少女は軽い足取りで進むのである。マヤジャと共に過ごした彼女にとっては、造作もない事なのだ。


 反対に、彼女の遥か後方で四苦八苦する

 男達がいた。あの狂った医者が雇った4人の兵隊くずれ。

全員がマスケット銃を持っていた。ミトライは足を止め、過酷な行軍に苦悶する彼らを冷めた目で見下し、内心で蔑んでいた。

 ミトライ一人で十分。あんな捨ててしまったら、どれだけ楽だろう。


 長銃で撃ち殺してやろうか。思いつきを実行に移したくなった所で、少女は自制する。ミトライは気持ちを切り替え、目と鼻の先に広がる黒い森林へ目を向けた。


 あの中にヴィクが……お兄ちゃんがいる。

 長銃を握る手に力が入る。

 センセに拾われて、狩りの腕を褒められて、ゲイジュツを教えてもらって、ミトライは今が一番、幸せ!


 もう二度と、一人ぼっちでお腹を空かせて、森の中を泣きながら歩かなくて良い。

 でも、お兄ちゃんがミトライの邪魔をするなら、ミトライから幸せを奪うなら……


 殺さなきゃ。


 一行は更に山奥へ踏み込む。

 ヤブをかき分け、木々の間をすり抜けながら歩き続けた。


「おい。みんな、止まれ」

 兵隊くずれの一人が足を止める。そして、前を指差した。


 山小屋。森の中に大樹に囲まれるように、粗末な山小屋が一軒、ぽつんと建っていた。濃緑の葉で出来た天蓋の隙間からは、穏やかな木漏れ日が差し込み、小屋とその周囲を優しい黄金色で彩っていた。


「あの小屋か?」

 と、兵隊くずれ。ミトライは無言で頷く。

「そうか。あれがマヤジャの家なのか」

 別の兵隊くずれが、殺気だつ目をギラつかせた。

 彼らの標的、マヤジャのヴィクは、おそらくあの中にいる。襲撃者達は一様に臨戦態勢へ移った。

 一番年若い兵隊くずれが、背のうから松明を取りだす。山小屋に火をつけ、あぶりだそうという腹積もりなのだ。

「急げ」

 リーダー格の男が叱咤。

 若者は大急ぎで火打ち石を打つ。


 そこへ、別の音が割って入って来た。

 銃声である。

 若者の太腿に大きな赤い穴が開く。

 彼は悲鳴をあげて松明を取り落とし、地面に倒れた。


「散れ!」

 リーダーが叫ぶ。兵隊くずれは木の幹や岩陰に身を隠す。ミトライも風のように、瞬く間に姿を消した。否、兵隊くずれ共と同様、安全な場所へ身を潜めたのだ。

「待ち伏せかよ」

「イーロス、無事か?」

 撃たれた若者、イーロスは撃たれた右の太腿を抑えながら、泣き喚く。

「畜生、撃たれた、痛えぇよ!」

「黙れ、後で助けてやらぁ!」

 一方でミトライはヴィクを探した。

 どこにいる?


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 移動を終えたヴィクは、少し高い位置にある窪地へ身を隠した。


 撃ったら移動。嫌というぐらい叩き込まれた教えを、心の内で唱える。

 猟銃を小脇に抱え、ついさっき倒したばかりの兵隊くずれを注視する。


 負傷者は大抵、エサとして利用できる。助けに出た所を……ズドン。

 手負いのウサギを罠で封じ込め、虎や狼を誘い出すのに似たやり口だ。 敵はこの戦術を心得ている。だから出てこない。


「誰に助けを求めている?」

 ヴィクが注意深く見定めようとしているのは、負傷者がどこを見ているかだった。

「そこだな」

 視線の先、救いを求める相手の位置を、狩人は割り出した。

 負傷者のすぐ手前の岩陰。

 窪地からはい出て、ゆっくり身を低くしたまま、右手側へ移動する。これで丁度、敵の位置を一望できるようになった。


 草木の隙間から、猟銃をつき出す。

 ありふれたマスケット銃に比べて、銃身が短い。そして、筒の中には螺旋状の溝が彫り込まれていた。


 よく狙え。息を止め、指以外を石のように硬くしてしまう。

 最初から頭を狙おうとするな。発砲時の反動も計算して狙いを合わせろ。

 照準の先を、薄ぼんやり見える小さな頭から、やや下へ。


 発射。

 命中。


 顔のど真ん中を撃ち抜かれ、赤い飛沫をあげながら、後ろにふき飛ぶ。


 その光景を見るや、すぐにヴィクは駆け出す。被っていた毛帽子の尻尾が風に靡いた。間髪入れずに兵隊くずれが反撃してきた。


 しかし、既にヴィクは大樹の陰へ移動し終えていた。最初に撃ったイーロスとかいう兵隊くずれは、こと切れたらしい。


 丸い鉛弾と火薬の詰まった紙包みを、口で破り、杖を使って、銃口から中に押し込む。


 その時だ。


 兵隊くずれとは別の方角から弾が飛んできた。幸い、ヴィク本人には当たらず、木の幹を削るだけで済んだ。


「ミトライだな!?」

 位置がばれた。よりによって、一番厄介な相手に。ヴィクは猟銃を一旦捨て、より木の多い一帯へ逃げ込んだ。


 背中に突き刺さる冷たい殺気に身震いしながら、ヴィクは決心をより固くする。


 ここで彼女を止める。絶対に。さもなくば、ミトライはより多くの命を弄ぶ。


 銃声。甲高い金切音がすぐ横を通過。


 また幸運に救われた。ミトライはよく狙って撃ってきている。

 次はこうもいくまい。彼女のことだ。次は確実に命中させる。命の危機を前にしながら、ヴィクは冷静に思考を巡らせた。


 大量の落ち葉が敷かれた地面を滑りながら、彼は倒木に身を隠す。

 そろそろだな。ヴィクは大きく息を吐く。



 間もなく兵隊くずれが二人がやって来た。

「出てこい穴熊野郎」

 リーダー格の男は、怒りで目をぎらつかせていた。

 撃鉄の降りた銃を構えながら、ゆっくり前進。背中を一人だけになった仲間に預け、

ヴィクを見つけ次第殺せるよう備える。


 そんな中、背後を用心していた兵隊崩れが、茂みから発せられた物音に勘付く。急ぎ振り返り、発射態勢に入った。


 次の瞬間。


 別の方向から黒紐が飛んできた。鏢のついた紐である。

 それが彼の持つ銃に絡みつく。

 強い力で引かれ、抵抗しようと反射的に手に力が入る。力み過ぎたせいで、引き金にかけていた指も動いた。

 ズドン。


 両手に強い衝撃が伝わる。彼自身も強い

ショックを受けた。

 前のリーダーを誤射してしまったのだ。

よりによって、脳天に一発。

 即死である。

「嘘だろ?」

 ぼそりと呟き、煙をあげる銃を地面に落としてしまう。畳み掛けるように、ヴィクが

飛び出し、彼の胸を狩猟用ナイフで刺した。


 嘘だろ?


 二度目の驚がくは、血の泡となって口から噴きこぼれた。

 だが、まだ生きている。

 そこにミトライが……年端もいかぬ悪魔が、味方ごとヴィクを狙撃した!


 弾丸は兵隊くずれの細い体を貫通して、

ヴィクの脇腹を穿った。

「あ……があっ!」

 目を白黒させながらヴィクは吠えた。痛みで意識が消えかかるのを、叫ぶことで繫ぎ止めた。傷口からは血が流れ落ち、抑える両手は真っ赤に染め上がる。


 次が来る前に、逃げなければ。ヴィクは死んだ兵隊くずれを横に投げ捨て、起き上がろうとする。だが、足には力が入らない。


 これでは絶好の的だ。ほぞを噛むヴィクは目を強く瞑り、轟音に身を震わせた。


 バアァンッ!


 すぐに疑問を感じて目を開けた。

 天地が逆さになっていた。死後の世界は上下逆さなのかと訝った。


 だが、見える景色はさっきと同じ、森の中だ。足元に目を向ける。

黒紐だ。それが巻きついていた。そして、ここは木の上である。

やっとヴィクは、自分が吊るされていることを理解した。襟首を引っ張られ太い枝の上に座らされる。


 紐の持ち主は請負人のドモンだった。

 彼はヴィクをまっすぐ見た。

「御宅が俺を助けてくれたのか?」

 尋ねている所に痛覚が戻ってきた。ヴィクは顔を歪め、歯を食いしばって堪える。


「お前が死んだら誰が私に金を払うんだ」

 と、請負人はぶっきらぼうに答えた。


 請負人への依頼は「始末の手伝い」

 依頼者……マヤジャのヴィクが、ある人物に落とし前をつける。それを邪魔する者達を排除する。真っ先にこの仕事を請け負うと名乗りを上げたのは、ドモンだった。


 ドモンは回収した猟銃を無言で渡した。

しかし、暗殺者の目はヴィクへ強く訴えかけていた。これで終わらせろ……と。

「ありがとう」

 ヴィクは銃を受け取り、静かに構えた。


 集中。痛みは遠くへ飛んでいく。

 狩人は狙撃に必要な場所以外の全てを意識の外へ追いやってしまう。


 それから長い沈黙を経て、ある一点が不意に光った。

 場所は遠く離れた樹上。

 ヴィクはその光へ向け、撃った。


 どさり。微かにではあるが、何かが地面に落ちた音が聞こえてきた。

 ヴィクは重く閉ざしていた口を開いた。

「この時間、この位置だと、太陽は俺たちの真後ろにいる」

 そう言って振り返ると、雲ひとつない空で、輝く太陽が森に光を注いでいた。

「あのスコープってのは便利だ。遠くまではっきり狙えちまう。でも……」


「レンズに光が反射してしまう」

 ドモンは静かに言葉を継ぐ。彼は驚嘆していた。狙撃の腕もだが、ヴィクはこの山の全てを把握しているのだ。


「……そのせいで位置がバレて、狼に逃げられたことがあってさ。太陽がどこにあって、光がどう入ってくるか。気を配ってるかどうかで違ってくる。そういうのって、結構あるんだよな」


 ヴィクは、暗い面持ちで呟くように言う。

「ミトライにも、それを教えたんだけどな。忘れちまったんだろうなぁ」

 丸くなった狩人の背中を、ドモンはじっと見守る。

 狩人は、それ以上は何も言わず、ずっと口をつぐみ続けた。


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 もうじき、ミトライが帰ってくる。

 医者は地下室に運び込まれた新しい素材を前に、舌なめずりしていた。興奮しっ放しの彼は、死体を運び込んだ者達へ抱いた疑問など、とうに忘れていた。


 死体を運んで来たのはいつもと違う人物であった、と。


 そんなことはどうでもいい。それよりも、これで作品を作り、ミトライへ捧げることが先決だ。


 ついさっき死んだばかりの女の死体である。滑らかな腹を掻っ捌き、新鮮な血で彩った屏風へと仕立て上げるのだ。


 私たち二人の創作活動は、誰の邪魔も許さない。彼女が素晴らしい素材を狩り獲り、それを私が芸術へと昇華させる。


 なんと素晴らしい共同作業。まさに愛!


 医者は妖しい光を両目に宿し、さっそく

死体に手を伸ばす。

 聞くところによると、この女の死体は、辻斬りに襲われたようだ。腹には生々しい大きな裂傷がある。


 死んでからあまり時間は経っていない。

まだ身体は変色していないが、いずれ腐り、素材として使い物にならなくなる。その前に、正しい処置を施さねば。


 医療用の刃物を手にとる。傷口から内臓を取り出し、薬液で洗浄する。

 一連の段取りを頭で組み立てながら、刃物で傷口を大きくして、広げようとした……次の瞬間。


 破裂。


 死体の腹で何かが弾けた。色鮮やかな血肉と共に無数の釘が四散。医者の身体に突き刺さる。特に首から顎にかけては、原型を留めないほど、酷く損傷した。

 傷口に触れていた両手は破裂に巻き込まれ、ずたずたに裂けてしまった。


 見ると、錆びた釘が手の甲に深々と刺さったままになっている。それが余計に痛覚を刺激してしまう。


 医者は狂ったように絶叫した。

 どさっ。破裂の反動で死体が床に落ちる。突っ伏したままの医者は、悲鳴を呑み込んだ。傷口から、銃の火打石と火皿がとび出ていた。火打石には切れた糸、火皿の先には破れた袋が取り付けられている。

 ……銃の点火装置を利用した罠である。


 激痛。食いしばる歯ぐきからも、血を絞り出してもなお消えぬ痛み。

 よろよろ立ち上がり、完成間もない芸術品を蹴飛ばしながら、医者は部屋から出た。急いで手当てを。このままでは、傷が腐り、命が危ない。


 よたよた階段を上がり、隠し扉を肩で押す。地上の小屋に医薬品を備えているのだ。それを使い、人を呼んで……。

「何!?」

 開かない。

 ビクともしない。何度も、何度も、体当たりめいた方法で扉を押し上げようとする。だが、一向に開く気配がない。


 何度も、何度もぶつかる。何度も、何度も、肩が腫れ、皮ふが青ざめ、内出血を広げながら。何度も、何度も。


「は……ひひっ!」

 医者は悟った。閉じ込められた。あの死体を運んできた連中が、出て行く時に、この扉を塞いでしまったのだ。


 ミトライはどうした? まさか!?


 両脚の力が抜け、階段から転げ落ちる医者。再び床に這いつくばる狂人の目に、今まで作ってきた作品の数々が飛び込んできた。


 ははは。笑みがこみ上げてきた。それから狂人は笑い続けた。ミトライは帰ってこない。私は一人、ここで朽ち果てる。今まで

作ってきた芸術とともに。


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 墓地の外で食客のニトはぼんやり立ち尽くしていた。罠を仕掛けた死体を運び込んだのは彼女と、ザムロが手配した密偵たちだ。

 先に密偵たちを返し、食客はポツンと佇む小屋を、物憂げに眺めているのだった。


「ニト!」

 遠くから食客を呼ぶ声。振り返る彼女は静かに驚いた。

 主人のレミル・マギルが馬車の上で手を振っていた。

「……お嬢?」

「どうしたのさ、こんな所で!」

「お嬢こそ、なんで?」

「お使い。これでも健気にお店の手伝いをしてるのよ、どこかの暇人さんと違って」

 冗談めかして話す少女だが、すぐに家族の異変に気付く。

「どうしちゃったのさ、ニト?」


 ニトは馬車に歩み寄ると、何でもないと呟く。そして、いつものボンヤリした口調で尋ねた。

「お嬢は、ずっとこのままでいてくれる?」

「何よ、急に?」

「ずっと……素直で優しいまま、あたしの隣にいてくれるかな?」

 レミルは答えに窮してしばし黙る。

「ごめん。忘れて」

 詫びてからニトは馬車に乗った。


「……訊く必要あるかしら」

 レミルはぼそりと言う。それを耳にしたニトは少女の丸くて大きな目を見つめ返す。


「当たり前のことを言わせないでよね?」

 少女は満面の笑みを浮かべ、食客も小さく頷いた。


 それ以上の言葉は、二人には不要だった。


(了)

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