食客商売1話ー終「あんた、この食客をどう思う?」
強盗騎士の一人、ロルカは、農家のドアが勢いよく開かれた瞬間を目にしていた。
「ガキが逃げたぞ!」
騒ぎに負けじと叫んだが、仲間たちは消火に馬の捕獲と大忙し。それどころではない。
口汚い言葉を吐き、ロルカは一人、レミルを追いかけた。
松明を片手にロルカは両脚を動かし、二つの小さな背中へと迫る。差はみるみる内に縮まっていく。
「止まれ!」
止まらない。
「止まらねえと、撃つぞ!」
まだ止まらない。
ロルカは足を止めた。
マスケット銃を構える。当たらなくても良い。銃声が轟けば、誰もが驚いて止まる。
撃鉄を落として引き金を引く。あとは火打石が火皿を叩き、点火薬を燃やし、弾薬が飛んでいく。
なんと気楽な武器だろう。
ロルカは引き金を――
引けなかった。
銃が地面に落ちる。身体中が痺れる。世界が真っ暗になる。
なんで?
わが身に起きた出来事を理解する暇さえ、彼には与えられなかった。
―――――――――――――――――――
間もなくロルカの死体が見つかった。
彼は針葉樹の根元にうつ伏せになって倒れていた。仲間の騎士たちは総じて息を呑み、ある一点に視線を注ぐ。
ロルカの首。太い木の枝が刺さっていた。深々と。まるで、そこから生えているかのように。とても滑稽な様相だった。
「どうしたんだ、これは?」
「転んだ時に刺さったのか?」
訝しむ一行の中で、いち早くダダンは気付いてしまう。
枝は目と鼻のちょうど中間辺りに刺さっていた。
ここには延髄と呼ばれる器官がある。
野盗紛いの真似をしているとはいえ、
ダダンも騎士。一定の教養は備えていた。
彼の家は、惜しげもなく学びへ費やせる資本を有していたのだ。
そんな彼には部下の死が不可解に映った。
これは無様に転んで刺さったのではない。
刺されたのだ。人の手で。精確に。
「馬鹿にしやがって」
誰かが毒づく。
「武器や装備は無くなっていないか?」
と、ダダンは仲間に尋ねる。
「短刀が一振り。それだけ。銃も弾も手はついていない」
返ってきた答えが益々、ダダンを疑問の渦に引き込む。銃をそのままにした理由が浮かばない。一丁奪うでも状況は良くなるというのに。
それにしても。なぜ枝を使う?
理由が浮かばない。
「ヤツは武器を持っていなかったのでは?」
部下の一人が思いつきを口にする。
ぎょろり。皆の視線が一人に集まった。
現地調達。
たとえば部下の言う通り、あらかじめ武器を用意していなかったとしたら。
たとえば、敵がその場にあるものを活用するか、あるいは相手の武器を奪って戦うような、特異な輩だとしたら――。
まさか。
「こん畜生!」
ダダンは、自らの失態に気付き、声を荒げた。気付かぬうちに駆け足にもなっていた。それだけ強盗騎士は焦りだしたのだ。
「戻るぞ。敵の狙いは――」
急ぎ戻った一行であったが、遅かった。
人質を閉じ込めていた一室には、二人の子どもの代わりに、でき立ての亡骸が二つ、転がっていた。
消えかけのランプの下、彼らは赤黒い水溜りに体を浮かばせていた。
「やっぱり!」
真っ青な顔でダダンは叫ぶ。ぞろぞろ入ってきた仲間らもどよめき、慄く。
一つの死体は利き手の腱と首を掻き切られていた。もう一体も食事に使ったフォークで目を、ナイフで大腿の動脈が断たれている。
傍には折れたロルカの短刀。折れた刃は、ぬらりと赤色で彩られていた。
間違いない。敵は手練れ。ヤツだ。
「どういうことだ? どういうことだ!?」
傍らに立つ騎士が、いっそう声高く叫び散らした。他の者も頭に血を昇らせているのか、誰一人、青白い顔で狼狽えるダダンに気付いていない。
「火事ん時と同じ手で騙されたんだ、俺達は。気ぃ付けろ。ヤツは奇襲に長けている。絶対に孤立するな。ぼやっとしてると、首を掻かれるぞ」
ダダンを入れて生き残りは五人。数の有利は揺るがない筈なのに、ダダンの心は大きく揺らぐ。
「家の中に留まるんだ。出入口すべてを警戒しろ。何かあったら、すぐに知らせろ。攻撃は全員で一斉に。一度で始末するんだ!」
重苦しく、冷え冷えとした空気が、彼らにずっしりのしかかる。
湾刀や銃を握りしめ、冷たい汗を大量に浮かび上がらせ、強盗騎士共は全神経を張りつめる。
「気を引き締めろ。敵は化物だ」
「化物? ダダン、てめえは何を知っていやがる」
「噂ぐらいは知ってるだろう。あの……」
乾いた口で怪物の名を紡ごうとした……
次の瞬間!
腐った床を、二本の腕が突き破った。
二つの手は、若い騎士の両足首を掴み、
下へ引きずり込んでいく。
瞬く間におぞましい悲鳴が昇ってきた。
「地下室に落ちた。いや、落とされたぁ!」
「隠れてやがったんだ。俺たちが捨てた……死体に囲まれながら……ずっと!」
騎士の間に恐怖が広がる。
一人がマスケット銃を穴の奥へ向けた。
発砲。
見開いた目と真っ青な顔で、怯えと怖れをごた雑ぜにした絶叫を、銃声とを共に響かせて。撃った。
ダダンも両手にピストルを持って乱射。
仲間たちもつられて、次々と引き金に指を
かけてしまった。
彼らの銃は、どれも銃口から弾を込めて発射する、単発の先込め式。我に戻った時には遅かった。
弾切れ。
億劫な弾込めに使う時間など、与えられるはずがない。
加えて室内には煙が充満していた。黒色火薬が燃え切った独特なニオイまでまん延し、騎士たちを包み込む。
不意に、テーブルに置いたランタンが床に落ちた。
ガラスの割れる音が響き渡り、ふっと灯りが絶える。
夜が広がる。黒が押し寄せる。
誰もが等しく、一片の光を通さない世界へと飲み込まれていく。
ダダンは備えた。もはや、仲間の命などにかまける余裕すら、これっぽちも残されていなかった。
仲間の一人が予備の燭台に火をつけてしまう。炎はゆらゆら揺れ、別の騎士を照らす。当然、彼は激怒した。
「馬鹿野郎! マッゾガル、火を――」
怒号は唐突に消えた。血しぶきが蝋燭にまで飛び散り、ジュっと音が鳴る。
血を浴びたマッゾガルは悲鳴をあげた。
その声は、瞬く間に断末魔へと変わった。
ダダンには一瞬だけ、暗闇の中に浮かぶ
それを見てしまった。
赤い手甲。
それも、鎖を巻いた手甲。
理解するや逃走。仲間達を残したまま、窓を破り、外へ飛び出した。
背後では怒声、絶叫がひっきりなしに起こった。それもまた、急に止んだ。
おそるおそる振り返る。
一行で最も腕の立つ騎士と目があった。
背中を窓枠に寄りかからせ、ダダンをじぃっと、まっすぐ見ている。額が下、顎の先が上を向いている。首後ろ側へ折れ、頭の上下が逆転しているのであった。
むくろが崩れ落ちるのと同時に、ダダンもへたり込んだ。
こっちを見ている。
あの中から。
屍が散らばる暗闇から。
ヤツが。
窓枠を踏み越え、月明かりの下へ、音もなく降り立つ。
逃げられない。ヤツからは決して。あの赤い手からは……絶対に。
あの戦争に参加した者なら、誰でも一度は、そのお伽話を耳にしたことがある。
お伽話は戦場で殺しを生業にする者達の間で語り継がれてきた。
畏怖の絵空事として。虚構の雑じる法螺話として。逃げ回った言い訳として。
怪物に名前はない。
怪物は闇の奥から命を奪いにやって来る。
怪物は決して、存在したという証を残さない。誰であってもその姿を見た者はいない。
怪物を見た者は皆、死ぬのだから。
喩えるなら、怪物はボロ布のオバケだ。
フードを目深に被って顔を覆い隠し、ボロボロのマントに身を包む。その下で、すり切れた衣と傷だらけの防具が見え隠れする。
そして、怪物の象徴――血色の赤黒い手甲には、鎖が巻きついていた。
がちがち歯を打ち、尻を地面から浮かすこともできなくなった騎士が喚く。
「ここは戦場じゃあないんだ。お前みてぇな化物が、何故いる!? どうして!?
なぜ!? なぜ!?」
喚いている間に湾刀を持つ手に力が入っていた。足も思い通り動くようになっていた。
「畜生……畜生……」
ダダンは立ち上がると、肩を上下させ、怪物に相対した。
腰を落とし、ダダンは構えていた刀を怪物へと投げた。
不意をついて初動を封じる。敵が咄嗟に体を動かすより早く、短刀を腰だめに構えて、突進。
しかし、怪物に掠ることすら叶わず、短刀の刃先は、明後日の空を裂いた。
ダダンは目を剥いた。
刀を持つ手に鎖が巻き付いていた。
怪物が鎖でダダンの腕を引き、刃の軌道を逸らしたのだ。振りほどく暇もなく、ダダンの利き腕は自らの背後へと捻られ、躊躇なく折られた。
乾いた枝の砕ける音。正に喩え通りの音が自らの耳に入った。
しかし、彼にはその音より、同時に奔る激痛の方が身に応えた。
騎士の口から痛みへの絶叫ではなく、粘っこい赤が吐き出る。
ごぽり。強盗騎士の頭目は血を吐き、声をあげる事も許されず、息絶えた。
背中には手にしていた筈の短刀が深く突き立てられていた。
やがて怪物は静かに立ち上がった。
風が吹く。ボロ布は風にはためき、地面の薄ぼんやりした影を揺れ動かす。
黒雲が突きを覆い隠し、僅かな視界さえ、奪っていく。
そこには別の人物が佇んでいた。
ニト。マギル商会の食客は、足元の亡骸を無感動に見下ろしていた。
しばらく彼女はそのまま動かなかった。
現状の確認、自身へ与えられた命令を更新するまで、動けない。完了までの間、怪物は空虚な目をしたまま、棒立ちを続ける。
レミルの救助。任務開始。
ニトは踵を返して森の中へ。現れた時のように音も気配もなく、夜闇の底へ溶けた。
(了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます