食客商売6話-6「殺し請け負います」

 ニトは見せの裏手、雑木林に設けた洞穴へ入った。店に武器は持ち込まない。それが彼女の信条だった。 

 名前を削られた鋼鉄の棺桶が一つだけ置かれている。

 蓋を開けると、ボロ布のように汚れきった戦斗服が丁寧に畳まれていた。


「彼女達」に与えられた特殊な服。

 瞬時にそれに着替え、傷だらけの防具をテキパキとはめ込んでいく。

 あの赤黒い鎖付の手甲を両手に嵌め、目深にフードを被った時、そこに佇むのは恐ろしい怪物だった。


 怪物は闇の奥から命を奪いにやって来る。

 夜の暗闇に赤い手を浮かばせ、音も立てずに近づいて来る。

 どれだけ逃げようとも、どれだけもがいても、逃げられない。

 あの赤い手からは絶対に。

 誰であってもその姿を見た者はいない。

 怪物を見た者は死んでしまうから。

 怪物に名前はない。

 なぜなら、みんな、殺されてしまうから。


 長きにわたり、戦場で語り継がれてきたお伽話。

 そこに登場する怪物には名前が無い。

 名前のない怪物。それがニトの正体。

 主人に危害を及ぼす者、見過ごしてはならぬ外道が現れた時、食客は「怪物」へと戻るのだ。


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「目的は達したが、また面倒なことになったな」

 店を出てからやっとムウス・パタが重い口を開いた。酒の席でも口を閉ざしたまま、彼は顔を曇らせたまま酒を飲んでいた。

「クーゼに味方する者といえば、ルゼットしか思いつきません。あの男が金で雇ったのでしょうか」

 三歩後ろを維持するぺぺが言う。

「かもしれん。しかし、困った。この失態、どのように処理すべきか……」

 二人は一先ず、人気の少ない場所を探して歩いた。

「こんばんは」

 唐突に後ろから声を掛けられた。警戒しながら振り返ると、派手な装いをした坊主が立っていた。

 ぺぺはすぐさま手矛を構えた。問答など必要ない。相手は見るからに怪しいのだ。

 ムウスを庇うように立ち、派手な坊主へ矛の切っ先を向ける。

「勘弁してくれ。俺は武器なんて持ってはいない」

「ふざけたヤツだ。俺の気が変わらん内に去れ!」

 ぺぺが怒りと殺意をごうごうと放つさまを、請負人のドモンが建物の屋根から眺めていた。

 腰布に挿した筆入れの蓋を外し、仕込んでいた黒い縄鏢を取り出す。これが彼の得物である。

 

 ドモンは狙いを定めて鏢を投げた。標的、ぺぺの首を目掛けて。

「ぐッ!?」

 ぺぺの首に黒紐が巻き付いた。その正体を彼は知っている。これで仲間が命を奪われた。

 縄を外そうともがき、抵抗する。だが、縄はますます首に深く食い込むばかり。

 情けない悲鳴をムウスが挙げる。しかし、ぺぺにはどうすことも出来ない。


 死んでしまったから。

 

 ムウスはかろうじて手矛を構える。ディー・ランは臆面もなく彼に近づいて行く。

 斬撃をかいくぐり、坊主は容易くムウスに近づいてしまった。

 ムウスはここで戦意を失う。

 しかし、請負人の仕事は相手が命を失うまで終わらない。

 ディー・ランはムウスの右手首を折り、足元に落ちた手矛も踏みつぶしてしまう。それからムウスの背後に回り込み、細い腰をがっしり掴んでしまう。

「そぉれ!」

 怪力坊主は後ろ向きにムウスを投げた。


 ジャーマン・スープレックス炸裂!

 

 素晴らしいアーチを描いて地面に叩きつけられたムウス。無残にも彼の頭蓋と頸椎は粉砕してしまう。

 ムウスの死体を乱暴に捨てたディー・ランは、何事もなかったかのように、夜の雑踏の中に消えていった。

 ぺぺを絞殺したドモンの姿も、屋根の上になかった。


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 セスパタの道場とは別の家屋。ここに師範の自室がある。

 彼は今、持病の悪化により、ベッドから起き上がれない……と思われていた。

 ルゼットは蠱惑的な笑みを浮かべ、半身を起こした師範に抱きついた。

「先生。僕らの勝利です」


「不届き者ムウス・パタは請負人によって殺される。すべてお前の筋書通り進んだ」

 首筋に唇をあてながら、師範はしわがれた声で言った。四肢の痺れは癒えないが、2週間前より楽にはなっていた。

「あの方の御背中を少し押しただけです。機会さえあれば道場を乗っ取る気でいましたからね。我々が手を下さずとも、暴走したムウスや部外者が勝手に事態を納めてくれる」

 請負人には依頼済み。あとはムウス死亡の報せが届くのを待つだけだ。


「それにしてもあの薬、中々凄まじいものよ。まるで本当に、死んでしまうかと思ったわい」

「ええ。効能は折り紙つきです。効いたでしょう?」

 身を乗り出して師範を人形のように抱きかかえ、恋人に囁くように甘ったるい声で話すルゼット。

「効いた。クーゼがいては盛れなかったであろうな、あの仮死薬は」

 食客の噂を流したのはルゼットであった。見事に引っかかったのはクーゼの単純さもあるが、彼が道場内の人間関係や、話題の流れ方等を把握していたのも、大きく働いた。


「クーゼは怪我で大会を棄権。そこに代役として僕が選ばれ、試合を制する」

「大会でお主が負けるやもしれんぞ?」

「ご心配なく。策を講じるまでです。此度のように。それと、全てが片付いた後で、僕はクーゼの心も手に入れてみせましょう。昔、あなたが僕を虜にしたように」

「生意気な」

 師範は苦々しげに言ってはいるが、表情の緩みから分かる通り、実際喜んでいた

「薬が抜けない内は、お身体もマトモに動きませぬ。その間、僕は先生のお体を余す所なく、堪能させて頂きますよ」

 師範の体を寝かせながら、ルゼットはベッドの上に体をずらしていった。



 それからしばらく時が経つ。

 ルゼットは道場の板間に坐していた。

 事を済ませ、火照った体と精神を鎮めるために、彼は瞑想をしていた。

 一見すると目を閉じ、集中しているようだが、彼の五感は来訪者の気配へ向けられていた。

「こんな時間に如何様で?」

如何様いかようもタコ用もねえよ」

 戸口から男の声が聞こえる。声の主は重い足取りで道場内に足を踏み入れた。


「神聖な道場に無礼な真似は許しませんよ」

 ルゼットはゆっくり立ち上がって振り返る。

 来訪者は丸い男だった。彼はどさりと道場のまん中に座り込み、言った。

「手前が利口だと信じて疑わない因業いんごうなガキがよ、神聖だかなんだか抜かすんじゃあねェ。ほら、請負人のザムロ様がわざわざ会いにきてやったぜ」

 男の言葉にルゼットは眉を動かす。

「請負人? あなたが?」


 その男はどう見ても暗殺を生業にしている様に見えない。顔も体も全てが太って丸いのだ。

「おうさ。ついさっき、クーゼ・フォシャールを襲ったムウス・パタとその手下共を全員、始末してきた。明日の朝にはアイツらの死体が見つかるだろうぜ」

 ルゼットは請負人達に復讐の代行という体で依頼をしていた。

 話は半分本当、半分嘘だ。


 しかし……何かがおかしい。

「ほう。わざわざ報告に来るのですか、あなた達は?」

「実を言うと、ムウスを殺したのは他の誰かさんが依頼をしたからでな」

 自分以外にムウス殺しを依頼した人間がいる。

「へェ。そうなんですか」

 表向きには飄々と相槌をうつ。一方、内心では驚いていた。

「依頼がダブったんでどうしようか困ったんだがね。いやなに、安心した。お前さんの依頼は元から無効なんだから」

 この男、何を言っているんだ? ルゼットは訝んだ。


「請負人を使って、邪魔者を消そうとしたんだろう? クーゼに怪我を負わせちまったら、ムウスはもう用無しだからな」

「な、何を……」

「いるんだよ、テメエみたいに俺達を利用する輩が。困るんだよ、そういうの。俺達のケツにも火がついちまう。

 最後の一言!

 唾棄すべき卑しい言葉とルゼットは怒ったが、それ以上に彼は恐怖した。


「殺しを請け負うからには、依頼人から的まで、キチンと調べさせてもらうんだ。テメエの企みから、ここの師範とネンゴロな仲になっているってェことまで、全てお見通しさね」

 ルゼットは相手に気付かれぬように武器の置き場所へ目を動かした。


 五歩先の壁。手矛が数本、たて掛けられている。

 この男を殺すか? 仲間は他にいるのか? ルゼットは頭を働かせる。

「どうした、あんちゃん? こういう時はな、苦し紛れに俺を殺しに来るんだ。それが間抜けの最期ってヤツさ」

 裏稼業の仲介人・ザムロは凄んだ。荒事はからっきしの彼がなぜ、ここまで相手を挑発するのか。なぜこうも強気なのか。

 

「やれるもんならやってみな。俺は逃げも隠れもしねえ。裏の仕事人を舐めるな」

 ザムロが睨み、ルゼットは吼え狂いながら手矛に飛びつこうとする。

 

 次の瞬間。


 手矛を立て掛けていた壁が崩れ、中から怪物が飛び出して来た。

 ボロ布をまとった化物である。赤い手甲に鎖を巻いた化け物……ニト!

 ルゼットが挑発に乗って手矛を取りに行くまで、彼女はずっと待っていた。壁の中に息を潜め、標的が近づくまで、ずっと。


 予期せぬ怪物の出現にルゼットは戸惑う。

 その間にニトは鎖で手矛を巻き取り、その手に掴んだ。

 怪物の懐に飛びこむ形となったルゼットの胸に、ニトは矛を突き刺した。

 ルゼットの体が浮く。血濡れた刃が背中を突き抜ける。

「先生、助け……」

 ゴボゴボ咳き込みながらルゼットは呻く。床も道着も、すっかり赤く染まってしまった。

 ニトは無慈悲に刃を捻じ曲げて傷口を広げた。


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「ルゼット。ルゼットや……」

 天井を見上げながら、師範は愛しい弟子の名を呼ぶ。

 これで三度目。

 普段なら一度呼べばすぐに来る愛弟子が、何時まで経っても来ない。

「ふむ。そうか。これが因果であるか」

 老人は目を瞑り、独り言のように言う。

「して、神よ。武神よ。この老人への報いはまだ来ぬのか?」


 戸が開く。師範は首を回した。

 

 ボロ布を巻いたオバケが部屋に入ってきた。

 足音、気配、殺気、全てが感じられない。実体があり、確かに目の前にいる。しかし、この怪物は「無」そのものであった。

「……なんと恐ろしい。今まで会わずにいられたのが幸運よな」


 怪物はベッドの横に立ち、持っていた濡れ雑巾を師範の顔に押し当てた。

 弱り切った老人の呼吸が止まるまで、時間はかからなかった。

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