食客商売6話-5「殺し請け負います」
クーゼはランタン片手に夜道を急ぎ足で歩いていた。
道場から自宅まで歩いて十分。
川沿いの道には昼間に少しだけ降った雪が積っていた。
湿った夜風は並び立つ木々の枝を揺らし、防寒着の隙間からクーゼの赤らんだ肌を刺してくる。
この季節、この時間は店はおろか屋台すらやっていない。厳しい寒さは商魂さえ冷ましてしまうらしい。
ここから道を外れて郊外の住宅地へ向かうとマギル商会にたどり着く。
あの時はどうかしていたのだろう。目標は漠然とし、力だけを持て余していた。誰でも良い、勝負をして自分の力を確かめたかった。
でも今は違う。
武道大会というはっきりした目標がある。
強いヤツに会いに行く。そして、アタシは……。
クーゼは一定の足取りで固い雪を踏みしめながら、尚も進み続けた。
神経を研ぎ澄ませながら。
道場を出た頃から尾行されている。二人。他にもいるかもしれない。
布で包んだ手矛を空いている手に持ち、その時へ備える。
尾行者が雪を踏みしめる音が微かに聞こえてきた。音で距離を測る。
どこかで不意をついて走り出す。そのタイミングを待つ。
クーゼは心の平静を保ちながら、歩調は変えずに進む。
一際大きい街路樹の前を通過。クーゼは徐に足を止める。
次の瞬間、木の陰から男が飛び出て、クーゼに襲い掛かる。
待ち伏せ。
だが、クーゼは待ち伏せを予期していた。相手が仕掛けてくる場所も、その瞬間までも。彼女はランタンを放り投げ、さっと身を翻しながら手矛を振るう。
襲撃者の振り下ろす棒を手矛の柄で防ぐ。同時に相手の足に蹴りを打ちこみ、転倒させた。
更に背後からもう二人。今まで尾行して来た者達だ。
今度はクーゼから仕掛ける。手矛の石突で敵の胴を突いて迎撃。続けざまに着地したばかりのもう一人を、布を巻いた刃で殴り倒す。
この間に足を蹴られた最初の敵が起きあがり、突進。死角外からの突きを女剣士は躱す。
一連の奇襲に失敗した三人は女剣士から離れた。
彼らは顔に頭巾を巻き、黒ずくめの格好をして、棍棒などで武装していた。
「無礼者!」
クーゼは怒鳴った。
襲撃者たちをひと睨みすると、彼女は布に包まれた手矛を構えた。
先の動きを鑑みても手練れではないようだ。しかし、相手には数の利がある。
最短で終わらせなければ。彼女は意を決する。
再び相手を観察すると、今度はクーゼから攻撃を仕掛けに行った。
一番左に立つ男。一目で彼女は確信していた。この男が一番弱い。
だから、先に倒す。倒して相手を威圧する。
男の胴を薙ぐ。刃は隠したままだから切れることはない。ただし、凄まじい膂力から繰り出された一撃をまともに食らえば、無事ではいられない。
横に吹き飛ばされた味方に絶句する残り二人。気持ちを入れ替える間も与えられずに、クーゼが襲い掛かる。
しかし……
クーゼが二人を打ちのめすことはなかった。
彼女の体勢が崩れた。凍った地面に足をとられてしまったのだ。
このアクシデントは、折角の好機を逃してしまった。そして更なる不運がクーゼに牙を突きたてた。
彼女に降りかかったのは網だった。襲撃者はもう一人いる。そいつが、網を投げ、クーゼの動きを封じた。
「でかしたぞ!」
難を逃れた男が叫ぶ。もう一人がクーゼに覆い被さり、両腕を掴んで動きを封じる。
「殺すなよ。腕を一本折るだけだ」
彼らの声を聞き、クーゼは瞠目した。
「恨むんなら自分を恨みな」
こいつらは道場の弟子たちだ。彼らに稽古をつけたこともあるし、不甲斐無いあまり走らせた事もあった。
まさか身内に襲われる日が来るとは!
クーゼは吠えた。言葉にもならぬ声を張り上げ、必死に抵抗する。しかし、組み伏せられた今、彼女は無力だった。
投網でクーゼを捕らえた男が太い棍棒を肩に担いで近寄ってきた。
男は何も言わず、すぐに棍棒を振り下ろした。
何度も、何度も、何度も。
凄惨な仕打ちはランタンの灯が途絶えるまで続いた。
〇〇〇〇〇〇
傷だらけになったクーゼを囲む4人の襲撃者たち。彼らは同じ道場の門下生だ。
全員が高弟のムウス・パタの派閥に与している。更に言うと、稽古では、クーゼから厳しいしごきを受けた経験を持っている。
彼らが畏れたクーゼ・フォシャールは囲んで棒で叩かれた。女剣士はボロボロになり、惨めな姿を男達に晒していた。
利き腕があらぬ方向に曲がり、武器を持つ事ができなくなっていた。
もう片方の手で痣と傷のついた顔を覆い隠し、声を殺して痛みと屈辱に耐えていた。しかし、彼女は怒りを失っていない。起きあがる事さえできたら、この女剣士は命を失ってでも名誉を取り返しに来る。
それほどの怒気を傷ついてもなお持ち続けているのだ。
弟子の誰かが舌打ちをした。クーゼの戦意が衰えていない事に気付いたのだ。
「このアマ公。もうちと、傷めつけてやろうか……ええ!?」
そう言うや彼は棒を振り上げる。
その時だ。
弟子は棒を地面に落とした。
「ゼムト?」
仲間達が怪訝な顔で棒を落としたグゼを見る。
そして驚がくした。ある者は情けない悲鳴をあげ、ある者は道にへたり込む。
クーゼも霞む視界の中で異様な事態を目の当たりにし、がく然としていた。
ゼムトの額に氷柱が刺さっていた。血が氷柱と表皮の間に溜まり、水滴と混ざり合う。倒れた衝撃で、やっと血が傷口から滴り落ちた。
「誰だ!」
威勢のいい弟子が叫ぶ。質問の答えは返って来ない。代わりにまたも氷柱が飛んできて、彼の首を穿った。派手に血を撒き散らしてその者は両膝を着く。
誰だ?
クーゼは暗闇に目を凝らす。そうこうしている内に彼女はぱったり意識を失ってしまった。
「逃げるぞ、ぺぺ!」
と、一人が背を向けて駆けだす。すると、その姿が急に消えた。ぺぺが訝しんでいると、頭の上から長靴が落ちてきた。
「グゾノ!?」
ぺぺは見開いた目で、木の枝に吊し上げられたグゾノの姿を見た。
樹上に黒い影。ぺぺはクーゼを捕らえるのに使った網を影へ投げる。
影は枝から飛び降りながら、投網を避け、手に持った武器をぺぺに振り落す。
「鏢か!」
ぺぺは棒で頭上からの一撃を防いで後退する。
地面に着地する影。ほぼ同時にグゾノの死体が落ちてきた。
闇夜のせいで分かり辛いが、死体の首には黒紐が絡まっている。その縄は、影の手に握られた鏢まで伸びていた。
ぺぺは棒を影へ投げる。影が一瞬怯んだ隙に、ぺぺは全速力で駆け去った。
「良い判断だ」
影――ドモン・マギルがぼそりと呟く。
「旦那が人を誉めるなんて」
氷柱を持ったニトが近づいてきた。この時期、屋根の下には恐るべき凶器が、ごく自然に発生する。
寒さに鍛えられた氷柱は、時に槍の穂先に匹敵する鋭利な武器と化すのだ。
「あしたは吹雪かな?」
ニトは氷柱を捨て、クーゼの容態を確かめた。
「酷くやられたね」
「店に運べ。私は死体を片付ける」
「あいよ」
短い言葉だけを交わし、二人は別れた。
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「捨て猫よりずっとタチ悪いのを連れて来たね、お前さん?」
シャスタは溜息をついた。
一日じゅう家を開けていた食客がやっと帰ってきたと思えば、いつぞやの女剣士を連れて来た。
しかも、女剣士はひどい怪我を負っているではないか。
「ごめんよ、女将ちゃん。でもさ、帰り道に転がっていたもんだから、何だか放っておけなくて」
申し訳なさそうに謝るニト。
「いいよ。わっちもそうしていただろうし」
熱にうなされるクーゼを、シャスタは痛ましげに見やった。さっきまで町医者が折れた腕を固定したり、薬を飲ませていた。
今は女の使用人が身体を拭き、湿布をはったり包帯を巻いてやっている。
その中には女将の娘・レミルと、偶々居合わせたロラミアも混ざっていた。
「あの給仕君、女の体に触ってるけど大丈夫なの?」
と、ニトが訊く。
「大丈夫でしょう。半分は女の子っぽいし。それに、何だか医術の心得があるようだから」
実はロラミア、町医者が到着するまでの応急処置を滞りなくこなしたのだ。
「しかし、どこのどいつだい? 女の子をあんなになるまで傷つけた不届きものは」
憤慨するシャスタ。ニトは頭を振る。たとえ事情を知っていても、知らないフリを通す。この家で彼女は、食客は「能無しの怠け者」でいなければならなかった。
その場から離れたニトは、番頭のザムロを探した。
彼は案の定、すぐに見つかった。
密会に使う寂れた小屋にいたのだ。他には町人風の男が数人と、不良坊主のディー・ランの姿もあった。
「座れ」
ザムロは肉に埋もれかかった顎で椅子を差す。
彼らは街の地図や人相画を囲んで話し合っている最中だった。
「婿旦那は?」
「来るよ。噂をすれば、ほら」
戸を静かに開けて男が入ってきた。
ドモン・マギル。シャスタの夫でレミルの父親、マギル家の婿養子、役人。
そして、もう一つの顔がある。ニトもディー・ランも、ザムロもそうだ。
彼らは請負人。金で殺しを請け負う裏稼業。
ただの殺し屋と違いがあるとすれば、彼らは悪党専門の殺し屋ということだ。
「仕事だ。標的は武術道場『セスパタ』の弟子、ムウス・パタとペペ」
暗殺業の仲介役を務めるザムロが、二人の人相画を木箱の上に置く。
「的は今も歓楽街で酒を飲んでいるそうだ。ディー・ランがムウスを。婿旦那がぺぺを始末する」
「食客殿はお休みかい?」
と、ディー・ランが尋ねる。目は報酬の入った袋に注がれっ放しである。
「いや。別の仕事をしてもらう。説明は私が。ザムロ、お前にも協力してもらう」
静かにドモンが言う。
「分かりました」
「あいよ」
殺しを請け負う3人が報酬を受け取りながら小屋から出て行く。手下もぞろぞろ出て行って、最後にザムロが蝋燭を吹き消した。
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