食客商売2話-終「外道を始末するのは悪党」

 シュ・アラの屋敷の奉公人部屋には、マギル商会を襲う為に雇われた無頼たちが飲めや唄えやの大騒ぎに興じていた。戦い前の景気づけといえば聞こえは良いが、彼らはただ、酒盛りがしたいだけなのだ。


 守手のシェロもその中にいた。彼だけは、これから起こるであろう事態に備え、酒は飲むフリだけ、神経を尖らせていた。

 間もなく、キャラガが防人たちを率いて乗りこんで来る。ここにいる全員は捕縛されること無く、全員殺されるに違いない。


 口封じ。


 オミ屋殺しはおろか、今までの悪事全てを無かった事にする目論見なのだ。

 殺されてたまるか。シェロは機を見て逃げるつもりだった。


 彼はぐう然知った、請負人とかいう裏の人間に掛け合い、全てを打ち明けるついでに、身の安全を約束させていた。彼らは、今回のオミ屋殺しに関わった者の始末を請け負っていたのだ。


 噂なら聞いたことがあった。正体不明の暗殺集団。しかし、実在するなら利用しない手はない。


 シェロは額の汗を拭い、乾いた喉の痛みに目を細める。仲間達が上手そうに飲む酒に恋い焦がれながら、必死に耐え偲んでいた。


 そこへ――。

「パッザはどうした? あいつめ、どこかで寝てるんじゃあないのか?」

 台所に肴を取りに行った仲間が、いつまで経っても戻って来ないそうだ。


「あ、あっしが見に行ってきやすぜ」

 シェロはいそいそと台所へと向かった。内心、彼は喜んでいた。台所へ行くついでにこっそり逃げ出せる、と。


 行ってみると灯りが一つもついていない。

 まさか、こんな暗い場所で食べ物を漁っているんじゃないだろうな。

 手に持っていた蝋燭を前にかざす。


 誰もいない。

 おかしい。


「どうした?」

 後ろから声を掛けられ、振り返ると、仲間が不思議そうな面持ちで佇んでいた。酒が入っているのか、今にも倒れそうなほど、身体をふらつかせていた。

「パッザがいねえんだよ。一緒に探せ」


 酔っ払いを先に歩かせ、シェロも台所の暗がりに足を踏み入れた。

 そして案の定、すぐに倒れた。

「しっかりしろよ。手前の面倒なんか見てやんないからな」

 鼻でせせら笑い、酔っ払いへ灯りを向けた。ひんやりした暖炉に、彼はもたれかかっていた。

 体はくの字に曲げ、両手を広げて、頭から包丁を生やしながら。


 シェロは「ぎゃっ!」と悲鳴をあげ、床に尻餅をつく。

 そして、探していたパッザをすぐ隣で見つけ、また泣き叫ぶ。


 赤黒い液体で染めた顔には、眼球と舌がなかったのだ。そんな無残な姿で、床に転がされていたのである。当然、既に息を絶やした後だった。


 何が起きているのか理解できず、がたがた震え、股を濡らし始めた時だ。


 銃声が鳴った。


 宴会場となっている広間で、誰かが銃をぶっ放したらしい。

 すると、大勢の怒号や叫び声が響いた。


 防人が来た!?

 シェロはもちろん逃げる。床を這いつくばり、虫のようにバタバタと。

 混乱するあまり、彼は失態を犯した。一番近い裏口から逃げようとして、誤って庭に出てしまったのだ。


 一人が木戸を突き破り、シェロの前に落ちてきた。ここにいては、いずれ見つかると判断し、シェロは縁側の下へ潜りこむ。


 芋虫のように体をくねらせ、奥へ奥へと逃げる。そして、いつしか騒ぎのほぼ真下に到達!


 床板一枚を隔てた上は、正に地獄だった。彼は必死に口を覆い隠して声をころした。


 消えかけたランプの灯の下で、一方的な殺りくが繰り広げられていた。


 何十人もの腕自慢が、暴れることが生きがいの無頼たちが、赤い手の化け物に殺されていく。


 姿ははっきりと見えない。布の端か何かが宙を舞っているかと思えば、刀を持った赤い手が、無頼を切って捨てていく。


 一歩も動けない中でシェロは両目に涙を溜め、履物をぐっしょり濡らす。


 地獄はあっという間に静まり返った。


 みしり。床板がきしむ。誰かが――何かが動き始めた。予想はついた。あの化物だと。


 みしり。

 歩いている。

 さっきより音が近い。

 シェロは迷う。

 逃げるか、じっとやり過ごすか。

 その間に化物はシェロの真上に到達した。


 頼む。行ってくれ!


 心の中で悲痛に叫ぶ。目玉を潰さんばかりに瞼を閉め、体を強張らせる。

 願いがどこかの誰かに通じたのか。化物はシェロの目の前を通り過ぎた。


 一時だが、僅かに緊張が緩んだ。すると、危機が去ったことをより感じたいと欲求が高まり始めた。


 ちょっとばかり瞼を開ける。


 その時だ。


 床板がはがされ、顔に臭い液体がぶちまけられた。目に入って激痛がはしる。思わず叫んでしまい、後悔する。


 後悔はより強い痛みと熱でかき消された。

 液体の正体は……灯油。


 分かった時には全身が炎に包まれていた。


「熱い! あづい! 嫌だ嫌だいやだ! ああああああっ! ごあああ!」

 喉を焼かれながら、吠え狂う。両目の涙もすぐに乾く。その内に体中の水分が蒸発し、皮も肉も、すべてが焼けていった。


 ―――――――――――――――――――


 みるみるうちに、奉公人部屋の火事は勢いを増した。それがとうとう、屋敷にまで燃え移ってしまう。


 屋敷にいた人間達は一目散に外へ避難する。シュ・アラも番頭に肩を担がれながら、屋敷から脱出する最中にあった。彼は顔を蒼白にし、何とか意識を保っていた。

 細い体を支点に、不釣合いな大きな頭を左右に振り、導かれるままによたよた歩く。


「旦那。お急ぎください。さあ――さあ!」

 そんな主人を引っ張り、急きたてる番頭。


 しかし、悲しい事に、シュ・アラの耳には届いていない。それでも懸命に呼びかけながら、二人はようやく裏口までたどり着いた。


 あと一歩。扉へ手を伸ばそうとした時だ。

 目の前に大男が立ちはだかる。番頭は男に見覚えがあった。

「また会ったな」

 ディー・ランはにっこり笑い、番頭を見下ろした。赤々と燃え上がる炎に照らされた顔に、番頭は得体の知れない恐怖を感じた。


 番頭は声をあげようと口を開く。しかし、助けは呼べなかった。

 見ると、拳がみぞおちにめり込んでいた。

 番頭の両目が上を向く。

「あんたは殺さん。殺しても金にならん」

 ディー・ランは、シュ・アラから番頭を引き剥がし、そっと地面に寝かせてやった。


 さて……。


 生臭坊主は支えを失い、倒れようとしていたシュ・アラを片手で掴む。そして、もう片方の手をバキバキ鳴らした。


「じゃあな」

 ディー・ランは、シュ・アラの首に三本の指を刺した。

 シュ・アラの首の中から、乾いた音が鳴り響く。たちまち彼はがくりと首を曲げ、前のめりに倒れてしまった。


 標的が死んだことを確認すると、坊主は拳を作り、額の辺りに掲げた。

 それから、目を瞑って静かに口を動かす。

 紡いでいるのは、僧が死者の魂を御主の下へ送る際の文言であった。


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 同時刻。

 防人の屯所にシュ・アラの屋敷が火事になってると報せが届く。

 表口の、出陣を控えていた部隊に衝撃がはしった。

 そんな中、集団の横を通り過ぎ、一人の男が門番の下へ歩み寄ろうとしていた。


「止まれ」

 門番が男を止めた。


 男は役人の着物の上に、濃紺の長衣を羽織っていた。腰帯には身分証代わりになる鉄の筆入れを差し、書簡入れを手にしていた。

 これだけで門番は男の身分が分かった。

「市庁舎の役人か?」


「夜分おそくに失礼いたします。出納課の、ドモン・マギルでございます」

「何用だ?」

 白い目で見る門番。強権を持つ防人は、上から下まで、文官を低く見る傾向があった。

「ゴチェフ様へ書類をお届けに参りました」

 侮蔑の視線も気にしていないのか、ドモンは眉一つ動かさず、微動だにしない。


「そうか。今は見ての通り、俺達は忙しんだ。さっさとそいつを渡しに行け」

 短い沈黙すら門番は耐えきれなかった。


 さっさと通してしまえ。

彼は表門の横に設けられたドアを開け、押し込むようにドモンを中へと入れた。


 小さく一礼したドモンは、喧騒を尻目に屯所の奥へ進んでいく。門番はその背中を見据えながら、不機嫌に呟いた。

「気楽なもんだぜ、金の計算と小間使いだけで飯が食えて」


 一方、防人主のゴチェフは、部下に火消しの陣頭指揮を任せ、すぐに書斎へ戻った。

「こいつぁ、大変な事になったな」

 すわり心地の悪い椅子に座り、相対する男へにやにや笑ってみせる。


 防人のキャラガ。火事さえなければ、彼はシュ・アラの屋敷へ討ち入り、オミ屋殺しを指示した悪徳商人とその部下を捕らえた功労者になる筈だった。


 キャラガは口を真一文字に結び、ゴチェフの前に佇む。

愛想よく相槌を打つ事もなければ、手柄惜しさに悔しがる素振りをみせない。


「聞くところによると、ずい分とシュ・アラの周りを嗅ぎまわり、捜査をしていたそうじゃないか。残念だ。苦労が水の泡になっちまってよぉ」

 労わる様に話しかけるゴチェフにキャラガは首を左右に振った。

「致し方ありませぬ」

「明日は屋敷へ行き、捜査の指揮を継いでくれ。忙しくなる。今日はゆっくり休め」

 キャラガを退室させると、ゴチェフは大きく息を吐いた。


「……まさか、噂は本当だったか」

 請負人。

密偵たちから口々に聞いた殺し屋。

 この火事が何を意味しているか、分かりきったことだ。


 すべて、ゴチェフは知っていた。


 シュ・アラが件のオミ屋殺しに関わっているのも、討ち入りの指揮を執るキャラガが「黒」であることも、奴が討ち入りを利用して、証拠を消そうと企てている事さえ。


 それを知ったうえで、ゴチェフは彼らを泳がせていた。ボロが出た時に、全員を捕まえる。その為に、内々に準備をしていたのだ。

 それがここに来て、請負人とかいう素性の分からぬ輩のせいで、台無しになった。


「ひでえ奴らだ。俺の苦労を台無しにしやがってよぉ」

 大きな独り言を言う。

「正義の味方ぶりやがって。俗な殺し屋め」

 偶然、ヤツが執務室の目の前を通りかかり、独り言を聞いてくれたら。


 そう考えると、ゴチェフは楽しくてたまらなくなった。彼は子どものように胸を高鳴らせ、声を高らかに、請負人への文句を並べるのだった。


 ……遠くで誰かが何かを言っている。

ドモンは耳を傾けながら態勢を整えていた。

筆入れの蓋を外し、内側に仕込んでいた黒紐を引いた。


 縄鏢。


 これが請負人・ドモンの仕事道具だった。

 表面に塗られた油脂が、廊下の灯の下で、不気味に輝く。

そして、寡黙な男の目もまた、薄明りの中で冷たい光を帯びていた。


 敵を待つ為に、ドモンは渡り廊下の天井へ跳びあがる。火のついた蝋燭が並べられていても、屋根裏までは届かない。


 ドモンは屋根裏に巡らされた梁に貼りついて、じっと息を潜める。


 さして間を空けず、キャラガが渡り廊下に足を踏み入れた。屯所にまで請負人の手が迫っているとは思ってもいないらしい。周囲への注意が散漫になっていた。


 ドモンは右手に嵌めた手袋に紐を巻き付け、左手で鏢を握りしめる。

近づいて来るキャラガまでの距離を測り、機会を窺う。キャラガは尚も気付かないまま、ついにドモンの真下にまで来た。


 ドモンは腕を横に振り、鏢をキャラガへ投げつけた。

 黒紐が、キャラガの首に巻き付いた。

キャラガは、目玉がこぼれ落ちそうなほど大きく目を見開かせ、巻きついた紐を解こうともがく。


 もう遅い。


 ドモンは手にした紐を梁に引っ掻け、廊下へと着地。

 同時にキャラガの体が天井へ揚がった。


 巻き付いた黒紐が首をギリリと締め上げる。息はおろか、血液の流れさえ止められ、キャラガは苦しみ悶える。

黒ずんだ顔は歪みに歪む。


 それも長くは続かず、四肢をだらりとさせて、キャラガは生き絶えた。


 寡黙な請負人は、キャラガの死体から紐を回収する。廊下に落ちた亡骸を素早く抱え上げ、今度は地上へ落とした。


 それから素早く屯所を抜け出す。それに、火事の騒ぎで誰もドモンのことなど気にも留めなかった。


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 昼間は夫であり、一人娘の父親。そして夜は金で動く暗殺者。人を殺した手で妻に触れ、娘を抱き上げる。

ドモンは時として、その事を嫌悪する。

それを封じる為に、寡黙という仮面を、絶えず身につけざる得ないのだった。


 屯所を脱出したドモンは人気のない路地を歩いていた。

「仕事終わりかい、旦那?」

 不意に声をかけられた。


 シュ・アラを殺した僧侶、ディー・ラン。

暗がりから出てきた彼は、派手な上着をはためかせながら、ドモンに近づいてきた。

「終わった」

「早く帰って嫁さんを慰めてやりなよ。淋しい寂しいと、しくしく泣いとるだろうぜ」

 軽口を叩きながら、派手な僧は腰に吊るしたヒョウタンをぐびっと煽る。


「この街、気に入った」

 と、ディー・ラン


「しばらくは協力してやっても良い。勿論、金は忘れるな?」

「……助かる」

 ドモンはそれ以上、何も言わない。

ディー・ランは赤い顔を曇らせた。

「ちょいとオ。少しくらいはさ、愛想良くしてくれない?」

 乱暴にドモンの肩を抱き、酒臭い息を吐きながら言った。

「している」

 ドモンは冷たい声で答え、ドモンを引き剥がした。心なしか、力強く。


「あらあら。絡まれるの嫌いなのね?」

 尚もしつこく、ディー・ランはふざけた。

 ドモンは足を止め、ディー・ランの方へ体を向ける。

「何だよ? やるかい? 喧嘩なら、やってみたかったんだ。アンタがどれだけ強いか、試したくてしょうがなかったんだよ」

 嬉々としてディー・ランは身構える。対するドモンは棒立ちのまま。


「絡まれるのは……」

 と、唐突にドモンは口を開く。

「家内だけで充分だ」

 そう言うと、ドモンは口許を綻ばせた。

微笑――というやつだ。


 それが何よりも衝撃的だったディー・ランは、あ然とした。

ついには、さっきまでの戦意すら、どこかへ吹っ飛んでしまったのである。


(第二話・了)



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