食客商売3話ー4「狩人、人を狩る」
世の中には表の仕事と裏の仕事がある。
裏の仕事――特に殺しを生業にする者達は「請負人」と呼ばれている。彼らの多くは、殺しをする傍ら、表の仕事をしている。
それぞれ別の顔を持ち、使い分けていた。
ドモン・マギルの場合は役人だった。
サチャは都市であり、小さな国である。
そこの役人といえば聞こえは良いが、ドモンは地位の低い「下級役人」だ。
しかし、決して目立たず、かといって冷遇もされない立ち位置であり、この職業は暗殺稼業にとって絶好の隠れ蓑でもあった。
昼間はこじんまりした事務室の端に席を置き、膨大な書類や資料を納めた棚の陰で黙々と業務をこなし、夜になると請負人となって標的を始末する。
こんな二重生活を何十年も送っていた。
そして今日――。
「……まったく堪らんよ。本当に堪らん」
ドモンは同僚――コッパァの愚痴を黙って聞いていた。
「俺の汗水流して働いた報酬は、仕事帰りの一杯なんだ。こいつのおかげで、俺は家族の為に金を稼ぐ気力を養えるってんだ。なのに女房は分かっちゃいない」
「ふむ」
無視はすごい失礼。なので、小さく相槌をうつが、それ以上は何も言わない。
「俺がせっかく良い気分で帰った所に、きゃんきゃん喚きやがって。チクショウ!」
不満顔の同僚を軽く一べつするが、すぐに手元に顔を戻す。
コッパァはドモンと同じ下級役人だが、別の部署に属している。だが、仕事場から抜け出しては、ドモンのもとへやって来る。
つまり、サボりだ。
他の役人は日中から他の部署へ書状を届けに行ったり、会議に出ていたりで、殆ど人がいない。コッパァはそこを狙って来る。
ドモンは彼の行為を咎めない。そして何より、怒らない。おかげでコッパァは事務室に入り浸るようになってしまった。
今ではコッパァ以外の役人もやって来るようになり、ドモンの仕事部屋は、もはや不良役人共の避難所となっていた。
このような有様になっても、ドモンは何一つ嫌な顔せず、かといって彼らに迎合するようでもなく、淡々と取り組む。
とはいえ、一人でうじうじ喋りつづけるにも限度がある。限界を迎えたコッパァは、
いよいよドモンへ話の矛先を向けた。
「御宅は女房と上手くやってるのかい?」
「さて?」
手を止めて、ドモンは答えた。
「あんた、家でもそんな無口なの?」
「私が話さずとも、家内が勝手に話してくれる。おかげで話題に悩まなくていい」
「あんたは適当に相槌を打つだけ。お気楽で結構だねェ」
「そうでもない」
困ったようにドモンは笑った。
この時、コッパァは初めて、同僚の鉄面皮が崩れたのを見た。そして静かに、しかし心の底から驚いた。
そんな彼を更に驚かせる事態が起きた。
窓が勝手に開いた。ここは二階だ。窓の
すぐ傍に生えている木々を伝えば、侵入できないことはないが……。
「失礼するよ」
声の主が大きな手で汚いガラス窓を上へ
押し上げる。
岩石のような分厚い体で窓を潜ってきた。
コッパァは裏返った声をあげた。
「ゴチェフ様!?」
治安維持組織「防人」の長、防人主の
ゴチェフは、太い指を口にあてた。
「声がデケぇぞ。静かにしてくれ」
「申し訳ありません」
遥か上級の武官の登場に、コッパァは狼狽える。反対に部屋の主でもあるドモンは、
突然の訪問者に動じることなく、事態を静観している。
「俺だって、嫌な仕事から逃げ出したい時があるんだ。察してくれ」
つまり、ダダンも仕事場から抜け出したというのだ。
「なるほど。っへへ……」
コッパァは奇妙な笑い方をした。ゴチェフも三つ編みにした髭を摘まんで笑う。
「奇妙なもんだぜ。市庁舎と防人の屯所はすぐ隣だってのに、互いの行き来がねぇんだから。おめえさんらが何やってるんか、ちっとも分からんだ」
「そういえば、そうですなァ」
最初の怯えはどこへやら。コッパァは軽薄な笑みを浮かべて言った。
「武官と文官だからでしょうかね?」
「だからって違う生き物って訳じゃあないんだからよ。俺だって、腹は空くし、木登りすりゃあ喉だって乾くんだぜ」
そう言って、ダダンは片目を瞑った。
「少々、お待ちを」
察したコッパァが足早に部屋を出た。
「……彼は見ての通りの男です。直に出世するでしょう」
徐にドモンが口を開いた。
「仕事をサボっているのに?」
「だからです。力の抜き方を心得ている」
「代わりにお前は雑音のせいで立身出世を阻まれる、と?」
ゴチェフがにやにや笑って訊く。
「慣れれば楽しくなります」
これは寡黙な男の本心だった。
ゴチェフは顎髭を弄りながら、ドモンの仕事部屋を見回した。
「不良共のたまり場。気にいった。偶に来てみるとしよう」
「それならコッパァがいる時をお薦めします。美味い茶と菓子がやって来ますゆえ」
「俺はアンタとゆっくり話したいね……」
低い声で防人の主は言う。ドモンは表に
こそ出さないが、警戒の色を強めた。
ゴチェフは言ってみれば法の番人。そして、ドモンは法を破って人を殺す悪人だ。
怪しまれれば、追及は逃れられない。
「変な意味じゃあない。誤解せんでくれ。
ただ興味があるだけなんだ。テメエのような実直な男が、不良共と上手く付き合っているのが、不思議なだけさね」
「それは……」
ドモンは大真面目に考えるフリをした。
「悪い手合いではない……からでしょうか。ここに入り浸る者達は、単に息抜きでやって来る。酒や賭け事もせず、談笑し、茶や菓子を愉しんで帰るだけ。それは決して悪い事ではありません」
「ふむ。見た目通りの杓子定規ではないようだな」
「彼らに感化されたからかもしれません」
「なるほど」
ゴチェフは外を見た。
昇って来た大樹の先、夏真っ盛りの街並みが広がっていた。
薄い雲の間から太陽の光が降り注ぐ。昼間は用なしの行燈が寂しそうに佇み、赤レンガの建物は壁に纏わりつくツタに光を吸わせている。
馬車がのんびり道路を往来し、その間を縫って子どもが商品を背負ったロバを引いていた。
綿の服は汚れてくすんでいる。陽に焼けた肌に麦わら帽子。農民の子だろう
すれ違う通行人に声を掛け、野菜を売っていた。
のどかな日常の光景に、防人主は溜息をもらす。
ドモンは注意深く彼の出方を窺う。
「見てみろ。良い天気、良い景色。数年前の大乱が嘘みてぇだ」
唐突に話し出す。
「いつもなら港の市場は大賑わいだろうに。それがここ最近、急におとなしくなった。どこぞの大馬鹿野郎のせいで」
ドモンは察した。さっきの溜息は、景観の美しさに嘆息したのではない。悪党退治への徒労だ。
「お前だって知っているだろう? 例の撃ちたがりだ。今日で五人目。俺達は未だに野郎の影にすら辿りつけちゃいない。参ったぜ、ホントに」
一見すると不平不満を並べているだけだが、ドモンはより警戒を強めた。
請負人には、目の前の大男が腹に一物、
それも厄介な思惑を隠し持っているように
見えてならないのだ。
気配のない不穏をよそに防人の主は言う。
「ひょっとしたら、ホシは訓練を受けた狙撃兵かもだ。戦争に行ってたら分かるだろう、連中のいやらしさをな。気配なく現れ、必要な数だけ撃ったらトンズラ決める。精確に撃ち抜くのさ。ここを」
ゴチェフは厚くて広い眉間を指で叩く。防人主の言動を、ドモンはずっと口を閉ざして聞いていた。
「一つ、あんたの考えも聞きたいね。ここはそういう所なんだろう? 秘密も礼儀作法もなく、好き放題に言い合えるって」
防人主は、この部屋をなんだと思っているのか。
どんな話を聞いたのか。
それよりも――。
「私は戦争に行ったことのない素人です。
ゴチェフ様が犯人について意見を述べたら、そうなのかと、納得するしかありません。
しかし……」
まっすぐ視線を向けて、ドモンは言った。
「そうですね。私としては、犯人は単独で犯行に及んでいるのか、それとも命じている者がいるのか。私は、どちらかをはっきりさせたいですね」
喋りすぎた。ドモンは内心、苦々しく思った。ほんのちょっとでも、自分の話す言葉を長く感じてしまう。だから彼は、話すことを嫌っていた。
「ふむん」
ゴチェフは髭を弄りながら頷く。
「なるほどな」
珍しく彼は大きな口を真一文字に結ぶ。
それを奇妙に感じて、思わずドモンは尋ねてしまった。
「いいのですか?」
「うん?」
「事件の話しを、こんな場所で……」
すると、ゴチェフは口を開け広げて大笑いを始めた。あまりに唐突で、これにはドモンも狼狽える。鉄面皮は崩れなかったが、ここ数か月で最大の驚きを味わっていた。
「土産だよ、みやげ。手ぶらで来ては失礼だろうて。それにこ、これから世話になるんだ。だったら新鮮なネタの方が良い」
「はあ……?」
「仕事が面倒になったら、また遊びに来る。ま、よろしく頼むわ」
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