食客商売2話ー2「外道を始末するのは悪党」


「――ダダン一味の隠れ家から、子どもの手を引き、無我夢中で逃げてきた?」


「そうです」

 レミルは二度うなづく。

 少女を囲む役人たちが、小さくどよめく。


「大したタマだな、嬢ちゃん。普通はよぉ、怯え竦んで、逃げようなんて考えもしねぇってのによぉ」

 初老の武官が三つ編みにした灰色の髭を弄りだす。彼は席順では最上位の位置についていた。


 ずんぐりした武官の身体は、頑丈な樽のようだった。そこから太い四肢が生えていた。そして、木の根元のように幅のある首の上に、厳しい風雨で研がれた厳つい顔が載っていた。


 灰色の長い髪も、豊かな顎髭も、余った部分は全て三つ編みにしていた。真四角の顔には、どこか不釣合いに見えてならない。


 強盗騎士にさらわれた、忌々しい事件から数日後。

 レミルは母と共に、防人さきもりの屯所に出頭していた。正しくは母娘に出頭命令が出たのだ。


 命令ならば、従うほかない。


 都市国家サチャの治安を守る防人は、時として畏怖の対象となる。なにせ、彼らは銃や刀を携え、有事の際には、強力な大砲の使用まで許されているのだ。

 レミルは人伝えにしか聞いたことがなかったが、彼らは一度、大砲を市民に向けて撃ち放った事があるそうだ。どうやら、これが畏怖の根底にあるらしい。


 それはさておき。

 取り調べは終わる気配が見えない。防人の独特の空気感に委縮しながら、レミルは身に起きたすべてを話した。



 あの日。あの時。あの場所で。

 火事に乗じて逃げ出した彼女は、生き残った農家の子どもと一緒に、しばらく森の中に隠れていた。

 夜の森をアテなく彷徨うのは危険だと、

一番身近な人間が言っていたのを思い出したのだ。よく思い出せたものだとレミル自身も驚いていた。


 おとなしく陽が昇るのを待っていると、その「身近な人間」が見つけ出してくれた。

「みつけた。探したよ、お嬢」


 食客・ニト。非常食と水筒を両手に、彼女は見る者を安心させる、人懐っこい笑みを浮かべた。

 食って寝るだけの何もしない居候が、この時ばかりはとても頼もしく見えてしまった。その後、レミルは赤子のようにわんわん泣きながら、ニトに連れられ、帰宅した。


 それにしても。武官が大きな口を開く

「その食客さん、いったい何者なんでい?」

 母娘は閉口する。

 黙っているのは答えられないからだ。なにせ何十数年の間、あの食客は素性に繋がる一切を、二人に見せたことが無かった。


「まあいい。夜の山ン中ではおとなしくするのは常識だ。そいで、嬢ちゃん。御宅は逃げてる間に、賊共をちょいとでも見たかい?」

 街を騒がせた強盗騎士・ダダン一味。彼らはマギル母娘を襲った直後、行方知れずになっていた。


「とっくに逃げたというのは?」

 シャスタが臆せず訊く。軽傷であるとはいえ、傷の癒えない頭には包帯を巻いていた。

「だったら痕跡が残る。しかしよぉ、奥さん。そいつが無いのさ。農家から移動した様子がない。じゃあ死んだ? 死体はどこに埋まってる。それすらも見つからないときた。こいつぁオカシイと思わねえか?」

 シャスタとレミルは顔を見合わせた。

 どうなっているのだろう。母娘は同じ疑問を抱いた。


――――――――――――――――――――



 母娘を帰すと、武官はま新しい椅子のすわり心地に顔をしかめた。

「別に、豪華な品を取り寄せなくても良いってのによぉ」

「何を仰います。その椅子に座るだけの出世をしたという事です、武官殿」

 と、にやつく部下が言う。


「けっ。腰を悪くする椅子に座りたくて、出世したんじゃあねぇ」

 不平をこぼす武官は、見るからに、おとなしく椅子座っているような人間には見えない。むしろ逆だった。


 すべてが脂肪ではなく、岩石のようにごつごつした、硬い筋肉なのである。おかげで武官の制服が少し窮屈そうに見えてしまう。全て自前の肉の鎧だった。


「で、密偵からの報告は?」

 武官が質問すると、すうっと、部下の顔から笑みが消えた。

「やはりと言いますか。防人の中にも裕福な商人から賄賂を貰い、私腹を肥やす輩がおります。大した数ではないのですが、野放しにしたところで、大して得もないでしょう」

「ふうむ」

 また三つ編みにした髭へ手をやる。武官の手は大きく厚く、節くれていた。


「ゴチェフ様。それでも尚、彼らの汚職をお見逃しになさるので?」

「汚職といえば聞こえは悪いがよ、こいつは必要経費さね」

 と、武官――ゴチェフはぞくりとする冷たい笑みをこぼした。


「潔癖なクソ野郎は扱い辛い上に役立たずだ。それより、正直な屑を上手く飼い慣らす方が、よっぽど利益になる。餌代で二人三人死ぬのに目を瞑る。それだけで、悪党がデカい面を下げられなくなるなら、安いもんさ」


―――――――――――――――――――ー


「ゴチェフ・マアルド。つい最近、就任したばかりの防人主だよ」

 

 マギル商会の番頭、ザムロは帰って来たばかりの食客に武官のことを教えていた。


 聞いているのかいないのか。食客のニトはこれといって反応を示さず、だらしなく長椅子の上に寝そべっていた。


「えらく無関心だね、お宅。余裕を決め込もうってのかい?」

 しかし、ニトは答えない。

 憂う仲間を余所に、ぼんやり顔で天井のシミを数えるだけ。

「あの梁の端っこ。ありゃあ、カビだね。ザムロ、あいつも数に入れてやるかい? 仲間外れは可哀想だ」

 と、彼女はのんびり尋ねた。付きあっていられない。ザムロは天井を仰いだ。


 ニトは雑貨屋「マギル商会」に養われている女食客。

 何をするでもない、怠惰で毎日を浪費しては周囲から呆れられていた。


 しかしてその正体は、幾多の戦場で語り継がれた「お伽話の怪物」であった。

 先日、レミルを攫った強盗騎士の一味を始末したのも、死体を見つからぬよう、巧妙に隠したのも、すべて彼女の仕業だった。

 彼女の正体を知る者は少ない。


「とにかく。気は引き締めておけ。ぬるま湯に浸かっていられる身じゃないんだからな、御宅は」

 そう耳打ちすると、ザムロは帰ってきた母娘を出迎えにいく。


 ニトは寝返りを打つと、消え入りそうな声で呟いた。

「……わかってるよ。それぐらい」



 ほどなくして、賑やかに母娘が部屋に入ってきた。そして、ニトを見るや、さっそく

レミルは口を尖らせた。

「まだ寝てるの? 呆れた」

 レミルの言葉を聞きながら、入口横に立つザムロは、笑いをかみ殺していた。


 ついさっきまで、この食客がついて回っていた事にレミルは気付いていない。


 いつも食客は気付かれない様、食客は陰で二人を見守り続けていた。

 勿論、先ほども防人の屯所にも忍び込み、いつでもレミルたちを守れるように備えていたのだが、自ら明かすような真似はしない。


 ザムロは賑わいに隠れ、こっそり退室しようとした。

 そこへ――

「ああ、これはこれは……」

 廊下に出て早々に男と出くわした。


 営業用のまん丸い笑顔を相手にみせ、

「お帰りなさいませ、婿旦那様」

 と、ザムロはお辞儀をした。


 レミルの父――ドモン・マギルは歩を止め、小さく頷いた。


「こんなに早くご帰宅とは。珍しいですな、婿旦那さま」


 娘が「お嬢」と呼ばれ、妻が「女将」と呼ばれるように、亭主のドモンは「婿旦那」と呼ばれていた。

 これは、彼が婿養子としてマギル家に嫁いできたことが起因している。

 彼は商人ではない。都市国家サチャの行政府に勤める役人だった。


 一本に結わえた黒髪から黒い普段着に至るまで、すべて折り目正しく整えている。派手の二文字とは大よそ無縁で、実直が寡黙の面を被っているようだと、周りから評される程だった。

表情も気分もコロコロ変わる妻に対し、彼は滅多に微笑一つさえ浮かべない。


「仕事が早く片付いた」

 そう言うと、ドモンはまっすぐ視線を向ける。夫に気付いたシャスタが足早にやって来たのだ。


「お帰りなさいまし」

 にこにこ笑うシャスタにも、ドモンは鉄仮面を崩さなかった。


--------―――――――――――


 同じころ。

「こいつはヒデぇ」

 と、守手は顔をしかめていた。

 守手。都市国家・サチャの警察業務を担う、防人の下部組織である。

 脛に傷を持つ民間人、主人を持たぬ小姓といった手合いで構成され、防人の補佐をする。しかし、そんな彼らでも拒否反応を起こしてしまう。


 とりわけ死体に対しては。


 若い女。赤毛の髪は腰元まで達し、顔立ちもなかなか良かったのだろう。

 女のきめ細かい肌は、とても弾力があり、とても艶があり、とても火照ったことだろう。細長い目は、とても精力的で、とても粘滑らかな光を帯びていた事だろう。しかし、全ては守手や防人たちの想像にすぎない。


 だが、現実は違う。

 目の前に転がっているのは、土気色の固い肌を持ち、何も見えない濁った目を天井へ向ける女「だった」ものだ。


「しかし……なんという死に方だ」

 防人が顔をしかめて死体をあらためる。

 この娼婦、首の骨が折れていた。折れた状態で天井を見上げているのだ。

「道具を使ったようには見えねェな」

 最年長の守手が荒らされた部屋をぐるりと見回した。


 なぎ倒された家具に、破れた床板や天井。まるで大嵐の去った後だ。

 女の他にも死体が転がっていた。刀を持った男が三人、身なりの良い老爺が一人。どれも刀や槍、鉄砲による傷など見当たらない。

 代わりにあるのは致命傷となったのだろう、骨折や酷い打撲痕だった。

「一体、何があったんだ?」


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