食客商売2話-3「外道を始末するのは悪党」
二日後。
天下の往来で、レミルとニトは奇妙な光景を見てしまった。
「退散! ご退散! 出て行きなされ!」
道のまん中で僧侶が大声で叫んでいた。
胸元を開け広げた僧衣は真新しく、見るからに金と手間を掛けた、高価な品だ。じゃんじゃら音を鳴らす首飾りも、腕輪も、髪を縛る紐も、どれも流行りの小間物ときている。
そして、僧侶は棒を持っていた。ただの棒なら、頭がおかしいで片がつく。
しかし、木切れの先に、本物の髑髏が刺さっていたら、それ所では済まない。
狂っている。
僧侶へ向けられる野次馬の視線には、怯えが混ざっていた。
「ちょいと、あんた。頼むから、商売の邪魔をしないでおくれ」
通りに面した店から、初老の男がしかめっ面で出て来た。
店の番頭だろう。身なりや立ち振る舞いでレミルには想像がついた。
「あのお店」
レミルには心当たりがあった。
「シュ・アラって人のお店。最近、街のあちこちに色んなお店を出してるんだ」
「確かに番頭なのに羽振りが良いワケだ。
どこかのマギル商会とは大ちが……」
ニトが続きを言うことはなかった。レミルに足を踏みつけられ、痛みに悶えるので、
精一杯になってしまったのだ。
一方の渦中では悶着が進行していた。
「不気味なモノを持って騒がないでおくれ」
「なァにを仰い」
カカっと僧侶は高笑い。
「こいつでね……祓ってやってんのさ」
「祓うだって?」
「そうさい。こいつを見なせい」
僧侶は主人の前に髑髏をつき出す。主人の不快顔はますます濃くなる。
「数えてみな」
「何をだい?」
「穴だよ、穴。しゃれこうべさんには、いくつ穴があるんだい?」
「ええと……」
番頭は指を折りながら、髑髏の穴を数えはじめる。
それが終わるのを待たず、僧侶はにんまり笑顔で口を開いた。
「こいつはなァ、どォんな護符や、ありがてェ説法より効果があるんだ。あちこちの穴に、厄を吸いこんじまうのよ」
「そんなバカな話があるか!」
「あるの。いいかい、人間いつか死んじまう。死んだらどこへ行く?」
「天国?」
「コイツの場合は地獄。悪事を働いて縛り首になったのよ」
番頭もそうだが、囲んでいた野次馬からも悲鳴が上がった。遠巻きに眺めていたレミルも、ニトの後ろに隠れる。
ニトはというと、驚きもせず、ぼんやり顔で、続きを待っていた。
「そう怖がっちゃあいかんぜ。まあ、聞け。がい骨さんはな、身体だけ墓に置いて、地獄へ落ちなすったんじゃあない。魂は身体と一つ。魂あっての体。体あっての魂。この髑髏は、ちゃあんと地獄と繋がってんのよ」
「だったら尚更、近づけないでくれ!」
「女みたいにきゃあきゃあ叫ぶな。つまりだ、コイツを使えば、髑髏の穴を通って、
厄をあの世へ直送できるってェ寸法よ。
ごちゃごちゃした祓いなんざいらねえ。簡単に悪いモノを追い出せるのさ」
「は、はぁ……」
「どうだい? 他に落として欲しい厄はねェかい? 今なら、こいつも頑張って、吸いこんでやると言ってるぜ?」
そう言うと、僧侶は髑髏に手を入れ、顎をカツカツ動かし始めた。そのまま番頭に詰め寄りはじめる。
「寄るな!」
当然、怒った。番頭は店に引っ込み、盆に盛った塩の塊を僧侶に投げつけ始めた。
「こりゃいかん。退散、退散!」
高笑いをあげて僧侶は逃げ去った。
「……まったく。どうも、皆さま。大へん、お騒がせしました」
疲労からか、番頭の顔は青黒かった。
「災難だったねぇ」
労わる様に横から声が飛んで来た。さらに野次馬の中から数人、店へと向かい始める。
「きっと儲かっているから絡まれたんだ。
有名税ってヤツさ」
「逆だよ、逆。落ち込んでいる時に限って、坊主が営業に来るものだろう」
口々に好き放題言いながら、彼らは商品を物色しはじめる。次第にその数が増えていく。野次馬が野次馬を呼び込み、ついに店内は人でごった返すようになった。
突然の賑わいを前に番頭はあんぐり呆けてしまう。
「すごいねえ。あれだけ騒いだら、さすがに好奇心も駆られるか。あの坊さんに、みんな刺激されたらしい」
感想を言うニトだが、既に彼女の興味は、あさっての料理屋へ向いていた。
「いいなあ。お客さんいっぱい入って」
レミルは客でごった返す店が、何だか羨ましくなってしまった。
---------――――――――――
その日の晩。皆が床に就き、ひっそり寝静まった店の中。
「レミルが羨ましがッてたかい。夕食の時に言わなかったのは、あの子らしい」
と、シャスタは声を潜めて言った。
「繁盛とは無縁だからね、マギル商会は」
すかさず茶々をいれる食客。
「ふざけろ」
夜の一刻。いつものように騒ぐのではなく、言葉少なく静かに過ごす。
粗末な卓の上に腰を下ろし、ほんの一杯だけの酒を長い時間かけて飲む。これが女主人の習慣だった。
「にしても、助かるヨ。アンタがいてくれる内は店も暗くならずに済む。知ってる? 新入りがアンタを不思議がる度に、古株連中がなんと言ッとるか」
ニトは首を左右に振る。
「あいつは飯を食って寝るしか能がない。でも、店には必要だ。能無しがぐうたらしてるって事は、それだけ店に余裕があるから……ってサ」
シャスタはいっそう破顔して言う。
「へぇ」
初めて聞いたような反応を示す。
ぜんぶ知ってる。ニトは鼻頭を指で掻く。
「――実はね、子どもの頃、猫を飼ッてた」
「行商をやってた頃?」
「ああ。旅の途中ではぐれてしまった。しばらくずっと泣いて親父たちを困らせちまッたんだ。古い古い、昔の話し」
「ほう」
「野宿をする時は、ぎゅっと抱いて寝たモンさ。とっても温かくて、気持ち良くて……」
シャスタは暗い面持ちになり、ふっと溜息をもらす。
「わっちはね、ずっと思ってたンだよ。母親になったら、自分の子には絶対、あんな寂しい思いはさせないッて。アテもなく、寒い目には遭わせるモンかって。ところがどうだ。レミルの面倒はアンタにまかせっきり。
わっちは商売、商売。結局……母親らしい事なんて、ちィともやっとらン」
「してるじゃないか。いっぱいしてる。だからレミルは、あんなに良い子に育ったんだ。自信持とう。女将ちゃんは……」
口を閉ざす。シャスタは寝息をたてていた。眠ってしまったのだ。
「レミルの母親は……君だけなんだから」
ニトはシャスタの茜色の髪を撫でてやる。
「女房の悩みを解きほぐしてやるのが良き夫の務めなんじゃない?」
光一つも差さぬ暗がりへニトは声を掛ける。婿旦那こと、ドモンが無言で音を立てずに暗がりから出てきた。
「行くの?」
ニトは問う。
外出するつもりなのだろう。濃紺の長衣を着ていた。そして、腰帯には身分証代わりにもなる鉄の筆入れを差している。この中には文官が日頃使う、筆記具一式が入っている。
「夜な夜な家を抜ける亭主なんて知れたら大事だぜ?」
あえて伝法な口調を使った。
「お前もそんな物言いをするようになったか」
ドモンが重く閉ざしていた口をやっと動かす。無表情なのは相変わらず。
しかし、近しい人間なら、彼の感情の機微が、それとなく分かるようになる。
彼は驚いていた。
「ダメかい?」
「いいや」
最後まで表情を変えることなく、ドモンは踵を返した。
そして、背を向けたまま尋ねてきた。
「先の強盗以外に誰か殺してはいないか?」
「してない」
ニトはすぐに答える。
「色街の店で四人殺された。届出のない違法店で、女目当てにやって来た客を強請るか、あるいは殺した後で金を取っていた」
「あたしじゃあないぞ。この店と関係ない」
「……それなら、これ以上は追及しない」
そう言うと、ドモンは消えるように暗がりの中へと消えた。
その後、微かに戸口で音が鳴った。
「あんたなんだよ。この子の隣にいてやるべきなのは」
ニトはそう言うと、シャスタをそっと抱き上げた。
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翌日、シャスタが目を覚ますと、すぐ目の前にレミルの顔があった。あどけない顔立ち。十五になっても幼さが残る娘は、すやすや、可愛らしい寝息をたてていた。
寝返りをうってようやく分かった。自分が寝ているのは娘の寝床だ。
どうして?
寝起きの頭に疑問がわき上がってくる。
その時、娘がぎゅっと寝間着を掴んで来た。彼女はまだ寝ている。目はつむったまま。それでも彼女の手は、母を逃さぬよう、力がこもっていた。
シャスタはすぐに心得る。優しく、娘を眠りから覚まさぬように気を配りながら、そっと抱きしめてやった。
寝癖のついた頭を軽く撫で回し、口許を綻ばせる。
この時間が続いてほしい。
その願いは血相変えた使用人の胴間声によって潰えた。
「オミ屋の主人が死んだ!」
使用人によると、街中の商家という商家は、朝から大騒ぎのようだ。
無理もない。と、心の内で呟くシャスタ。
朝食をとるのも忘れ、店の者に囲まれながら、深刻な報せに耳を傾けていた。
オミ屋は長きにわたって、調味料を取り扱ってきた店だ。特に砂糖に関しては、ほぼ独占状態にある。マギル商会も、オミ屋から砂糖を仕入れている。
調味料の卸売りは、行政府の許可が無ければ、販売はおろか入荷すらできないことになっている。
つまり許可証が必要となるのだ。これは生活に欠かせない商品を扱うにふさわしい店だと、判断された場合のみ与えられる。
すなわち特権に等しい。それだけに、許可を持っているだけで周りからは、
「一目置かれる」
のである。
さて、このオミ屋の主人の死因だが……。
「不正がバレて捕まったそうです。それで守手にしょっぴかれ、調べを受けている最中、心の臓を患ったとか」
「あの御仁が? 信じられン!」
シャスタは激しい否定の言葉を口にした。
「あの情も懐も厚いオミ屋の主人サマが、銭欲しさにケチな悪事を働くかッてんだ。それにナ、わっちはあの爺様の事なら、よく知ッとる。こいつはきっと……きっと」
彼女は大きく息を吐く。心配そうに見守る使用人達に苦い笑みを見せた。
「取り乱しちまッたあねェ。ささ、仕事だ。飯がまだのヤツは早く済ませて」
気丈に振舞う女主人にせっつかれ、皆がぞろぞろ動きだす。シャスタも手を叩いて声を張りながら、店頭へ歩いて行った。
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「オミ屋さん、大丈夫かな?」
あくる日の昼下がり。
お使い途中のレミルは、不安をこぼした。
「葬儀は終わったが、これからが大変でしょうな」
若い使用人が応える。今日はニトが同行していない。急ぎ用があるといって外出していたのだ。
「なんせ、罪を犯したってんだから」
と、使用人。
「良からぬ噂は、流行り病と同じくれぇ性質が悪い。もう商売すらできんでしょう……」
「うちの店にもよく来てくれたよね。良い人だったよね?」
「さようです」
「本当にオミ屋さん……わるいことをしたのかな。どう思う?」
若い使用人はすぐに答えた。
「ハメられたんスよ、やっぱり!」
そして、大声でまくしたてるように続きを言う。
「守手なんざ、ごろつきと大差ねぇんだ。あれこれ因縁つけて罪をなすりつけたんでしょう。ひでえ世の中でござんすよ、お嬢。生き地蔵のようなオミ屋さんが、クズに殺――」
レミルは使用人を慌てて路地裏に引っ張った。痺れを切らした守手が一人、棍棒を持って走って来たのだ。
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