食客商売8話-終「食客、中途採用される」


 その後しばらく、ドモンは仕事の都合で隣町を往き来することになってしまった。


 彼は数日間は家に帰らず、宿や役所の部屋で不安と一緒に数日を過ごした。

 


 そして、寝不足による疲労を土産に帰宅したドモンは、玄関であやうく卒倒しかけた。

「おかえり」

 あの女が、ぶかぶかの古着を着て、眠そうな顔でドモンを出迎えたのだ。


 家族より先に!


そこへ……。

「お帰りなさいまし」

 ぱたぱた、身重のシャスタがやって来た。

「ドモンさん。幽霊を見たような顔をして、一体どうなさったんです?」

「これは?」

 ドモンは顔を真っ青にして、女を指差す。


「これは……って、この子は食客です。もしかして、何も聞いてなかったんですか?」


「はい?」

「あ、やっぱり。父様ととさまが急に家へ連れて来たんですよォ。食客として、しばらくウチで面倒をみる事になったんです」


「はい!?」

 声をあげた事で、ドモンは辛うじて失神を免れた。もはや鉄仮面は崩れ去り、情けない間抜け面を晒していた。


父様ととさまは相変わらず適当な物言いで、反対は聞かんってぇ態度です。

でも、一人くらいなら養えるだろうし。実を言うと、わっちも、そういうのが欲しかった所でねぇ。さあさあ、お風呂沸かしてますから、早く入って下さいな。話はゆっくり、その後に」


 ニコニコ微笑み、シャスタは奥へ引っ込む。反対にドモンはよろめきながら、家に上がった。

「おい……貴様」

 何とか喉から声を絞り出す。


「ニトだ」

 不意に女がぼそりと呟いた。


 やや遅れてドモンは反応した。彼の目はもちろん、驚愕の色で染まっていた。

「今、なんと?」

「ニト。あたしの名前。主人がくれた」

 訥々と、女食客「ニト」は言った。


「主人?」

 もうやめてくれ。

「さっきの人。新しい主人」

 ドモンは壁に体を預け、ズルズル、床にへたり込んだ。



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「どういう事ですか、お義父とうさん!?」

 ドモンはある老人に食ってかかった。


 この老人が元締めのヒョウ。他の顔はシャスタの父、マギル商会の先代の主人。そして、ドモンの義父。


「どうもこうもねェよ。てめえの間抜け面が見たかったのサ」

 ヒョウは豪快に笑いながら、煙管を取りに席を立った。


 相当な高齢にも関わらず、老人の足取りはしっかりしていた。そして、やせ細っているが、皺くちゃの褐色肌は血色が良く、髪留の挿さった白髪は、たっぷり残っていた。


「ふざけないで下さい。お義父さんも知っている筈だ。あの女がどんな化け物なのか」


「知っとる、知っとる。だがなぁ、あの女だけじゃない。世の女は総じて怖いんだ。それはそれは、熊野権現の札をたんまり持っても敵わんくらいになぁ」

 ヒョウの馬鹿笑いは激しくなるばかり。

 すると突然、ドモンは縄鏢を老人に向けて投げた。


 ヒョウが取ろうとした煙管を黒縄で搦め捕り、素早く手繰り寄せてしまった。

「お医者様が止めるよう言ったでしょう?」

「さて?最近、物忘れが激しくてなぁ。よう思い出せん。ああむ、今しがた何を話していたのかも、すっかり忘れたまったぜ」

 ボヤきながら、ぼりぼり頭を掻くヒョウ。


 次の瞬間、老人はきびすを返して、しなびた腕を力強く振るった。

 髪留を投げたのだ。


 咄嗟にドモンは奪った煙管で髪留を弾く。

「おれ……私を殺す気ですか?」

「馬鹿言うんじゃあねェ。髪留め程度で人が死ぬかよ」


 ――避けなければ、絶対に死んでいた。

 ドモンは額の汗を拭う。

 今のは紛れもない必殺の一撃。避けなければ、今ごろ脳を射抜かれていただろう。


「……シャスタに咎められても、おれは助けませんから」

 白旗代わりにドモンは煙管を投げ返した。

「情けねぇ婿養子の助けは要らねーよ」

 煙管を受け取るヒョウの顔には、相変わらず快活な笑みが張り付いていた。


「使えそうだから手元に置く。理由はそれだけさね」

 不意にヒョウは言った。

「最悪の事態を考えないとは。お義父さんらしい答えです」

「考えてる、考えているよ。いちいち、てめえらに言うのが面倒なだけだ。やべぇ事になったら殺して捨てる。これで満足かい?」

「たいへん満足しました。その時が来たら、大変な事になるというのが、よく分かりました」

「てめえにしちゃあ物分かりがいいな」

 ドモンは頭をふりふり、呆れる事しかできなくなっていた。


「義父さんは、よくあいつと口を利くことかできましたね。どんな手妻を使ったので?」

 と、ドモンは話題を変える事にした。

「なに、簡単だ。新しい主人を用意してやったんだ。奴らは言ってみれば機械だ。設定さえ変えれば、どうにでもなる」

 ヒョウは煙管を口から放した。


「霧の阿呆共はな、さらって来たガキの名前、記憶、全てを捨てさせて、戦うだけの機械に育て直すんだ。時間を掛けて、金を掛けて、一個の機械にな」

「噂には聞きましたが、本当にできるんですか、そんな事が?」

 ドモンは半信半疑であった。


「この馬鹿婿。現に証拠が、この屋根の下にいるだろう!」

「あの女ですか」

「ああ。テメェにはまだ教えねぇが、霧の兵士を操るには『ある言葉』が必要なんだ。つまり鍵だ。

 一旦鍵を外して、それから新しい主人と任務を教えて、また鍵をかけるのさ。あとは飯さえ食わせれば、命令通りに動く」


「いったい、どこで方法を知ったんです?」

「まだ教えん。少なくとも、俺がくたばるまでの間はな」

 ドモンは訝しんだ。ヒョウの態度に引っかかりを覚えたのだ。


「とにかく。今のあいつはシャスタを主人に、テメェを仲間として認識している。そして、ニトの仕事は、この店とシャスタ、これから産まれてくるテメェのガキを守る事だ」


 煙管の灰を叩き落としながら、ヒョウは真剣な面持ちでドモンに言った。

「野良犬に成り下がっていたとしても、ヤツはよく訓練された機械だ。仕事は忠実にこなす」



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 よく訓練された機械だと?

 ヒョウに諭されても尚、ドモンは疑問を拭えない。むしろ一層、彼は不安に苛まれた。


 茶を貰おうと台所に行ってみると、ニトが山のように積まれた饅頭を、一心不乱に食べている最中だった。

 その隣には、にこにこ笑うシャスタ。

「この子、何でも美味そうに食べちゃうんですよぉ。いやあ、見ていて楽しいわねぇ」

「ああ」

 ドモンはぎこちなく頷く。

 これではまるで、餌付けされる猫と飼い主だと、ドモンは戸惑った。


「美味いかい?」

 シャスタが嬉しそうに訊く。

「うん」

 饅頭を口に頬張りながらニトは返事する。

 その間に、ドモンはおそるおそる、女の前に座ってみた。


「こんなに食べさせたら、夕食が食べられなくなるぞ?」

 用心しながらドモンはシャスタへ言った。

「たべる」

 と、間髪いれずに食客が上目遣いに言う。


「ドモンさんはまだ知らんでしょうけど、この子は健啖家なんよ」

「そうらしいな。そうなると、食費が……」

「まさか。大食らい一人増えて傾くようなマギル家じゃあないですよ!」

 と、シャスタはころころ笑う。親子揃ってよく笑うと、ドモンは更にげんなりする。


「……ニト」

 試しにドモンは、新たな同居人の名を呼んでみた。

 食べるのを止めたニトは、じっとドモンを見つめる。


 ニトは廃れた言葉で、数字の「20」という意味だ。明るい所でみると、見た目はまだニトにも達していない少女だ。

 どこを見ても鋭さというものがない。

 鈍重、鈍感、愚鈍の三拍子を見事に兼ね揃えているように見えてならない。


 ヒョウ曰く、そう振る舞うように「調整」し直したそうだ。

 演技云々を超越して、人格そのものを切り替えられるというのか。

 信じられない。

 しかし、否定を真っ向から否定する存在が、目の前にいる。


「どうしたんです、ドモンさん?ニトに声を掛けたっきり、急に黙っちゃって」

 シャスタが不安げに尋ねる。

「すまん、少し、考えごとだ」


「おい」

ニトが手にしていた饅頭一つ、ドモンへ差し出した。

「食うか?」

 ドモンは饅頭とニトを交互に見た。


 おずおず、ドモンは饅頭を受け取り……

「いただきます」

 一口、かじった。


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 あれから15年。

 ドモン・マギルは役人として、婿養子として、父親として振舞いながら、請負人の仕事を続けている。


 その内、一人の女が裏の仕事を手伝うようになった。

 最初は密偵や調査に加わるだけだった。それが次第に、一人の請負人として、標的の暗殺まで手がけるようになった。


 いつも女はくたびれた革鎧と、ボロ布めいた衣を纏い、両手には鎖付きの赤手甲をはめて仕事に臨んだ。

 そして、冷酷且つ正確に標的を仕留めてしまうのである。


 女の名前はニト。かつて暗殺集団『霧』の生きた兵器だったもの。


 そして今は……。


「いつまで寝てるの?早く起きなさい!」

 怠け者の女食客。


(了)

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