食客商売8話-3「食客、中途採用される」


 怪物は檻の中に閉じ込められていた。もちろん、正真正銘の化け物ではない。

 正体は剥き身の刃物のように危うい眼光を放つ女だ。


 ドモンはロウソクの灯りを掲げ、女の子の全容を照らそうとする。

 すると女は灯りから逃げようと身じろぎをした。両手を縛った鎖がこすれ合い、牢中に響き渡った。

 ドモンが昨夜抱いた印象は変わらない。

 手負いの獣だ。


 ここは河岸に投げ捨てられた廃船。船倉の一角には牢が設けられていた。昔は規則破りの船員でも閉じ込めていたのだろう。


 牢のすぐ横に、女が纏っていたぼろ切れ同然の服や、革鎧などが置かれている。

 その中でも特にドモンの目を惹いたのは、鎖の付いた赤手甲だった。

 昨日遭遇した時も、請負人は赤手甲に目を奪われたのだった。


「……こまった」

「旦那?」

 ザムロが小声で話しかけてきた。

「まあ、確かに困ってます。俺が話しかけても、うんともすんとも反応しなさそうだからね。だから、あんたに全て任せたい」

「無理だ」

 きっぱり、ドモンは断る。


「そんなぁ」

「だいたい、隠居が無理な注文をして来るのが悪い。コレをどう御せというのだ?」

「旦那。気持ちはわかる。あの人の言ってることは理不尽だがね……」

「こいつと仕事をしろだと?しかも、仕事中は監視なしで、自由にさせろだと?」

「旦那。あんたが腹をたてているのはよく分かった」

「馬鹿も休み休み……」

「旦那。声を大きくして、しかも当人のいる前で話していいのかい?」

 ザムロの指摘から、瞬時にドモンは口を閉ざした。


 無表情、無愛想に見えて、内心は真逆。隠居のことになるといつもコレだ。

 と、ザムロはこっそりほくそ笑む。番頭として接している内に、ドモンは無理に感情を押し殺しているのだと、ようやく気付いた。


「さて、こいつにどうやって説明しよう」

「何事もなかったかのように振る舞うな。全部筒抜けだぜ」

 呆れる仲間を無視して、ドモンは更に檻へ近づいた。


「名前は?」

 ドモンが尋ねるが、案の定、女は無言。

「あ、分かった。ひょっとして言葉がわからねぇのでは?」

「いいや。きのう、この国の言葉を話した。……まさか、飼い主の許しが必要なのか?」


 早々に匙を投げたザムロをよそに、ドモンはブツブツ独り言を始める。

「今のこいつに飼い主がいるのか?そう見えない。では、山賊をなぜ……?」

 とうとう女もドモンを不審がり始めた。ぼろ切れに包まりながら、彼女は上目遣いに、細身の男を睨んだ。


「ちょっと。ザムロ」

 何を思いついたのか、ドモンは急に仲間を呼ぶ。反応に遅れたザムロは座っていた樽から、滑り落ちかけた。


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「私の見立てが正しければ、あの女は……」

 檻の見張りを手下に任せて、二人は別室に移動した。

 鉄仮面ぶりは相変わらずだが、やけにそわそわしている。ザムロは胸騒ぎを覚えた。


「あの女は『霧』の兵士だろう」


「ほう。そいつぁ、どんな厄介筋で?」

 組織の名を出されてもピンと来ないザムロは、あえておどけてみせた。


「厄介中の厄介だ」

 返ってきた視線はあまりにも鋭い光が宿っていた。

 今のドモンには冗談を受け流す余裕もない。穏やかではないと、ザムロは頰を強張らせた。


「霧は傭兵ではない。宗教団体でもない。強いて言えば、暗殺者集団だ。先の大乱の最中に全滅して、今は存在しない」

 ドモンはドアを一度見てから、またザムロに顔を向けた。


「霧の兵士は戦争、政治闘争、革命、歴史上あらゆる場面に現れた。重要人物の暗殺や、混乱の収束の為に暗躍して来たんだ。目的はこの世の秩序……あるいは均衡」


「それだけ聞くと正義の味方って感じだ」

「だろうな。しかし、奴らは手段を選ばない。未来永劫の平和の為には、民衆を殺戮することさえ、平気で行う連中だった。

女子どもでも、容赦はない。

 ある時は疫病とみせかけて毒を流し、都市一つを滅ぼした。

 そして敵も味方すら関係ない。命令一つで、敵はもちろん、その瞬間まで肩を並べていた戦友でさえ、平気で手を掛けるんだ」


 ドモンは大きく息を吐く。相対するザムロは脂汗を拭うのも忘れていた。


「従軍していた時に、何度か霧の連中の噂を耳にした。ずっと昔から、奴らは戦場のおとぎ話として、おとぎ話の怪物として畏れられてきた」

「それじゃあ、婿旦那。その生き残りが、あの女?」

 ザムロは無理やり笑みを作ろうとするが、口の端がヒクついていた。


「お前も見ただろう。鎖のついた赤手甲を。アレが、霧の兵士である何よりの証だ」

 落ち着かない。部屋を移動しても拭えない。


 ドモンは怖れていた。

 さっきから、強烈な不安が背中を這い回り続けている。


 まさか、逃げられたのでは?

 どこかで自分達の話を聞いているのでは?

 どこかで逆襲の機会を窺っているのでは?


 危険だ。あの女は味方にできない。たとえ事が上手く運んだとしても、いずれ何かの弾みで味方に牙を剥くやもしれない。


 自分だけに害が及ぶのなら、まだいい。

 ヒョウ――シャスタの父親は?

 ザムロは?

 他の仲間達は?

 そして何より、シャスタ。


 彼女と生まれてくる子どもに「もしも」の事があったら?


「……旦那。まさか、あんた」

 と、ザムロが勘付く。

 ドモンは隠し持っていた縄鏢を、血が滴り落ちるまで、強く握りしめていた。

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