食客商売4話-3「酒にのまれるのは食客」
ディー・ランは空の蓋付きジョッキを軽く掲げた。
無愛想な女給が何も言わずにジョッキをひったくっていく。
それからきっかり40秒後。女給は乱暴にジョッキを置いていった。中は安酒で満たされていた。
小汚い路地にある粗末な店。ここには表通りに並ぶだけの清潔や品性が欠けていた。それでも店は、すえた臭いと人間でいっぱいだった。
店には壁がない。地面に刺した木切れに、穴だらけの幌を張り付けただけ。
客に対して椅子の数が絶対的に足りない。
木箱やガラクタの類を置いても、やっぱり足りない。
客の多くは立ったまま、今にも折れそうなテーブルを囲む他ないのだ。
はす向かいの客が、粘っこい視線を僧侶に向けてくる。さっきからずっと、彼は空になったコップを啜っていた。
嫌な野郎だ。
ディー・ランは無視を決め込む一方、その時への準備を整えていた。それとも、今すぐ仕掛けてやろうかとさえ考えている。
理由なんてどうでもいいのだ。酔っ払いの喧嘩とは、切欠からてん末まで下らないものばかりなのだから。
そんな腹の立つ視線を一人の女が遮った。
夜中に裸の男と寝て、食い扶持を稼ぐ手合いだった。安い着物と痩せぎすの体を魅せる努力はしているようだが、残念な事に、その実が結ばれているようには見えない。
彼女は首筋に刺青を彫っていた。花のようだが、何の花かはよく分からない。
「昼間から商売してんの?」
「ふざけないで」
卑しく笑う僧侶を、女は露骨に嫌悪した。
路上の汚水を避ける時の目付きで、テーブルに紙巻を置く。
「金は払うんでしょうね」
「勿論。ついでにどうだ?」
ディー・ランはジョッキの蓋を指で叩く。
「奢ろう」
「アンタの施しなんかご免だよ」
「残念」
泣きそうな顔を作り、僧侶は袖の下から袋を取り出す。
それを女の手に渡す。すると、彼女は目を白黒させた。
厚みと重さに驚いたのだ。
「今日は最高に気分が良いんだよ」
ディー・ランはにこやかに笑って席をたつ。女が手にした報酬に呆けているのを尻目に、あの嫌な目付きの酔っ払いに近づいた。
「一杯、奢らせてくれないか? 一人で飲むのは味気なくてねぇ」
蓋付きジョッキをテーブルに置き、ディー・ランは愛想よく微笑む。
「……話が分かるじゃあねえかい、坊様」
酔っ払いは歯の抜けた口を横に広げた。
「ちょいと!酒を二つ頼むぜ!」
ディー・ランが右手を挙げて店主へ声を掛ける。自然と、酔っ払いの視線も同じ方角に動く。
隙が生まれた。ディー・ランは空いた左手で、酔っ払いの頭を掴む。
そして、酔っ払いの顔を、ジョッキに叩きつけた。
赤くなった破片、砕けた歯がテーブルの上に四散する。酔っ払いの体がずるりとテーブルから崩れ落ちた。潰れた鼻や裂けた口から血が流れ出ていた。
だらしなく地面に伏す酔っ払いを見下していると、ディー・ランのもとに酒が二つ運ばれてきた。
注文通り、この店が出すものでは高価な酒だった。
持ってきた無愛想な女中は、倒れている酔っ払いを一瞥する。それだけ。すぐに視線を外してしまう。他の客も、騒ぎなどなかったように振舞い始めた。
「いいねえ。上物だ」
酒を受け取りながら、女給に代金を渡した。それから受け取った酒を、青ざめた顔をしている商売女に。
「乾杯!」
――――――――――――――――――――
その夜。町外れの廃寺。
「――で、今日はどんなご用事で?」
女から渡された手紙に従い、ディー・ランはここに来た。
寺には既にザムロがいた。
「集合時間と場所しか書かねえんだから。もし俺ちゃんが、億劫がって来なかったらどうするつもりだったの?」
「別の奴に頼む。近頃は、金次第で仕事を引き受けてくれるヤツがいてね」
「どちら様?」
「マヤジャだよ。それも、腕っこき」
ディー・ランは嘲笑する。
「ついにマヤジャくんだりにまで声を掛けるたァな。そんなに余裕がないのか?」
マヤジャは狩りを生業とする集団だが、何も好きで山暮らしをしているのではない。
彼らの多くが、犯罪者や街にいられなくなったはみ出し者や、その子孫だった。
故に「社会」はマヤジャを嫌悪し、ならず者と同等に見なすのである。
「腐った生臭坊主よりは有能だぜ」
「……会ってみたいもんだよ、そいつに」
ディー・ランは腐った縁側に腰を下ろした。これが本題に移る合図となった。
それからザムロは店に来た妙な三人組の事を皆に話した。
「変な客ってだけならまだいい。問題は、連中がどこから来たのかなんだ」
「店を出た後に尾行したんだな?」
と、ディー・ラン。
「マヤジャの男……ヴィクがやってくれた。三人組は、店を出た後で、まっすぐヂヲ一家の見世蔵に行ったらしい」
ザムロが片方の眉をあげた。
「ヂヲっていやあ、不味い密造酒で荒稼ぎしてる輩だな。昼間、しこたま飲んできたぜ」
「不味いのに何で飲む?」
「決まってんだろ? 酔っ払うのさ」
すかさず坊主は言い返した。ザムロは鼻でせせら笑い、続きを言う。
「つまりだ。ヂヲの蔵に出入りするようなゴロツキ連中の目的が知りたい」
「てっきり請負人の仕事かとばかり……」
「すぐには殺さねえよ。キチンと調べてから決める。それが俺達のやり方だろう」
ディー・ランは数度頷く。それから、ふと思い出して尋ねた。
「あの食客にも話はしたの?」
―――――――――――――――――――
ニトはしかめっ面を作った。
酒に酔う感覚はいつも不快だ。
身体の全てが狂う。思うように動かない。これは命取りになる。
だからいつも、少量だけ口に含み、酔うフリをしてやり過ごす。
客人として店に居づいて何十年も経つが、彼女は酒に対して距離を置いていた。
今日は商人同士の会合……とは名ばかりの、飲めや食えやの宴会が開かれていた。場は大盛況らしい。何しろ、宴会場から離れた廊下にまで、楽しげな音が漏れ聞こえてくるのだから。
その中に、シャスタの陽気な笑い声もまじっていた。
今は持ち込まれた壺の値段を言い当てているようだ。
壺。
そういえば、昼間の3人組も壺を探していた。ザムロは、彼らに引っかかりを覚えたようだ。今も子飼いの密偵を使って情報を集め始めている。
「壺……」
話を持ちかけられたが、わざわざ出張る必要はないだろう。
気配を感じて徐に振り返る。
商会の一人娘、レミルが立っていた。
「ここにいたんだ」
レミルは温和な微笑みを作る。純朴で飾りっ気の無さは、生まれ持っての長所といえた。
「ニトがいないから、大皿の料理も全然減らないんだよ」
「みんなが大人しくなったら食べに行く」
「冷めたら美味しくなくなっちゃう」
「あたしはね、大抵の料理は美味しく食べられるんだ」
「なに、それ?そんな事を自慢しちゃうの?」
「しちゃうの」
二人は顔を見合わせ、そして笑った。
「あーきれた。やっぱりニトは、いつまで経っても昔のまま。ちっとも変わらないんだ」
レミルは肩を竦めてみせた。
「……さて、ちょっと手伝って。お母さんったら、きっと飲み過ぎてしまって起きれなくなるだろうから」
「はいよ、お嬢」
ニトは重い腰を上げた。
「よろこんで」
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