食客商売4話-7「酒にのまれるのは食客」
〇〇
「ジェリ。壺はどこへやった?」
コズンがやって来た。さっきまで、蔵の地下にある賭場で豪勢に遊んでいたようだ。その名残がニオイとなり、ツンと鼻をさす。
「指示通り、部下に運ばせました。今ごろは屋敷に着いているでしょう。あと、ヂヲさん死体は物置に。頃合いを見て、捨てさせます」
「いいぞお。今日は良くやった。お前も早く骨休めをしろ」
そう言ってコズンは歩き去った。足取りは軽く、上機嫌だった。
反対にジェリは不機嫌だった。表には決して出さないが、組織のトップに収まったコズンを、彼は良く思っていなかった。
しかもその椅子は、前の持ち主を殺して奪ったものだ。
そして、もう一つ。特に気に食わないものがある。
「いつまでそこに隠れている?」
コズンがいなくなったのを見計らい、ジェリは尋ねた。
「ふざけた奴だ。それで隠れているつもりか」
ジェリは光の届かない片隅に体を向けた。
「だったら、そっちから来りゃあいいじゃあねぇか。一人で勝手に腹ぁ立てやがってさ」
影がぬっと動いた。
「怒ってるのはこっちの方なんだけど」
と、影は軽薄に言った。灯りのあたる場所で影は立ち止まる。
ディー・ラン。戒律破りの坊主。
「何の用だ? 聞いたところで素直に答える馬鹿ではなさそうだな」
ジェリはそう言いながら、傍に置いてあった棍棒を手に取った。巨大な容器をかき混ぜる時に使う、長い棍棒である。
巨漢であるジェリの背丈を優に越えているにも拘らず、彼はそれを片手で軽々と持っていた。
「残念。馬鹿なんだよ、俺は。くそったれな女に惚れた、くそったれの男。んで、そのくそったれな女を殺した、くそったれを殺すのに、こうして出向いたんだ」
ディー・ランはジェリを睨みつける。凶悪な殺気を滾らせながら。
「なるほど。確かに馬鹿のようだ」
2人は間合いを詰める。
「どうした。仲間は呼ばんのか?」
と、請負人は尋ねる。
「呼んでほしいのか?」
「ご自由に。こちらは構わん」
「つくづく愚かだな、貴様は。こういうバカにうってつけの薬がある。それをくれてやる」
ジェリは棒を体の前で構える。いつでも突きが放てるよう、体勢を作る。
しかし、ディー・ランはどうだ。武器はおろか、構えらしいものさえとろうとしない。
こいつ、死にたいのか?
訝るジェリに、請負人は言った。
「どうした?早く来い」
薄笑い。たった一つの笑みでも、ジェリの堪忍袋を破るには充分すぎた。
ジェリは前に踏み込んだ。
恐るべき棒のひと突きが、ディー・ランの眼前へ迫る。
それに対して、ディー・ランは避けようとしなかった。防ぎもしなかった。
前に、敵の一撃に、真っ向から突っ込んでいった。
同時に右の拳を振るう。まっすぐ、直線 的な軌道を描いた一打であった。
棍棒の切っ先と右拳が正面からぶつかり合う。
力が拮抗し、棒は緩やかに曲がり始める。
拳は止まらない。
ディー・ランは抵抗をものとせず、脚をつっぱり、腰を回転させる。
生み出された力が拳を突き進める。
棍棒の先端を砕き、めきめきと割っていく。
止まらない。
棒は花びらのように四方に分かれていく。
止まらない。
そして、ついに中ほどで真っ二つに折れた。
ディー・ランの拳は真っ赤に濡れている。
肉は裂け、あちこちに木片が深々と刺さっていた。
「馬鹿な……」
ジェリが半歩ほど後ずさる。
「足りねぇよ」
ディー・ランは低く呟き、大きく一歩、前へ。
「こんなんじゃあ足りない」
前進。
「もっと殴らせろ」
ジェリは身構える。だが、遅かった。得体の知れない僧侶は、もう既に至近距離にまで迫っていた。
やられる。
そう判断した直後、鈍痛が全身を駆け巡った。
下を見ると、みぞおちに正拳が刺さっていた。
痛みより息苦しさを覚え、よろめく。
なんだ、こいつは!?
目をひん剥く大男に、ディー・ランはもう一打、お見舞いした。
傷ついた拳がジェリの鼻柱を砕く。
血だらけの拳が右耳の鼓膜を破る。
ジェリの顔に脂汗が滲む。
鼻血を零して後退する敵を逃さんと、ディー・ランはジェリの足を、靴の上から力強く踏んづけた。
ぱきり。乾いた音が、キンキンに冷えた酒蔵の空気を震わせる。
左足 、複雑骨折。大男の動きが止まる。
鬼。ジェリに襲いかかる男は、まさしく荒れ狂う鬼であった。
狙うは下半身。ディー・ランは下から上へ右の拳を振るった。
股間強打。
恥骨破砕ッ!
そして……睾丸粉砕ッッ!!
「がっ……あがああぁッッッ???!!!?」
急所を破壊され、ジェリは体をくの字に折り曲げる。男の意地、体面など、彼にはもはや存在しない。苛烈すら生ぬるい、地獄よりも遥かに過酷な痛みに、全て消されてしまったのだ。
ジェリはその場に両膝をつき、ぼろぼろ涙を垂らして苦しみ、壊れた股座からは赤い小便を止め処なく流した。
ジェリは今まで誰かを見上げることが殆どなかった。いつも、彼は見下ろす側にいた。
それが今はど うだ。
得体の知れない鬼に、見下ろされているではないか。
これで俺は死ぬ。最期の一撃が待っている。
ジェリは覚悟を決めた。
だが……。
「まさか、楽に死ねるとは思っちゃあいねェよな?」
「……へ?」
意味を図りかねたジェリは、直後に激痛と目眩に襲われた。
側頭部にディー・ラン拳が振り下ろされたのだ。
ぐらぐら視界が歪む。そこにまたもう一打。反対側の側頭部。
ジェリの硬い頭蓋骨に、ヒビが入ってしまう。
ダラリと耳の穴から濁り水のようなものが流れ出て来た。
終わらない。ディー・ランは左右の拳を交互に振り回し、ジェリの顎関節を壊した。
終わらない。
だらりと下がった顎を打ち上げた。上下の顎が互いにぶつ かり合い、歯が全て砕けた。
歯と血のカクテルを噴水のように吐き出すジェリ。
ディー・ランは天井を向いたジェリの顔面に、ずたずたに裂けた拳を振り下ろした。
これがようやく訪れた、最期の一撃となった。
〇〇〇
ジェリが殺されたほぼ同時刻。コズンは一人、酒蔵から離れた物置部屋にいた。
中央に置かれた樽を前に、彼はほくそ笑む。
樽の中には、かつてのボスが詰まっている。
部下に裏切られたばかりか、その死体はバラバラに切断され、懐を肥やした密造酒漬けにされてしまった。
あとは樽ごと運河に沈めてしまえば、見つかることもない。
コズンは絶頂のまっただ中にいた。足が今にも浮き上がりそうな位、彼は喜んだ。
壺 は易々と返ってきた。そして、成り行きとはいえ、組織の頂点に立つこともできた。
コズンは樽に背を向けた。声をあげて笑ってしまいそうなのを、冷たい理性が抑え込む。
その時だ。背後から音がした。
一度だけ。微かな物音だ。しかし……。
冷たい理性よりも遥かに冷たい、凍りつく寒さがコズンの背中を走り抜けた。
振り返る。
さっきと何一つ変わっていない。同じ光景。
ヂヲの体を詰め込んだ樽が置かれ、あちこちに積み上げられている道具類にも変化はない。
ネズミ? それとも、荷物が崩れた?
体から熱が奪われていく。
この時期、この時間は確かに寒い。
違う。この寒さは内側から襲ってきている。
恐れ。
見えない「何か」に対する恐怖だ。
慌ててコズンは後ろを振り返る。
背後に気配を感じたのだ。
しかし、やはり誰もいない。
そもそも、最初からいなかったのでは。コズンは自分の感覚を疑った。
「まさか」
すぐに気のせいだと片付け、余裕を取り戻そうとする。実際、幾分かコズンは落ち着きを取り戻していた。
だが、またすぐに要らぬ想像が湧いてしまう。
彼の目は勝手に樽へと吸い込まれていく。
思い込みだ。馬鹿馬鹿しい想像だ。
あり得ない。自分でもそう思う。
なのに 、どうしてさっきから、樽から目が離せない。
あの中に入っているのは死体だ。バラバラの肉片、型崩れした臓物や、折れた骨ばかり。
そんなのが、どうやって音を出す。
まさか生き返った?
やはり、自分は馬鹿な妄想にとりつかれている。
ならば確かめてやろう。妄想を消してやろう。
コズンには自信があった。あの中身を見ても、食べたばかりの豪華な食事を戻さないと。
樽へ歩き進む。その足取りには、異変が起きる前より威勢があった。
樽の蓋を掴む。勢いよく外した。
「うん?」
コズンは目を丸くする。
樽にはヂヲの死体はおろか、ひたひたに満たされた酒も入っていなかった。
樽の中には襤褸布のお化けが、ぴったり と入っていた。
顔を覆い隠すフードの奥から、喜怒哀楽すべてを欠いた目が、コズンをじっと見上げていた。
「あら……?」
コズンは自分の胸元を見た。
鈍色の刃が胸に深々と刺さっていた。
湾刀だ。それで急所を一突き。
肌蹴た着物から覗く肌が赤黒く染まり始める。
お化けは水平に刺した刀をぐるりと捻った。
「あら……あり?」
刃が抜ける。コズンは傷口を抑えたまま、後ろへ一歩、よろめきながら下がる。
「る……れ……」
口から声を漏らす毎に、一歩ずつ後退。
「……ろ」
どさり。
コズンは仰向けに倒れた。
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