食客商売4話-6「酒にのまれるのは食客」
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ヂヲは密造酒の売買でのし上がった男だ。
滅多に人前には姿を見せず、その人となりは長らく謎に包まれていた。
しかし、ニトはその秘密をすんなり知ってしまった。
天井に張り巡らされた梁から、女食客はだだっ広い酒蔵を見下ろしていた。
あの追跡の後、彼女は密造の本拠地に潜入したのだ。
「ほへぇ……」
思わず口からため息が漏れた。彼女ですら圧倒される光景が、足元に広がっている。
巨大な貯蔵タンクが一面にずらりと並ぶ。その一つ一つ に、何人もの男たちが肩を寄せて集まり、酒造りに精を出していた。皆、周りを見ようとしない。目の前の作業に集中している。
作業の内容も設備もしっかりしたものだった。彼らの密造は、そこらの酒造工場にヒケをとらないほど、大がかりに行われていた。
作業場から離れた一角には、使われていない樽や器材が雑然と積み上げられている。
その中に一つ、特に汚い樽が混ざっていた。
ヂヲはあの中に入っている。
正確には細切れにされた彼の肉体。あるいは、人間を構成していた部品の数々。
いずれにせよ、ヂヲだったものは酒漬けにされ、樽の中にみっしり詰まっているのだ。
彼は殺された。ニトの目の前で。
コズンという部下の手で。
バラバラにしたのはコズンの手下たち。顔にはっきり、気が進まないと書いていたが、彼らは従った。
原因は例によって壺だった。
ヂヲは部下を怒鳴り散らしながら、こう言った。
「あの壺はな、酒の帳簿なんだよ!」
彼らは壺の裏側に、酒の売買の記録をとっているらしい。
壺によって刻まれる内容が変わる。顧客の名前、卸した酒の品目、値段などだ。
彼らが血眼になって探しているのは、顧客情報がびっしり書き込まれた、最も重要な壺だった。
怒り狂うヂヲに責められ続け、コズンはついに逆上。隙をついて組織の頭目を、自分の雇い主を殺した。
一連の騒動からはや2時間。職人たちは黙々と作業を続け、コズンら幹部は冷徹に今後について話し合っている。
ヂヲが殺され、蔵の裏で後処理が行われていようとも、密造酒の製造が中断されることはなかった。
そして、コズンらもいっさい取り乱さない。
よくできた組織だった。これなら、頭目が誰になろうとも、機能不全に陥ることはない。
ニトは監視を切り上げることにした。必要な情報は手に入れた。
コズンの話によると、壺は賭場に出入りしていた老人が持ち去ってしまったらしい。
その後、老人は他の壺と合わせて、まとめてマギル商会へ売りに来た。
なぜ老人はこのような真似をしたのか。誰もその理由を考えようとしない。当然だ。壺の行方とは全く関係ないことなのだから。
壺さえどうにかしてしまえば、丸く収まる。
ニトの両肩から力が抜け た。マギル商会はさっさと壺を手放せば、この一件から解放される。
食客が退散しようとした時だ。蔵の中に大男が入ってきた。
その手に持っていたのは、壺だった。
船着場のすぐ横、木箱やゴミが雑多に置かれた河岸に野次馬ができていた。
生臭坊主のディー・ランは、その中に立ち尽くしていた。
彼は口を固く結び、拳を固く握り締めていた。そして、鋭い眼光を、岸にあげられたばかりの死体へ注いでいる。
遠目からでもよく見えた。
死体の首筋に彫られた刺青が。死んでもなお咲く牡丹の花が。
知り合ったばかりの娼婦、リーシェ。彼女は水路の端っこに死体となって浮かんでいた。
野次馬たちは平然と死体を見て、飽きると立ち去って いく。
死体など、汚い路地や排水路の辺りによく転がっているものだ。とりわけ、日銭もマトモに稼げぬ手合いの死体は。
「近くに住んでた貧乏娼婦でさ」
「溺れて死んだようだな」
引き揚げた彼女を囲みながら、守手どもが話し合っている。
「見てくださいよ、旦那。手首に巻き付いたコレ。酒瓶でさぁ」
下っ端らしい若者が紐付きの陶瓶を持ちあげた。
一緒にリーシェの細腕も持ち上がる。
それがディー・ランには、今にも折れそうな枯れ枝に見えた。
青白い枝。
今朝まで、あの腕が自分の体に巻き付いていた。あの小さな手が、必死に背中を掴んで離そうとしなかった。
ディー・ランは生きていた頃の彼女を思い出す。それが瞬く間に泡となり、弾けて消えて いく。
「中身は……入っちゃいねぇか、流石に」
「酔って水路に落っこちたんでしょうな。情けねえ死に方をしたもんだ」
検分を続ける守手。絶えぬ野次馬の群れ。
ディー・ランはそういった諸々へ背を向け、歩きはじめた。
向かったのはリーシェの部屋。鍵など無理やり開けてしまえば無いのと同じ。それに、文句を言う住人はもういない。
ディー・ランは扉を蹴破った。
思った通り。壺が無くなっていた。
やはり、あの壺は……。
「そちらさんも来たのか」
驚いた声が窓から聞こえて来た。
ニト。女食客は易々と窓から部屋に入った。
「何の気なしに入ってきたが、御宅、ここが何階か知ってるよな。3階だぞ。どうやって……」
ディーラ ンは口を噤む。考えるまでもない。屋上から窓枠や出っ張りを伝い、降りてきただけのことである。
「まあいい。んで、どいつもこいつも、どうして壺に拘る?たかが壺で、今日は一人死んだ」
ディー・ランは今朝まで横になっていた寝台に腰かけた。
寝台は狭い。なのに、広いと感じてしまう。
「三人だよ、ディー・ラン」
ニトは酒蔵で見聞きしたことをディーランに教えた。
一通りの説明が終わる頃、ディーランは舌打ちした。
「首を突っ込み過ぎたぜ。ああ、だいたい分かった。しかし、どうして壺が……帳簿がこの部屋に?」
「最初に壺を持ち出した爺さんには協力者がいたの。それが、この部屋に住んでた娼婦。二人は帳簿がどうとか知らなかったようだ。単に値 打ちものだと思って盗み出したんだって」
ニトは壺が置かれていた場所に近づいた。
「マギル商会に買取らせたのは、壺がそこにあるとヂヲ達に思い込ませる為。その間、件の帳簿を、娼婦が隠していたんだ。
ここまでは上手くコトが運んだ。けど、よくある問題が起きちゃった」
「仲間割れ」
と、ディーラン。頷くニト。
「手下を騙した後で、爺さんは壺を回収するつもりだったんだろうね。んで、この部屋に来たところで、欲に目が眩んだ娼婦が、爺さんを殺してしまった」
「それらしい痕跡は見当たらないが?」
「毒だよ。簡単に手に入る。そして、死体の捨て場所も、この界隈じゃ事欠かないよ」
「それも、ヂヲの酒蔵で聞いたんだな」
ニトはディー・ランの殺気を訝しん だ。
「まあ、うん。娼婦を殺したヤツが、今の話をボスに話していたんだ。そいつは娼婦から全て聞き出して、殺した。ジェリっていう、あんたよりデカい男さ」
大男・ジェリは粗暴な見かけによらず、気のつく男だった。大量の酒を飲ませて水路に落としただけでなく、死体に酒瓶を括り付ける小細工までわざわざやっていた。
敵に回すと面倒な輩だと、ニトは思った。
一方のディー・ラン。寝台に腰かけたまま、微動だにしない。
それに気づいたニトは小首を傾げた。
「……そうか。やっぱり女は殺されたか。因果応報ってか、ええ?」
おもむろにディー・ランは寝台に倒れこみ、大きなため息をついた。
「どうしちまったんだ。オレが言うのもなんだけど、さっきからア ンタ……ヘンだぜ?」
取り乱し気味のニトは伝法な物言いをした。
「首を突っ込み過ぎた。ああ、ああ、嫌だ、嫌だ。こんなコトになるなら、余計な気を起こすんじゃあなかったぜ!くそったれ!こん畜生!」
突然、ディー・ランは毒づきながら、部屋中の家具や調度品に八つ当たりを始めた。
ニトはディー・ランの間合いの外へ退避する。この坊主は体が大きいだけでなく、四肢も太くて長い。素手の一撃には侮れない威力がある。
実際、部屋はものの数十秒で半壊してしまった。
そして、ディー・ランは何を思ったか、部屋の外へ飛び出して行った。
それをニトは呆然と見送る。それしかできなかったのだ。
「……とうとう、頭にヘンな血が回っちまったらしい」
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