食客商売2話-5「外道を始末するのは悪党」

 その夜、ニトは店の裏でザムロが見慣れぬ男たちと話し合っているのを目撃した。

「あとは手筈どおり」

 彼らが解散したところで、ニトは気配を殺して、ザムロの背後へ近づいた。


「……頼みがあるんだが」

 ザムロが口を開いたのは、ニトが背後をとった頃だった。ニトが手を伸ばせば、難なくザムロの肉体に触れられるほどの距離だ。


「武器を持って近づかないでくれ」

「持っていない」

「その手に握られているのは?」

 やっとザムロは振り返る。息をつまらせ、額に玉の汗を滲ませていた。

「これ?」

 ニトは羽ペンを振ってみせた。

 持っているじゃあねえか。小声でザムロは抗議する。

「お前は文具だろうと便所紙だろうと、何でも武器にしちまうじゃないか」

 着物越しに肥えた腹が大きく萎んでは膨らむを繰り返している。


 ニトは彼の言葉を無視して質問を投げた。

「今のは?」

「あ、ああ。仕事だ。お前には話せる類の」

なるほど。ニトは合点がいった。


「殺し」

 彼女の言葉や表情からは、嫌悪もなければ真反対の感情もなかった。

「そう。番頭が板について来たとはいえ、俺の本職はこっちなんだよな。暗殺の仲介人。嫌な仕事だが、番頭よりは稼ぎが良いから、止めらんない」

「だからって番頭の仕事を疎かにしないで」

「無職が偉そうに」


 二人は壁によりかかり、話を再開した。


「身分を隠す為にこの店に転がり込んだってのに。気付けば店を切り盛りするようになるなんてなあ……時間ってのは凄いよ、まったく。それもこれも、事情を知った上で匿ってくれた先代のおかげかな」

 ザムロは遠くを見上げながら言う。言葉は懐かしさがにじみ、湿っていた。


「先代や女将さんたちのような、良い人間は少ない。代わりに、俺やお前のように、性根の腐った屑なら沢山いる。おかげで、悪党を悪党が始末する、こんなふざけた仕事が成り立っちまう。そういえば、今日の客も、立派な屑の一人か」


「……あのシュ・アラって男?」


 ニトは低い声で言う。懐から取り出した『こころづけ』をザムロに渡しながら。


「ああ。オミ屋に罪をなすりつけたのはあいつさ。証拠がないから、誰も口に出せないだけ。だが、みぃんな、目星さついている」

 ザムロはにやにや笑って切り出す。


「証拠はもみ消されたんだ。防人を抱き込む位、天下の大商人なら朝飯前だ。それにヤツの店の奉公人部屋では、夜な夜な賭場が催されていて、守手はおろか防人の悪徳役人まで通っているそうじゃあないか」

「ふむ」

「なあ、せっかくだ。今度の『仕事』手伝わねえかい? 実は、シュ・アラ殺しの依頼が舞い込んでいるんだ」

「手伝わない」

 さっぱり拒否するニト。ザムロは表情に困惑を浮かべた。


「標的が一緒なら話に乗ってもいいだろう」

「断る。そもそも、殺す気はない」

「やられたらやり返すと? ご立派だよ、御宅。いつか娘も母親も、店の誰かが死ぬかもだ。その時、ニトは後悔するだろう……先にやっておけばってな」

 早口にまくしたてるザムロに、ニトは鋭い視線を刺した。


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 シュ・アラの店はサチャの街の各所に置かれている。特に衣類を扱う本店は朝早くから大盛況であった。


 主な客層は懐に余裕のある中流階級。目当ては、自分達にでも手が届く値段の高品質な衣服や布地だった。


 昨今は、貴族や騎士たちが不況にあえぐ一方、こうして民衆が活気づいていた。


 表口が大勢の客や対応に追われるのに対し、裏口には人気がなく、ひっそり静まり返っている。

 おかげでシュ・アラは、昼間から防人の男に「袖の下」を渡せるのだ。

 紙で包んだ金貨をぞんざいに、堂々と。


「殺せ――とは頼んだ覚えはないぞ。どうなっている?」

 シャスタに面会した時とは打って変わり、防人への口調はとても高圧的だった。


「取り調べを担当した守手がやり過ぎましてな。まあ、取り調べ中に死者が出るのはいつもの事です」

「困るんだよねえ、そういう野蛮なやり方。相手が掃いて捨てる貧乏人ならいざ知らず。オミ屋だよ、オミ屋! 大商人を殺して、どうしてそんな平然としてる?」


「焦りなさんな」

 防人は早くも仮面の外れたシュ・アラをなだめる。

「遺言はガセ、ちっぽけな女商人には舐められる。あとどれだけ私に恥をかかせる気なのだね、キャラガ君!」

 詰め寄ってくる小男に、防人のキャラガは眉をひそめた。恰幅の良い、紳士然とした

キャラガは、悠然な態度をいっこうに崩さないまま言い聞かせる。

「あなたはどっしり構えて下さい。実行役は私達なのだから。あなたの役目はコトが成功するように投資することでしょう?」

 三日月型の細目に不気味な光が宿ったのを、シュ・アラは見逃さなかった。


「貴様!?」

 シュ・アラは小さな撫で肩を震わせて顔を真っ赤にした。しかし、それも長続きせず、キャラガの掌に金貨の束を押し付けた。

「これで上手くいくんだろうな?」


「見ていてください。明日にはすべて丸く収まっているでしょう」

 キャラガは上着の袖に金貨を仕舞うと、ゆっくり踵を返した。

「この……汚らしい犬め」

 店に入り際、シュ・アラは小声で罵った。キャラガに聞こえないよう、声を絞り切ったおかげで悪徳役人の広い背中には届かずに済んだ。


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「馬鹿野郎!」

 キャラガは怒鳴る。猛然と振るった拳が男の鼻をぐしゃりと潰した。

「よくも俺の顔に泥を塗りやがってえぇ!」

 膝をついて呻いている所へもう一撃。

「シェロ。二度ならず三度目の失敗とはいい度胸だな」


「ち、違うんです。話しを聞いて下せぇ――旦那」

 鼻を抑えたままシェロは言う。見ると、指の隙間から鼻血がボロボロ流れていた。

「俺が守手に推挙しなかったら、今頃は縛り首だったというのに。恩を仇で返すとはな」


「お願いします。は、話を――」

 腹に履物の爪先が刺さる。シェロは背中から地面に落ちると、身体をくの字に折り曲げ、悶絶。

「どうした? 早く弁解を申せ!」


「へ、へえ……」

 シェロは血まみれになった顔を歪めて弱々しく言い始める。


「遺言状は確かにありやす。丁稚が人目を盗んで持って行くのを見たと、オミ屋の女中が言ってやした。それに、女中は主人が遺言状をこさえている場にも居合わせておったんです。ですが内容は――」

「その場にいたというのに、知らぬとはどういうことだ?」


「字が読めないんですよ」

「……くそ」

 この事情には納得するしかなく、キャラガは低く呻いた。


「しかし、厄介な事ですよ、これは。どうするんです旦那?」


「そうなったのも、オミ屋を殺してしまったキサマのせいだろうが!」

「あんなすぐに死ぬとは思ってもみなかったんでさア!」

「クソ。役立たずを手下にするとこれだ」

 面前と罵倒され続けるシェロは俯いて歯を食いしばる。歯茎からはますます血が滲み、砂の地面に落ちる。


「ふん。遺言状さえ『無かった事』にすればいいのだろう。マギルとかいう女商人を殺そうが、店ごと焼こうが、方法は問わん。人手なら金を使えば集まる」

「ほ、本当にやるんですか!」


 ふん、とキャラガは鼻を鳴らす。

「時期が来たら、な。これはシュ・アラを捕らえる為のおとり捜査だ。気に食わないあの男に頭を下げるのも、すべてが任務である」

 と、防人は語気を強めて言う。しかし、内心は違った。


 新たな武官、ゴチェフは大勢の私兵や密偵を有し、自分のような不正を働く役人や防人を監視していた。

これは無言の圧力として機能していた。

 悪事への加担を黙認する代わりに、犯罪者から情報や証拠を手に入れろ。


 つまりは二重スパイである。

それが出来なければ罪人として処罰されるのは必須であった。


 つまり、キャラガは瀬戸際に追いやられているのだ。ここでシュ・アラを逮捕しなければ、自分も犯罪者の仲間入り。なにせ、賄賂を受け取っていただけでなく、オミ屋を拷問死させているのである。


「今度のマギル商会襲撃は、シュ・アラに陣頭指揮をとってもらわんとな」


 罪を帳消しにするには、もっと大きな手柄にする必要がある。

「――キャラガの旦那?」

「そうだ。ヤツは屋敷に無頼漢を集め、マギル商会を襲うよう指示する。そこに俺が率いる防人が討ち入り、悪党どもを縛り上げる」

 もっと華がいる。俺さまにふさわしい、華やかな舞台が。

 キャラガの中で不安は薄れていた。手に入ってもいない栄光を妄想し始め、現実に怯える暇がなくなったのである。


 おかげで気付くことができなかった。

 昨日、ザムロと会合していた男達が、物陰から全て盗み見ていたことに。

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