東京ダンジョンEE
リンゴあきと
青結晶の洞窟編
プロローグ 立川駅
一人の少年が手術台の上で静かに佇んでいた。
端正な顔ながら、手入れの行き届いてないボサボサの頭で天井を虚ろな瞳で見ている。
その少年、
「麻酔を投与しますね」
医師の軽い言葉と共に、点滴の管が刺された腕に激痛が来る。
だがその痛覚が消える間もなく、川蝉の精神は深い底に落ちていくのだった。
*
秋の薄汚い空に、いくつもの星が煌く。
都会を形成する雑多なビルが車窓に現れては消えるを繰り返す。
深夜と呼ばれる十二時近く、東京の宵を中央線の電車が駆け抜けていた。
川蝉透はヘッドフォンを耳にし外部の音をシャットダウンさせ、ドアのすぐ近くに腕を組んで佇む。
電車の窓に反射した自分の姿を何となく眺めていた。
そこには昨日までと何一つ変わらない不健康そうな十六歳の少年の姿がある。
ヘッドフォンを首にかけ、中学校の時から使っていたワイシャツに青いセーターを着て雰囲気だけは高校生っぽくしていた。
窓に左眼球を近づけて見てみる。
綺麗な眼球があった。逆にそれは綺麗過ぎた。
本来、人の眼球には血管の線がいくつもあるはずなのだが、それが全くない。修正されたグラビア写真の人物のようにまっさらな眼球だった。
一方の右目はそんなことはなく、人間らしいとも言える汚れがしっかりと残っている。
手術は成功と言うことなのだろう。
夕刻に黒業と言う不気味な男に貰った小型のタブレット端末をズボンのポケットから出す。
タブレットは手のひらに収まるサイズのもので、既存のスマートフォンより若干小さいサイズだった。色味が真っ黒なせいか、ipodのような音楽プレーヤーにも見えてしまう。
ただ普通のタブレット端末とは違い、その機能は極めて限定的だった。
そこにはこれから川蝉の行く先――ダンジョンの情報が蓄積されているのだ。
ダンジョン――そう呼ばれる場所がこの世にはあるらしい。そこではモンスターと誇称される生物達が
一度ダンジョンからこちらの世界に解き放たれればそれらは獰猛に人に襲いかかる。
それを事前にしとめるのが『
左目に魔眼と名称された生態コンピューターを移植手術させることで、超能力の一種である『魔法』能力を開発。
それを駆使することでモンスターに対抗する者達の総称なのだ。
怪物退治をする少年少女、命の危険性もあるこの仕事にはそのリスクに伴った報酬がある。
一晩で最低300万以上、運良く稼げればその十倍も珍しくないらしい。
その年齢に分不相応な報酬を求めて川蝉もまた魔眼を左目に埋め込んだのだ。
ダンジョンという未知、不明瞭なことがあまりにも多い中で、電車は立川駅に止まった。
川蝉はアルミ製のトランクを持って、座席から立ち上がりそこで下車する。
改札を通り、北口の出口を目指して歩き空中歩廊を抜ける。そこから駅特有の長い階段を降りてバスの停留所へ出た。
さすがに深夜とも言える時間帯なだけにひっそりとバスの運行は完全に停止していた。
そんな中、川蝉は周囲を見渡す。
そしてあるものを見つけた。
バスターミナルの端の方にひっそりと地下鉄に続く入り口を見つけたのだ。
夜だというのに『E-3』と点灯するそれは異様なほど目立っていた。
川蝉も立川はそこそこ利用する方だったが、果たしてこんなものはあっただろうか。そもそも立川に地下鉄なんて存在しない。
だがそれに乗れと言うのが黒業から言われたことだった。そこで着替え、そして移動しろとの説明を前以て受けていた。
川蝉は不信感を拭えないながらも、その入り口まで来て階段を降りる。階段内ではLEDのオレンジが内部を照らし、それによって足を踏み外すこともなく下ることができた。
たどり着いたのは、普通の駅とも言える場所だった。
灰色をした正方形のタイルが床に敷き詰められ、飲料水の自販機があり、円柱がそこらで地下を支えている。大きな違いと言えば、切符の券売機と駅員が全くいないことだろう。
どこにでもありそうな改札の前に川蝉は立つ。四つほど並んだそれは切符を入れる箇所はなく、完全に電子マネーのみを受け付けるようだった。
川蝉は改札のパネルに、黒業から受け取ったタブレットを近づける。それは見事に反応して、改札は招き入れるように開いた。
改札を通った向こう側に行くと、トイレと更衣室が隣同士に設置されていた。
トイレに用はないので川蝉は更衣室に向かう。青い紳士のピクトグラムの下に『男性用』と印字された更衣室に入る。
中は荷物を入れるためのロッカーがずらりと並んでいた。ロッカーは白く光沢があり、謎の高級感を漂わせている。
「あっ……」
そこにはすでに先客がいた。
それは少女だった。
丸い輪郭で幼さの残る顔立ち、身長の低さがそれをより表している。だがそれに反するように胸は大きく、果実のようであった。しかし腰は細く、黒い髪を左側で結ってまとめている。柔い肌を桃色に染めて口をパクパクとさせていた。
着替え途中だったのだろう。上は水色の下着だけで、下は紺色のタイツにパンツが透けていた。おかげでその反則的な体の凹凸が露わとなっている。
お互いに眼が合う。
――どうするか。
少し川蝉は迷って、一端外に出てピクトグラムを確認する。
間違いなく男のものだった。それに男側は入り口が青く塗られており、女側はピンクになっている。これで男女が逆だったら、騙されない方がおかしいだろう。
戻ってみると女子の方は顔を真っ赤にして、ジャケットで胸を隠している。
川蝉は己に否がないのを確認したので普通に着替えることにした。いちいち着替えで他人の目を気にしていても何の意味もない、と言うのが川蝉の考え方だった。
トランクを置いてその中身を確認する。黒い布地が目に入る。先日、黒業から送られてきた
「あ、あの、出てって欲しいんすけど……」
少女は相変わらずこちらを警戒しながら妙なことを尋ねてきた。
「え、何で?」
「いやだって私着替えてるっすし……」
「でもここ男子更衣室だから出てったらこっちが着替えるところなくなってしまう」
「へ?」
「だから俺はキミのこと全く気にしないからキミも俺のことは気にしないでくれ」
これが一番効率がいいだろう。あちらの着替えを待っていたら時間が勿体ない。
だが川蝉の言葉を聞いた少女は一瞬、石になったように固まった。
そして弾けたようにいきなり外に走り出す。かと思えば脱兎のように戻り、荷物を引ったくるように持つと「失礼しましたっす!」とヤケクソ気味に言って出て行くのだった。
たぶん間違いに気付いたのだろう。帰りのことも考えるとこれでよかったのかもしれない。
これでようやく落ち着いて着替えられる。
まずは上半身の服を脱ぎ捨てて支給された白いシャツを着た。
その上で鞄に入った黒い機械の籠手を手にする。
グローブと呼ばれるその装備は魔法の力である『魔力』を増強させるのに必要らしい。
指の先から肘の手前まで覆い被せるグローブは、金属特有の光沢をしているにしては軽かった。見た目が黒いことも相まってもっと重そうな先入観があった。
一応、簡単な紙一枚の説明書もあったのでそれを見てみる。簡単な装着方法が記載されていた。
それに習ってグローブを右腕に装着する。だいぶ空間に余裕があり、ぶかぶかだった。そしてグローブの手首のところにある丸いボタンを押す。
プシュっ――という音と共に、グローブが一気に腕を締め付けてきた。中で針が刺さったような痛みを感じる。だが痛みもすぐに引いた。
グローブのはまった右腕を動かしてみる。指も普通に動き何の支障も感じず良好に動作はできた。
これさえ終わると後は日常にする着替えと大差なかった。
ズボンを履いて、底の浅いゴムブーツを装着する。黒いジャケットを上から羽織り、膝と肘の間接部分に紺色のプラスチック製のプロテクターを付けると大方着替えは終わった。
そして鞄の中に異様な物がもう一つあった。
ワンド――小型の杖とも言える棒を取り出す。長さは全長40センチ程のもので、決して長過ぎではない。
タブレットの情報によれば、これは
川蝉は右の太股にワンドを収納する専用のホルダーを着けた。小さいベルトを太股に回し、そこにある専用の収納スペースにワンドを納める。
最後に鞄の奥底にあったウェストポーチを腰に装備した。ここには予備のグローブとワンドが入っているのだ。
準備はできたので、あとは脱いだ荷物等をロッカーに入れるだけである。
目の前のロッカーに設置された電子パネルに見覚えがあった。駅の改札と全く同じ規格である。川蝉は己のタブレットを試しにかざしてみる。
するとロッカーの鍵は解除され、独りでに開いた。
その中に着替えた衣服や空の鞄、貴重品などを入れて閉める。するとロッカーは自動でロックされた。
「ん?」
床に黒い物体が落ちているのが目に入った。
黒いタブレット端末、川蝉が黒業から貰ったのと同じ型である。入った時には気が付かなかった。たぶんこれは先ほどの少女のものなのだろう。
川蝉はそれを拾う。可哀想なので届けてあげることにした。タブレットの画面が川蝉の指に反応する。そこには『七瀬渚』と文字が浮かび上がった。彼女の名前なのだろう。
*
更衣室を出ると右にエスカレーターが動いているのが見えた。他に道もないので素直にそれに乗る。
長いエスカレーターを下りきると、駅のホームが現れた。それにライトブルーをした無人の電車も止まっている。
天井からぶら下がる電光掲示板を見ると『12:34 トランスポーター行き』と表示されていた。
とりあえずあの電車を使うしかないのだろう。そう思っていると発車を知らせる電子音がホームに響いた。
川蝉は少し早足になって電車に乗り込むと、それは大きく揺れて発進するのだった。
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