青結晶の洞窟⑪

 大きく深呼吸して息を整える。冷や汗はいつの間にか熱い汗に変わっていた。


 再び大部屋の中央を見据える。


 二匹目のヤドクが動き出した。笑みを浮かべるように口元を歪ませ、腕を伸ばしてストレッチをして前に進む。


 ――少し見えてきた気がする。


 ヤドクとの戦い方。最初の勝利は偶然によるものが大きかったが、今は違う。川蝉にはあの紅い悪魔に勝つ法則が明確に見え始めていた。


 二匹目のヤドクが口を開いた。まだかなり距離がある中で毒液をまき散らせてくる。


 ワンドのトリガーを引く。風で飛んでくる毒液を操り、一カ所に集め固定させる。一度奪ってしまえば、この最強のジョーカーはこちらのものだった。


 それを雨のように敵の周囲に降らせる。


 だがその時すでにヤドクの姿は消えていた。


 ――やはり……。


 もう同じ手の通じる相手ではない。毒液を使う戦法はすでに読まれていると考えて差し支えないだろう。ヤドクには感情と言うものが強くあり、それに比例するように知恵もあった。通常のモンスターとはそこが断然に違う。


 川蝉はワンドのトリガーを素早く引いて、風の魔法を発生させた。それを己の体の周りを守るように固める。


 毒液でなければ、彼らにできるのは一つ。純粋なる格闘である。京葉のワンドを腕ごと破壊した握力を見れば、人間を撲殺・絞殺するなど容易い所行だ。


 瞬――と虚空の切れる音がした。


 川蝉の右肩から肉片が削ぎ取られる。真っ赤な血の塊が飛び、壁にぐちゃりとこびり付いた。


「川蝉さん!?」

「大丈夫だ、離れていてくれ」


 近寄ろうとしてくる七瀬を、制止する。


 肩の肉が削ぎ落とされても、致命傷ではない。すぐに再生してくれるし、今のままでもトリガーを引く程度はできる。


 気が付けば遙か後方にヤドクは通り過ぎていた。


 ヤドクの瞬足の勢いを活かしたラリアット、あの速さから生まれる運動エネルギーだけで殺人的な威力を生み出す。目視不能な速度に加え、腕の長さから来るリーチも厄介だった。


 分厚い空気のクッションと化した風の防壁は、どうにか敵の攻撃を反らすことには成功していた。


 もし予め風の防壁を身に纏っていなければ、体を背骨が折られ二つに折り畳まれていただろう。


 毒液だけではない、ヤドクにはあの跳躍力もあるのだ。


 だがそれは跳躍でしかない。一度使えば方向転換のために必ず止まる必要があった。


 過ぎたヤドクは低い姿勢のまま振り返ってくる。足をバネのように使うその体勢はすぐさま次の攻撃を行うことを示唆していた。


 川蝉はすでにワンドのトリガーを引いていた。


 ヤドクの高速移動の前にそれは発動する。

 空気を操ってヤドクを浮かせた。


 そしてそれを


 こちらから仕掛ける近接戦、当然リスクは高い。

 だが毒液を使ってこない以上、やるしかなかった。


 ヤドクの間合いまで寄せると、その長い腕が伸びてくる。それが胴体に巻き付いてきた。それでも構わず引き寄せ続け、もはや抱き合うような距離までになっていた。


「ぐぁっ!!」


 ヤドクの腕の力が上がっていく。豪腕で胴体の骨ごと粉砕するつもりだ。


 川蝉は残る力を振り絞って、ヤドクのわずかに開いている口にワンドを差し込む。そしてそのトリガーを絞った。


 刃の嵐が巻き起こる。ヤドクの内部からその頭を木っ端微塵にした。


 ミキサーに入れられたように原型を失ったヤドクの頭部を構築していた血肉が、雨のようにその場から降り出した。


 川蝉はそのまま二発目の魔法を使う。再生されていく途中の首もとから足にかけて、体内に詰まった全身の肉を通るように風刃の嵐を撃った。


 内蔵や骨が砕け、回転していく鈍い音がする。ヤドクの体は、水死体のように膨張し、皮だけ残しふにゃふにゃとなって地にひれ伏した。

 

 残った強靱なるメタリックレッドの皮から、体にあった血を排出していく。


 これで二体目。


 川蝉は顔にかかった生臭い血を拭って最後の一体に注意を向けた。

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