青結晶の洞窟㉑
仙人を中心に、地面に漆黒が広がっていく。その源は蝦蟇ガエルの全身から垂れ流される体液だった。
――アレが……。
噂に聞いていた『油』と言う奴だろう。量は確かに尋常ではない。大部屋でなければ一気に飲み込まれてもおかしくはないだろう。
その油が急に浮き出した。
何かが来る。嫌な予感がして川蝉はすぐにワンドのトリガーを引く。
仙人が仰け反るほど大きく息を吸った。そして勢いをつけて、吸ったものを吐き出す。
だが吐き出されたものは空気ではなく、火炎だった。吹き出された炎は、浮かぶ油に引火してさらに強力になった。
燃え盛る業火が津波のように押し寄せてくる。
川蝉は展開しておいた風を使って、自分の体を浮かせる。さらにその風力を以て、場を離脱した。
八雲の方は蛇腹剣を構成するワイヤーを射出。鞭のようになった剣で岩壁の出っ張りを捕まえ、そこに飛び移っていた。
島田はとっくに来た道を戻って安全圏に行っているだろう。
自分の心配だけでいいのは精神的に楽だった。目の前のことだけに集中できる。
業炎から逃れた川蝉は滑空した状態で、ワンドのトリガーを引いた。風の刃を四つ発生させ、仙人に撃ち放つ。不可視の斬線が虚空を舐めていった。
それに呼応するように漆黒の油がせり上がる。それらはあたかも壁のような形状で膠着し、風刃を受け止めた。
油は半固形の状態で風刃を受けると、そのインパクトを全て吸収してしまう。
――また面倒な……。
川蝉は思わず顔をしかめる。
鉄の壁と言うよりは、プールの水を斬っている感覚だった。衝撃の殺し方に歴然とした差がある。
風の魔法を使う正攻法では、まず突破は不可能だと言える。威力が不足し過ぎていた。
流す風を止めて、川蝉は着地する。
「!?」
それを見計らったのように、油がどっと押し寄せてきた。蛇のように素早く川蝉を囲んできた。生きているかのごとき動きである。
漆黒の波が襲いかかってくる。
川蝉はワンドのトリガーを引く。
溢れ出る風を使い、空気の厚い層を球体状に、己の周囲全てに生み出した。
油は空気の防御壁ごと飲み込んでくる。視界が真っ暗な闇となった。
――ここからどう出るか。
完全に密閉の中、閉じ込められる。覆っている油の厚さなどがわからないので、行動のしようがない。
だが急激に真っ白な閃光が煌めいた。それは赤く変色し、炎の燃ゆる色へとなっていった。焼け付く熱気が充満する。
数秒で喉が干からびるような異常なレベルで室温が跳ね上がっていく。このままでは冗談ではなく蒸し殺されてしまう。
汗が全身から流れる中、川蝉はワンドを真っ直ぐに向ける。そこから刃の嵐を発生させた。
撃たれた渦巻く乱流が炎を突き破る。そこから外が見えたので、迷いなく飛び出た。川蝉のいなくなった空気の繭は途端に炎に押しつぶされ消えてしまう。
――炎が出ると油が柔らかくなるのか。
こうなると川蝉よりも、蒼炎使いの八雲の方が相性はいいだろう。
だがちらりと八雲の様子を観察するが、決して戦況がいいわけではなさそうだった。
放つ蒼い炎もことごとく油の壁に潰されていく。引火させ壁の一つを突破できても、次々にせり上がってくる油の防壁に有効打を見いだせてはいなかった。
「チッ……」
八雲の苦そうな舌打ちが聞こえてくる。
相性がいいどころか、むしろ劣性にすらなりつつあった。攻撃する間にも油の大群は地面から這い寄ってくる。それに対する防御策が弱いのだ。
どんどん後退していく八雲。このままでは捕まってしまうのが目に見えている。
――どうにか離脱する隙を作ってやらねば。
だが川蝉に他人を心配する余裕はなかった。自身にも新たな油の波が迫っていたのだ。
風の魔法、威力においては優秀とは言えない。
しかし応用力は中々ある。
川蝉はワンドのトリガーを引いた。風の力で虚空を滑るように後ろに移動する。高い機動力で油の攻撃から逃れつつ、新たにトリガーを引いた。
風の刃を射出する。大気を切り裂く刃が加速するも、油の壁がせり上がり防がれた。
風の刃は完全に消えてなくなる。
仙人は川蝉のことに注意を向けていなかった。
相性的に厄介だと思われる八雲に集中しているのだ。
川蝉には油のオートガードで充分と言うことなのだろう。
「…………」
けれどそこに好機があった。
シャボン玉のように、小さな球体が飛ぶ。
先程の風刃に混ぜた
油の壁は単体ではまるで虚弱なそれには反応していなかった。
空気の爆弾は風に流されて仙人の近くにまで寄る。小さく無色なため、そこまで近くとも気づかれなかった。
「爆ぜろ」
球体に圧縮された鎌鼬が弾け、解放された風の牙が拡散する。
それは不意打ちのように仙人と蝦蟇ガエルの顔面を切り裂いた。
「オッホ!?」
さらに続けて残りの
初めてまともに当てた攻撃はかなりの成果をあげてくれた。
八雲に襲いかかっていた油の攻勢が中断される。彼女はすぐさま安全圏へと剣のワイヤーを使い跳躍していった。
仙人の視線が川蝉に向いてくる。
脳を抉ってくるような静かな殺意がそこにはあった。
「……ふん」
冷静を装って川蝉は鼻を鳴らす。だが心臓はそれに反比例するように早打ちしていた。
よい状況とは言えない。
川蝉では火力が足りなすぎる。
――やはり接近戦か。
火力不足を補うにはこれしかない。ヤドクでもそうだったが、弱点部位さえ見つけられれば突破はできるはず。
――問題は……。
殺意たっぷりの仙人相手に接近することを許されるかどうかである。
そしてすでに蠢く漆黒にロックオンされていた。
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