海底神殿⑫

 再びあの大部屋に島田は一人、足を踏み入れた。


 中央で蜷局を巻き、鎮座している巨大な猛獣。

 アンペラーがその気配に気付く。真っ赤に血走った殺意の眼孔に射抜かれた。


 漆黒の憤怒。


 肺を撃ち抜かれたような気分の悪さで呼吸もままならなくなる。

 それだけで冷や汗がダラダラと流れてきた。


 ――女の前でカッコつけちまった。もう後戻りは利かねえ。


 乱れる呼吸に震える手を無理矢理抑え、島田は真正面からアンペラーの視線に応える。


 ――大丈夫大丈夫大丈夫だ、俺ならやれる俺ならやれる。問題はねえ、絶対にやれる絶対に大丈夫だ。ここで引く道はねえ。やるしかない、やるしかねえんだ!


 己を鼓舞して地面を蹴って走り出した。


 アンペラーが尾を滾らせ憤激の叩きつけをかましてくる。


 島田はその常人を超えた身体能力で左に飛び出す。背後から尾が大地を砕く衝撃が余波となって感じることができた。


 ――首の付け根。


 その箇所に島田は目標を定める。


 まだ遠い。巨獣アンペラーを相手に、一人ではとてもたどり着けない。

 


 閃光が疾る。


 視界が瞬間、白に乗っ取られた。

 光速――背後から発生した雷が蛇の顔面に直撃する。


「ギャァァァァ!」


 その目が焼かれ、怒号としか思えない絶叫が木霊する。耳をつんざく叫びをよそに、島田はさらにアンペラーに接近する。


 伊佐木の雷撃によってできた隙、見逃すわけにはいかない。

 島田は足を折り曲げ、バネのように跳躍した。


 十メートルにも及ぶ滞空はもどかしく、そして不安を覚えさせられる。今、攻撃されれば避けることはできないのだ。


 そんな思いとはよそに、島田の体はアンペラーの胴体に到着する。両腕で必死に蛇の皮を掴んだ。


 アンペラーは顔面を焼き焦がされた状態で、そのクチバシを大きく開く。


 ――何をするつもりだ?


 今までにない動作、島田の胸に悪い予感が渦巻いてくる。


 悪寒がする。精神的にではない、


 大部屋の温度が下がった。


 冷凍ブレス――その時、クチバシから水色の液体が放射される。目を焼かれ破れかぶれにアンペラーはそれをまき散らしていった。


 怒濤の冷気で構成された液体は、触れるもの全てを瞬時に凍結させていった。

 水色の線が大部屋に描かれていく。それに沿って氷が領域を広げていく。


「伊佐木!」


 縦横無尽に放たれた冷気の放射に、島田は思わず相方の名を叫ぶ。


「大丈夫!」


 伊佐木の声が返ってくる。

 幸いにも目を焼かれたアンペラーの攻撃は正確とは遠いものだった。


 だが完全に再生の終わったアンペラーは、伊佐木の方を睨む。


 それと同時に伊佐木は万雷を撃ち放つ。顔が向くのを待っていたのだ。

 最高クラスの大きさにして最大クラスの火力を持った雷が駆ける。


 シュン――と、アンペラーの胴体が動いた。


 尾がその顔の前に現れて盾となる。

 雷撃に蛇の尾先が壁となって立ちはだかった。


 撃ち放たれた雷の矢は、それに衝突する。災害級の業火が尾を真っ黒に焼き尽くす。


 だが故に、本来の目標には届かなかった。


 さらにまたしても悪寒が背筋をなぞる。あの冷気の放射が来るのだ。


 ――マズい!


 さっきとは違う。今度の狙いは正確になるだろう。


 そして伊佐木の魔法にはそれを避ける術も、防ぐ術もなかった。これでは直撃を避けられない。


「クッソ!」


 島田は腕に全力の力を込める。本当はもっと頭部付近にまで蛇の体を上がらなければならない。


 しかしそんな余裕はなかった。何としてもあの冷気の放射を止めなければならないのだ。


 アンペラーの胴体が圧迫され、風船のように膨らむ。


「うぉぉぉぉぉ!」


 島田は両腕で抱いた胴体を圧し潰した。赤い肉が見えた部分にさらに拳を加える。

 アンペラーの体が『く』の字に曲がった。


 その痛恨の一撃に蛇の体はのたうち回る。


「うわぁ!」


 荒れ狂う猛獣の動きに、島田の体が吹き飛ばされる。


 島田は空中に投げ出され、壁にぶつかって落ちていった。

 鉄の魔法が誇る防御力のおかげで痛みはない。すぐに動ける。


「!?」


 間髪いれず冷気が放射される。


 半分になった胴体でなお、アンペラーは執念深く島田をロックオンしていたのだ。

 あまりに急なことで、とにかく立ち上がるしかなかった。


 駆け出す間もなく、冷気の放射が島田の右の手足を凍らせてくる。


 凍結された手足は、自重に耐え切れず砕ける。ガラスのように砕けた氷の肉塊が地面に落ちていく。


「っ!!」


 半分の手足を失って、島田はバランスを崩して前方に倒れ込んだ。頭から床に激突して、鼻血が吹き出る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る