海底神殿⑪

「この辺りまで来れば大丈夫だろ」


 モンスターから逃げ出した島田は、抱え込んでいた伊佐木を下ろす。そして自分もその場に座り込んだ。


 安心すると力がどっと抜ける。


 伊佐木は体育座りで壁にもたれかかるとこちらを横目で見てきた。


「何であんなところにいたの?」

「そりゃ……」


 島田の答えは一つだったが、それを答えるか迷う。


 ――ビビって足が竦んでたなんて言うわけにはいかねえ。


 そんなことを言えば益々舐められてしまう。男のプライドにかけて、ここは意地でも別の理由を提示しなければならなかった。


「それは、あれだ……お、お前のことが心配だったんだよ」

「そうなの……」


 しおらしい顔で伊佐木は簡単に納得してくれた。さすがにあれだけボコボコにされれば元気もなくなるようだ。


「悪かったわね、いろいろキツいこと言っちゃって。……本当、馬鹿みたい」

「伊佐木……」

「アンタの言うとおりだったわ」


 ちょっと前まで気の強い雰囲気だったが、こうなれば普通の少女だった。あるいは元はこういう気質なのかもしれない。今までのは無理して気を張っていたせいの可能性だってある。


 しばらく会話もなく二人で石畳の上で座っていた。


 島田はその沈黙の中でタブレットを取り出す。

 念のため、さっきの奴のデータを確認しておきたかった。


 個体の名称は『アンペラー』だった。異様にでかいそのモンスターは一体で60ポイントにもなる。


 ――多いのか少ないのかよくわかんねえな。


 六百万、倒せれば十分で終わる。むしろそれ以上はこちらが戦えない。時間当たりの獲得資金を考えれば破格。


 しかしそのために命をかけられるかはまた別の話である。


 それ以外のデータも珍しく載っていた。


『蛇龍タイプはコアの位置の判断が難しいものの、首の付け根より少し後方にある個体が多い』


 島田は関心してそれを見てしまう。


 ――なるほど、たまには役に立つじゃん。


 そもそも倒そうと考えていなかったのでコアのことなど気にもしなかったが、考えてみれば確かにコアの場所がすぐにわかるようなモンスターではない。


 これまで名前を教えてくれることを除いて、一度も有用性のあるモンスターの情報を教えてくなかった。けれど今回は別のようである。


 だができることならもっと直接的な弱点の方を示して欲しかった。これではあまりに頼りない。


 島田はポケットにタブレットを戻す。


 ――ここからどうする?


 道はあのアンペラーに塞がれている。他のルートが行き止まりなのもすでに知っている。


 だがあれと戦うのか。逃げるだけで精一杯なのに。


 そんなことを島田が考えていると、伊佐木がすっと立ち上がった。

 そしてウェストポーチから予備のワンドとグローブを取り出し、填める。


「じゃあ私行くから」

「おい、待て待て」


 慌てて島田も立ち上がり、伊佐木の前に立つ。


「ヤバいってのはもうわかってんだろ。恩着せがましいことなんか言いたかねえけどな、こっちが死ぬリスク背負ってまで助けてやった命だぞ。それを無駄にするつもりか?」

「……助けてもらったことは本当に感謝しているわ。それでも私は行かなくちゃならないの」

「何でそこまでして戦う?」


 少し躊躇うように伊佐木は下を見る。

 だが決心したように顔を上げて口を開いた。


「そうねアンタには話すわ。助けられた命を捨てに行くってんだからね」

「伊佐木……」


 彼女の言葉が重くて、島田は言いたい言葉を胸にしまってしまう。


「私の家族ことなんだけどね、父親がすごい酒癖が悪くて、母親もすごい攻撃的な性格だったんだって。それでいつも喧嘩ばかりしてたらしい」


 両親の情報だと言うのにひどく曖昧で断片的だった。


「ある日とうとう酔った父親が母親を酒瓶で殴り殺して、それで刑務所行き。私がまだ物心つく前のことだったわ。私はその後母方のお婆ちゃんに引き取られてずっと二人で暮らしてたの」


 伊佐木は続けてその半生を話す。


「だから正直私には両親の記憶はほとんどなくて、お婆ちゃんと過ごした思い出しかない。でもそれも私が思っていたより、それは楽じゃなかったみたい」

「どういう意味だ?」

「お金がね。実は後でわかったことなんだけど、父が怒り狂った原因ってのが母の作った多額の借金だったのよ。最後は酒に任せてって感じだけど、それだけじゃなかったわけ」


 前半の話で言えば酷い父親を罵倒すればいい。しかしそれをしなかったのは理由があったようだ。


「お婆ちゃん、その借金の保証人にされてたのよ。それで責任感も強いから私を育てながら必死に返そうとがんばって。無理したから体調崩して、でもその治療費だって満足に支払えない」


 伊佐木はぎゅっとワンドの柄を握る。


「今の私に後に戻る余裕はないわ。ここで稼いでお婆ちゃんに恩を返さなきゃいけない。だから逃げるわけにはいかないの」


 そして伊佐木は一歩、足を前に踏みしめる。


「もう島田君は私に充分いろいろしてくれたわ。もういいわ、後は一人でする。私の勝手に付き合う必要はないから」


 島田の横を通り過ぎようとする彼女の顔は、何でもないような表情だった。それで辛さや怖さを隠しているつもりなのかもしれない。


「死ぬつもりか?」

「……これしかないから」


 その言葉から決死の覚悟だとわかる。それがわかると、伊佐木の体が急に儚げに見えてきた。


 ――このまま見送るのか?


 伊佐木が通り過ぎる映像がスローに見える。


 島田は手が動き出しそうになる。


 ――いや違う。そうじゃない。


 その手で何を成したいのか。


 行けばきっと後悔する。


 だが島田は知っていた。


 行かねば後でさらなる後悔をすると。


 ――ああ、そうか。


 どうしたらいいか、自分がどうしたいのか、島田にはその時ようやくわかった。

 島田の手が伊佐木の肩を掴み、その歩みを止めさせる。


「俺も行く」

「はぁ? 何を言っているの?」

「あいつをぶっ倒すと六百万手に入る。全部、お前にやるよ。それなら一緒に戦っていいだろ?」

「それがアンタに何の意味があるって言うの? 全くの得にもならないじゃない」

「得ならある。お前が生き残る」


 伊佐木が困惑して眉を八の字にしてしまう。

 それも構わず島田は言葉を紡ぐ。


「仲間が減ればこのダンジョンを攻略できる可能性も下がる。だから犠牲は最小限でなけりゃいけない」

「でもここで二人共死んじゃったら――」

「俺はお前とは違う。死ぬ気なんか全く全然これっっっぽっちもない。絶対にここで生き残る。生きてここから必ず帰ってやる」


 これが島田なりの覚悟だった。

 死ぬ覚悟ではなく、


 ずっとこれまで迷宮をさまよっている気分だった。どういう気持ちでいればいいのかまるでわからなかった。


 しかしここで一つの答えが出た気がする。


「だいたいお前が死ねばそのお婆ちゃんはどうなる?」

「それは……」

「お前が死んだ時、残されたお婆ちゃんがどんな顔するかなんてわかるだろ。恩を感じてるんだったら、悲しませんなよ」


 島田は通路の前に向き直る。

 そしてそのずっと向こうにいるアンペラーを見据えた。


「一応の策はある。二人で生きて勝つぞ」


 ダンジョンを攻略するには進むしかない。例えどんな障壁があろうと、生きて生きて生きて、そして進むのだ。

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