海底神殿⑥

 まず川蝉が思った第一印象はであった。


 今までのモンスターとは一線を画する質量。獣なんて生温い表現だ、これは怪獣と呼ぶに相応しいだろう。


 大部屋の半分を埋め尽くす巨体。


 それは獰猛に進化したトドのような生物だった。


 土色に染まった体皮、丸みを帯びた脂肪、三日月のように鋭利に反った牙、鮫肌のように触れるものを傷つける皮膚、ヒレは前足のようにその巨体を支えている。


 荘厳な髭を蓄え、怒りの眼でこちらをじっと睨む。


 川蝉は左手に隠し持っていたデバイスの更新データを横目に見る。『ギング』と言う呼称がなされていた。


 だがそれ以外のデータは特になし。類似モンスターの抽出は失敗したと言うことだ。


 弱点が何かわかればと思っていたが、どうせ期待はしていない。川蝉はすぐにデバイスをポケットに刷り込ませる。


 こちらを伺っていたギングが不意に息を吸い込みだした。

 バキュームのように凄まじい出力の吸気は、空気の白い渦が可視化するようであった。


 その風圧に川蝉は一歩も動けず、その場で踏ん張っているのが限界である。


 ――これは……。


 特大の危険を察知し、川蝉はワンドのトリガーを引く。

 己の周囲全てを風の防壁で覆い尽くした。


 ギングが空気の吸い込みをやめ、体を仰け反らせる。

 そして前のめりにそのアギトを開いた。


「ヴォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!」


 絶叫を超えた野獣の咆哮が木霊する。


 大気を歪ませ、地面を裂く。神殿を造る瓦礫が重力に逆らって浮いた。


 圧倒的なパワー。


 あれだけ離れた場所ですら空気を痺れさせた代物。この間合いではどうなるかわかったものではない。


 その音圧を緩和する空気の障壁。これがなければ鼓膜どころか脳髄まで粉砕されていたかもしれない。


 長い咆哮が弱まっていき終わりの時を迎える。


 同時に川蝉はバリアーを解除し動き出した。


 まずは小手調べにトリガーを引き、魔法で風刃を生み出す。


 逆巻く不可視の刃を十、射出させた。

 一閃された斬線が真っ直ぐに滑空していく。


 ギングは巨体ではあるが、一方で機動力があるとは思えない風体だった。あの肥えた肉では俊敏性を保つことなどできるわけがない。


 その通りギングはほぼ動かず、風刃のラッシュをまともに受けた。鎌鼬のごとき切れ味が、その腹部を次々と切り刻んでいく。


「っっ!?」


 川蝉の額から冷や汗が垂れる。


 攻撃の結果は全く好ましいものではなかった。


 ギングに当たった風刃は、血を滲ませる程度の傷は残した。しかしそれまで、全ては堅い皮と厚い脂肪によって阻まれてしまった。


 しかも直撃したにも関わらず傷は浅く、再生も一瞬でなされてしまう。これでは攻撃をした意味がないに等しい。


 ヤドクと同等か、あるいはそれ以上の防御能力である。


 ――だが機動力はない。


 突破できる方法は多い。それに川蝉には新たなワンドもあるのだ。


 傷をものともしなかったギングが再び顎を開く。また大量の空気を吸い込みだした。


 川蝉は素早くワンドのトリガーを引き、守備的魔法を備える。


 ギングが呼吸を止める。先ほどより溜める時間はかなり少なかった。

 そして頬を膨らませたかと思うと、空気を勢いつけて吹き出した。


「!?」


 皮一枚、川蝉の耳がわずかに欠ける。


 圧縮された空気のブレス砲撃が川蝉に向けて発射される。口がこちらに向いた瞬間、本能的に危険を察知し動いて何とか避けられた。


 けれどそれで終わりではなかった。


 放出され続ける空気の放射は、それそのものが一つの巨大な刃と化していた。


 ギングが首を動かすと、それに従って圧縮空気も弧を描く。

 それに巻き込まれた石の床は砕かれ、壁は瞬時に崩壊する。


 ――くっ!


 これをまともに受けきるのは不可能。川蝉はシールド展開していた風の魔法を即座に己の足に集める。


 魔力の籠もった風力で、川蝉は機動力を確保。それで薙ぎ払われた空気放射の上を飛んだ。


 回避し、そこから攻撃に転じる。


 機動力を保ったまま、空中で川蝉はワンドのトリガーを長押しする。


 ワンドが刀に変質した。

 川蝉はそれを構え、風力で虚空を滑る。


 目指すはギングの本体だった。


 このままチマチマとはやってられない。

 これだけの堅牢さと攻撃力を誇るモンスター、遠距離から安全に勝てるわけがないのだ。


 野獣の眼光がその川蝉を補足する。


 ギングが前足のヒレを振り上げた。

 鉄塊に比類する打撃が鞭のようにしなやかに差し迫ってくる。


「この程度!」


 川蝉は空中で姿勢をかえて、寸でのところでヒレの一撃を避ける。ぞっとするような風圧が目の前を通り過ぎていった。


 死と紙一重の攻防、しかしそのリスクを犯した成果がくる。


 川蝉はギングの前に降り立ち、刀の間合いに敵を納めた。


 刀を両手で握り、それを少し引いて溜めを創る。


「っ!!」


 そして刃をその鈍重な体に向けて突き刺した。刃に纏われた鋭利な風によって、刃はすんなりギングの腹部に入り込んでいく。


 ――これで決める。


 刀の柄に装着されたトリガーを人差し指で引いた。


 そこから嵐のごとき風刃が刀の先端から放たれる。狂い逆巻く乱気流の風、川蝉の持つ最大級の魔法をギングの肉体内部で直に発生させた。


 ミキサーのようにグチャグチャと、ギングの肉体は粉砕されていく。湖もできそうな程の血液が吹き出し、巨体の肉塊が部屋のあちこちに飛び散っていく。


「はぁ!」


 フィニッシュに最後の魔力を押し込む。

 疾風怒濤の乱撃が異形の体内で無双するのだった。


「ヴォォォォォ!」


 断末魔の絶叫をギングはあげる。


 魔法の持続が限界を迎え、川蝉は刀を抜く。それを降って、刃にこびり付いた血を払った。


 血の雨を浴びた川蝉は、猛獣の最後を看取る。


 

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