海底神殿⑦
「何っ!?」
だが野獣の獰猛、生に対する執着は死を拒否する。
残っていた。
あれだけの風刃を零距離から放ったにも関わらず、ギングの心臓部に位置するコアはまだ残っていた。
黒い直方体の塊が、抉られた内蔵からわずかに露出している。
しかしコアを破壊できていない。それがどういう意味か。
「くっ!!」
川蝉は再生がなされる前に、トリガーを引いてトドメを刺そうとする。
けれどそれ以上の速度でギングの破損した肉体は再生していった。
その生まれてくる重い肉に川蝉の攻撃は防がれる。
一つ大きな勘違いがあった。
ヤドクのごとき頑丈さ、それこそ川蝉の完全な見込み違いだったのだ。
実際は、それを遙かに量がする防御能力だった。ヤドクは皮こそ頑丈だが、内部に直接魔法を叩き込めば倒せた。
しかしギングはその内部すらも堅牢な脂肪で守られていたのだ。
最高硬度の皮と、超高密度の脂肪――この二重の盾の前に風の魔法は完封された。
引くか攻撃を続行するか。
だが答えを出す暇などなかった。
「ヴァァァァァァ!」
ギングの前足と化したヒレが力任せに放られる。
ガードする間もなく、それは無慈悲な破壊力を以て川蝉に叩きつけられた。
零距離、避けられるはずもなくまともに喰らう。
叩きつけられた威力は尋常ではなかった。
川蝉は体中の骨を砕かれながら左方に吹き飛ばされる。
強烈な衝撃が全身に拡散した。
川蝉が壁に衝突すると、そこにクレーターが生まれる。全身から血を滲ませ、
手に持っていた刀は刃が折れて、地を回った。
それでも何とか魔眼の力で再生していく。
川蝉は震える手で折れた刀を握って立ち上がろうとした。しかし全く力が入らず、刀は落とし膝も折れて地面に座り込んでしまう。
一方でギングはすでに全快の状態だった。
圧倒的、あまりにも圧倒的な差がそこにはあった。
そもそも生物としてのスケールが違いすぎた。蟻一匹で恐竜に勝てるわけがないのだ。
そしてギングが猛烈な殺意を放ち、こちらを向く。
川蝉の体の再生はまだ終わらなかった。故に避ける手だてもない。
いやあったとしてどうなると言うのか。
あのギングの異常なまでに堅い二重の障壁を乗り越えられることなどできるわけがない。ヤドクとは格が違うのだ。
――動け!
それでも川蝉は諦めるわけにはいかなかった。
勝たねばならないのだ。
けれど絶望に屈しない精神も、しかし非情な現実の前には意味をなさない。
ギングの
業を巻く咆哮か、あるいは空気放射か。
どちらにせよ、川蝉にそれらを防ぐ術も避ける術もなかった。
ここからの逆転はない。幕引きがなされようとする。
「このっ!」
巨大な球体の水が突如現れた。
それが生物のようにうねり、ギングに頭部巻き付いていく。水の中でギングの咆哮が絶唱されるも、水泡を生み出すだけでその効果は全くの無意味となっていた。
「透さん!」
それをしたのは七瀬だった。
ギングは呼吸を遮られ、もがき苦しむ。その眼光を魔法師の七瀬を射抜く。
その背筋も凍る殺気。瞬間、ギングのヒレがスライムのように伸びた。
「あっ!!」
ヒレは七瀬の胴体に巻き付く。
化け物の怪力が七瀬の細い体に圧を加える。紙コップでも握るように簡単に、その肉体が押しつぶされていく。
「っぁ…………」
口から涎を垂らし、七瀬は力なくうなだれた。瞳に光はなく、もう意識は完全にない表情である。
「七瀬!」
叫んでも何もかもが遅かった。
水の魔法から解放されたギングは、七瀬を天井に向けて持ち上げる。
そして怒りの眼をして、口を大きく開いた。
――マズい。
得物を捕食する体勢。あのヤドクで味わった悪夢が蘇ってくる。
迷っている猶予など存在しなかった。
川蝉は弱り切った体を無理矢理にでも動かせる。
刃の折れた情けない刀を握って立ち上がった。
だがここで奴に与えられる有効打はない。
あればとうにやっている。
しかも刀は折れてもう使い物にならない。視界には刃だけの部分が虚しく床に突き刺さっていた。
翡翠に輝く刃にもう役割はない――そう思われた。
だがそこで川蝉の脳裏にある過去が駆け巡った。
あの蝦蟇仙人との最終局面。
勝敗を分けた最後の一撃。
――いや、これは……いけるか。
考えている暇はない。川蝉は柄のトリガーを引いた。魔力を灯した風が吹き上がる。
床に刺さっている折れた刃を風が
その刃先をギングに向け、射出する。
一部の狂いもなく、放たれた刃は一直線に虚空を翔けた。そしてギングの胸付近を突き刺す。
だがそれでエネルギーは終わった。厚い脂肪に阻まれ、刃はギングに突き刺さっただけで止まる。
だがここからが本番だった。さらに川蝉はトリガーを絞る。
あの蝦蟇仙人の圧倒的な油の壁。風の魔法を悉く退けたそれを、たった一度ラストに打ち破った技があった。
一点集中。
風を一切の無駄なく、全てを小さな一カ所に集約させた力業。
局所的にして命中率や攻撃範囲を考えると恐ろしく効率は悪い。だがそれらの要素を犠牲にして最大級の威力が得られる。
出しうる全ての魔力を込めて、川蝉は超圧縮された極小風弾を創出する。
そしてそれを放った。
だがこれだけでも足りない。皮を抜けても厚い脂肪の前には届かない。
ならばこそ、川蝉の狙いは別にあった。
一度目の魔法で刺した刃にそれを向かわせたのだ。
音速波を生み出すスピードで駆ける風弾は、ギングの胸に刺さった刃に衝突した。
折れた刃に翡翠の魔力が迸った。死んだ刃に穿つ力が再度加えられる。
瞬間、風弾内部の圧縮された魔力が爆発的に解放された。
刃は翡翠のオーラを伴って、ギングの胸に抉り込む。体内に入り込んだ刃はさらに加速する。
皮を破り、骨を砕き、内蔵を裂き、血管を破裂させ、鉄壁の脂肪をも突き破る。
ただただ一心に貫く。
ギングの胸から入った刃は、その背中から排出された。それでもなお残った勢いで壁にめり込む。
「ヴォォォォォォォ!」
ギングはたまらず七瀬をヒレの拘束から落とす。苦痛の絶叫が大部屋に木霊した。
それは断末魔である。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
川蝉には見えないが、見えていた。
コアは確実に貫いていることを。
失敗したと思われた初撃も無駄ではなかった。あれのおかげで敵のコアの正確な位置がわかったのだ。
あとはそこに向けて刃を貫通させればコアは破壊できる。
目標が判明してこその一点集中なのだ。
ギングの体はもう再生などはしなかった。貫かれた箇所から血を吹き出し、咆哮をあげる。
「――――っ!!」
そして最後の雄叫びを天に向かって吠え上げ、そのまま後ろに倒れ込む。
神殿が軋むほどの地鳴りが決着のゴングとなるのだった。
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