青結晶の洞窟⑮

 待っていても川蝉にあるのは死のみである。

 ならばこちらから仕掛けるしかない。


 挟み撃ちの状況で川蝉は進行方向から来るヤドクへ走った。ここで不幸中の幸いと言えば、二体のモンスターの距離がまだあると言うことだ。


 それにヤドク特有の強者気取りの態度から来る闊歩では、遭遇までに時間はあった。


 速攻で一体を倒せば、挟み撃ちも解消される。

 川蝉はワンドを使い、魔法を展開させる。まずは己に防御となる風を纏わせた。


 ――接近戦だ。


 遠距離では空気爆弾エア・ボムも毒液反射も効かない。ヤドクの俊敏性を考えれば、避けるのが不可能だと思われるほどの接近が必要だった。


 ヤドクの口が大きく開く。


「!?」


 そこから真っ直ぐに毒液が放射された。ドロリとした赤紫の溶解液が線上に伸びてくる。


 それを見た川蝉は即座にワンドのトリガーを引く。


 風圧を以て毒液を空中で止める。止めたそれを一点で吸い込み、宙に浮かせた。今度はそのコントロールを川蝉が得る。


 スライム状で浮かぶ毒液。これを維持したままで移動するのは難しい。故にこれをすぐに全く同じ軌道で返した。だがヤドクもまた上体を直角以上に反らし、サーカスのショーのように避けてくる。


 距離が離れていたおかげで川蝉は余裕を持って対応できたが、その反面、ヤドクもまた簡単に避けられる距離なのだ。


 これで毒液反射のカードは見せてしまった。もはや二体ともこの手は通用しないだろう。


 正面に見据えるヤドクが膝を曲げる。驚異的な跳躍の前兆だった。


 だがここではそれを待っていた。


 川蝉はワンドを突き出し風の魔法を発動させる。


 風力を送り込み、ヤドクの体をふわりと虚空に置く。そしてそれを己の下へ引き寄せた。


 ゴムで引っ張られたように、ヤドクが川蝉の眼前にやってくる。

 同時にその勢いを使ったヤドクの手刀が振り下ろされた。


 鮮血が舞う。


 川蝉は纏っていた風で自分の体をスライドさせ、肩の皮一枚で避けられた。


 タイミング的に初撃だったら間違いなく頭を割られていたが、その攻撃は先ほどの戦闘で記憶していた。


 おかげでギリギリのところで対処することに成功する。


 そして反撃。ワンドのトリガーを素早く引き、シャボン玉状の空気爆弾エア・ボムを拡散させた。


 やはりこれを見たヤドクは驚いて行動を迷う。


 そのわずかな隙に空気爆弾エア・ボムの一つが、敵の目の付近で爆発した。圧縮された風の刃が解放される。


 ――やはりか。


 ヤドクの眼球が切り刻まれる。全てが堅いわけじゃない。あのメタリックレッドの皮に覆われていない部分は柔らかいのだ。


 呻きよろけるヤドクの口に、空気爆弾が次々と入り込んでいく。


 それを一斉に爆発させた。


 ヤドクの顔が膨張する。次の瞬間、その頭部が粉々に弾け飛んだ。粉砕された骨と肉と血が飛散していく。


 さらに今回は送り込んだ空気爆弾エア・ボムの量を劇的に増やしたおかげで、首から胸にかけても肉が内側から飛び出していた。


 心臓部には、命も同然のコアが露出する。残った空気爆弾エア・ボムを全てそれに送り込んだ。


 それを起爆させ、コアを砕く。


 挟み撃ちと言う最悪の状況を切り抜ける。これで生存確率は劇的に上がったと言える。ピンチは実質的に乗り越えただろう。


「これで――っ?」


 不意に視界がぐらりと揺れた。


 川蝉の胸から一本のメタリックレッドの腕が生えている。それは綺麗な血の色に染まっていた。


 何が起きたのか、一瞬理解ができなかった。


 挟み撃ちに遭っていた。進行方向にいた一体目のヤドクを倒した――それは何一つ間違っていない。


「がはっ!?」


 川蝉は思わずどす黒い血の塊を吐く。


 背後にはヤドクがいた。その腕が背中から川蝉の心臓を貫いている。


 全くそんな気配はなかった。


 おそらくはヤドクの瞬間移動のごとき跳躍力を使ったのだろう。そして川蝉の体を手刀で突き刺した。


 体が震え全く動かない。左目が無事なら死なないとは言うが、こうなってしまえば生きていないのも同じことである。


 貫かれた体の穴から人生で経験することもない量の血液が溢れ出ていた。その出て行く血の量に比例して体が冷たくなっていくようだった。


 体の力が抜けてワンドが手から落ちる。反撃の手段を失ったが、それを気にする余裕はない。


 


 ヤドクのこれまでの行動を考えると、彼らは王のような絶対的強者の立ち振る舞いをしてきた。


 威風堂々と歩き、小走りなどは決してしない。


 魔法師メイジを狩るのは娯楽のようなもので、必死になることはない。


 強者故の余裕。


 あるいは川蝉はそれを油断と捉えていた。


 だから今回も速攻で決めれば、ゆっくりと余裕を以て歩いてくる二匹目の介入はないと思い込んでいた。


 確かに物理的にあの高速跳躍力を使えば介入は可能だと知ってはいた。それでも彼らの油断する質からそれはないと思い込んでいた。


 敵の油断を前提とした行動だったはずだが――


 ――油断していたのは俺の方だったのか……。


 甘かった。それが死を招いたのだ。常に最悪の状況を想定しておくべきだった。


 カラン――と落ちたワンドが地面とぶつかり金属音をたてる。


 それがとても他人事のように思えてしまう。


 意識が遠のいていく。


 川蝉の心臓からヤドクの手が抜かれる。支えを失った川蝉は顔面から地に突っ込んだ。もはや意識が遠すぎて痛みすら感じない。目も見えなくなり、耳も聞こえなくなっていた。


 あとは首を斬られて、京葉や日吉のようになるだけだ。


 ――ああ、優季……。


 最後に思うのは残されるのことだった。もう自分の人生は最初からどうでもよかった。


 ただあの子には明るい人生を歩ませてあげたかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る