狭間の日常⑦

「いい映画だったわね」


 八雲は「うんうん」と頷きながらそう言った。


「そうだね」


 川蝉もそれを返す。

 場所は駅近くのファーストフード店、二人で飲み物を頼み、席でそれを飲んでいた。


「でも助かったわ川蝉君、あの映画って一人じゃ何となく見辛くて」

「そう言うの気にするタイプなんだな」

「私を何だと思っているのかしら」

「いやダンジョンで会った時とは、大分印象が違ったから驚いているだけだ」

「そりゃあんな殺伐とした場所と同じようには過ごさないわよ。国際指名手配されているわけでもないしね」


 それはそうだ。あの息苦しい場所と同じリズムで生活したいと思う人間はいない。

 同時に川蝉は以前に思っていた疑問が頭に浮かぶ。


「ダンジョンって言うと、どうしてキミは一人で活動しているんだ?」

「面倒だから」


 八雲はあっさりと即答する。


「もし仲良くなって、その人が死ぬと悲しくなるでしょ。特に仲が深まれば深まるほど、傷も深くなる。そう言うのもう飽きちゃったの。だから一人がいい。一番気楽、悲しみも絶望も一人だけのものだから」

「その割には俺とは仲良くしてくれるんだな」

「貴方は特別よ。一目見てわかったわ。私にとって死んでも悲しくならないタイプの人種。私と同類、

「どういう意味だ?」

「戦闘狂、ダンジョンに狂った人種。貴方もいろんなタイプの魔法師を見れば、いずれわかると思うわ」


 褒められているのか貶されているのか、よくわからない。


「キミはかなり知識も腕もあるようだが、ずっとダンジョンに挑んでいるのか?」

「ずっとは言い過ぎよ。せいぜい二年くらいかしら」

「借金なんてとっくに返せるだろう。どうして戦う?」

「そうね……まあ強いて言えば正義のためかな」

「正義……」

「そう。人を守るため、そのためにダンジョンを潰す」


 真っ直ぐな瞳で八雲は断言した。

 けれど川蝉にはその言葉に違和感が残る。


「その割に魔法師は守らないのか?」

「あれは別よ、自分で選んで戦う力を持っているのだから。私が守るのはそうでない人々」

「戦う力のない人って、つまり一般市民のことか」

「そう言うことね」


 ダンジョンは隔絶された空間にある存在だと川蝉は考えていた。

 そこで何故一般市民が出てくるのか。


 そもそもダンジョンとは何なのか、根本的な謎が次々に湧き出てくる。


「何故ダンジョンを潰すことがそれに繋がる? そもそも何故俺達はダンジョンを攻略するんだ?」

「意外ね、貴方はカネが稼げればそれでいいと言う人種だと思っていたけれど」

「それは否定しないが、しかし謎は気になる」

「まあ、そうよね」


 八雲は水滴の付いたカップからコーラを一口飲む。

 天井を考えるように一瞥すると話し始めた。


「ダンジョンはね、。放置すればするほど。例えば前回のダンジョン、もし全員が攻略前にターミナルで帰還していたら次はもっと強力になって出現するわ。そしてその進化の臨界点を越えると、悪夢のような事態になる」

「悪夢?」


 ダンジョンの進化の先にあるもの。


「現実世界にダンジョンが生まれるのよ。最近でもそのケースはあったわ。場所も規模もタイミングもとにかく最悪だった。世間では『新宿封鎖』とか呼んでいるみたいだけど」

「あれが……」

「前のダンジョンの時、ほとんどが新人だったのはこれのせいよ。大幅に人員が減ったからね。黒業も苦肉の策だったんでしょう」


 まさかワイドショーでも話題になっていたことがダンジョンに繋がっているとは。


 最悪と称された意味が何となくわかった。本来であれば世間に知られることなく処理されるはずのものがそういかなくなったのだ。


「とにかくあの事件の時に現れたモンスターが強くて、派遣された魔法師の半分以上が死んだの」

「キミも行ったのか?」

「ええ。でもさすがの私もソロでなんて言ってられなかったわ。雑魚一匹でも手に余る凶悪さだったから」


 八雲クラスでそうなると、どれほどの強さかなんて想像もできなかった。


「私の両親もダンジョンが現実に現れたことが原因で死んだの」

「それが原因で魔法師に?」

「そう。両親の不審な死に方を調べていくと、ダンジョンの存在を見つけたわ。そこで黒業に魔法師に誘われた。まあ思い起こせば全てあの男の手のひらで踊らされていたみたいだけどね」


 黒業の底の見えない闇をまた垣間見てしまった気がする。


「でもそれはよ」

「じゃあ今はどうして?」

「……恩人がいてね」


 八雲は柔らかく、そして切なげな表情になる。


「私が魔法師になってまだ弱かった頃、戦い方を、生き延び方を教えてくれたわ。少しでも犠牲者を出さないようにいつも必死に動き回って。今、新人にダンジョンでの立ち回りを教える慣習ができたのもその人のおかげのようなものよ」


 過去を語る八雲は楽しげでもあり、しかしどこか影もあった。


「そしてその人は他者を守れるくらい強かったわ。でもとあるダンジョンの攻略を、己の命と引き替えに成し遂げて……死んだ」


 カップに付着した水滴が、一つ落ちる。

 淡々とした語り口に少ない言葉、だがその中に八雲の並々ならぬ想いを感じた。


「私は少しでもその人の意志を継ごうと思ったの。全部は無理でも、できるだけ」

「……そうだったのか」


 恩義を感じているのだろう。両親のことに加え、その人物の因果から八雲はダンジョンに残り続けているのだ。


 だがその戦いに終わりはあるのか。

 果てなき戦いに彼女は何を見ているのか。


「!?」


 川蝉がオレンジジュースのカップに手を付けた時、なった。


 緊急を表す赤が点滅する。嫌でも緊張感を絞り出された。

 魔眼の入った左半分の視界が真っ赤に染まった。


 そこには日時だけが記載されている。


『10月23日――ダンジョン出現――立川召集――six』


 奪われた視界にはそのような映像が赤と黒で点滅される。


「来たわね」


 八雲は空になったカップを持って立ち上がった。

 まるで動揺はしていないが、見えているものはおそらく同じだろう。


「これは……」

「現れるのよ、新しいダンジョンが」


 八雲の顔はダンジョンでの鉄仮面にすっかり戻る。

 全てを受け流す冷血なる女帝のオーラがそこにはあった。


「ダンジョン……」


 指定されたのは二日後。黒業の言っていたものもこれのことなのだろう。


 ――優季、待っていてくれ。


 勝負の時が迫る。心臓が躍動し気持ちを爆発させたい気分が緊張の中に芽生えていた。まるで精神を針で刺激された気分である。


 自覚はないに等しい。


 だが川蝉の胸はすでにダンジョンの高揚感に囚われているのだった。

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