狭間の日常⑥

 朝の食事を終えて、川蝉は食器を洗っていた。

 時計は朝の八時を示しており、日も充分に昇っている。


 七瀬は食卓でテレビのニュースを見ていた。


「そう言えば『新宿封鎖』のニュースもすっかり下火になったっすね」

「そんなものだろ。結局、何もわかっていないんだから」

「それが不思議っすよね~」


 七瀬は「む~」と唸り首を傾げた。

 だが川蝉はそんなことはどうでもよかった。


「キミの服はどうする? さすがに妹のではキツいだろ」

「アハハ、ちょっと……」


 新宿封鎖のことなどすっかり忘れ、七瀬は照れた笑いを浮かべる。


 相変わらずサイズが合っていないせいで胸の強調がすごかった。けれど小柄なおかげで川蝉の服だとブカブカになってしまうので、それも困りものである。


「今日は前の家にちょっと戻ってみようと思ってるっす。差し押さえはされてますけど、土下座する勢いで頼めば最低限の洋服とかの生活必需品は返ってくるかもしれないっすし」

「そうか、ならそれがいい」


 差し押さえにも限界があることは川蝉も知っていた。両親のゴタゴタからその手の法律関係に少しは詳しい。


「透さんは?」

「洗濯と掃除をして、夕飯の仕込みをするくらいか。後は昨日行きそびれた本屋に行くかな」


 話しているとテレビはCMに変わる。


 電力会社『エモーショナルエネルギー』のCMだ。タレントの女性が可愛らしいダンスを踊って企業の宣伝をアピールする。


 このCM、日本人なら見飽きたと言うほど、どの局でも曜日時間帯問わず流れていた。時にはチャンネルを変えても同じCMが流れている惨状である。

「い~ねEE♪」


 七瀬がリモコンを操作してテレビの電源を消すのだった。


          *


 八王子の駅前ビルにあるエスカレーターに川蝉は乗った。午後もすぐの時間帯だったので人の姿も疎らである。


 昇っていくと、フロアまるごと書店の階にたどり着いた。川蝉はそこでエスカレーターを降りる。


 取り敢えず参考書のコーナーに足を運ばせてみた。


「…………」


 大検の参考書はうまく見つけられなかった。あれがあると高校卒業程度の資格となるので、その後も便利なのだが、今は知識がなさ過ぎた。


 次に足をマンガのコーナーに向ける。


 妹に対する次なる貢ぎ物を探すためだ。たぶん今、優季はとても不安だと思われる。病状の説明をされているわけではないと思うが、自分の体である優季がそのことを一番わかっているだろう。


 少しでも気が紛れてくれればそれでいい。一週間でも耐えてくれれば、後は川蝉が何とかする。


 七瀬には悪いが、ダンジョンの出現日が待ち遠しい。


 マンガの棚の前にポップが飾られ本が平積みされている。

 たぶんオススメなのだろう。


 ――う~む。


 正直こう言ったものには疎い。いや正確には疎くなってしまった。エンタメを楽しむ時間なんてなかったからだ。


 三年くらい前に流行ったものなら多少はわかるのだが、最近のものはめっきりである。


 考える時間が欲しくて、マンガの棚をうろついた。


 ――あ、これは。


『さばげぶ』とタイトルの少女マンガに目が止まる。


 コンビニでアルバイトをしていた時に、同僚がは熱中していた作品であった。午前の勤務時間にその話をよく聞かされたものだ。


 確かコメディ作品と言う話だったし、その手の作品で大外れはないだろう。

 興味本位にそれに手を伸ばしてみる。


「あっ……」


 手と手が触れ合った。


 隣に全く同じものを取ろうとした者がいたらしい。


 反射的に川蝉は相手の顔を見る。

 相手の方は仏頂面で川蝉のことを食い入るように見つめてきていた。


「…………」


 その顔には確かに見覚えがあった。


 流水のような煌びやかな長い髪に、すらりとしたモデル体型。ダイヤモンドのような瞳をして、外見的には何一つ欠陥のない嗜好の美術品と表現できる。


 無機質な表情で何を考えているか読みにくい反面、その戦闘能力は凄まじい。


「あら貴方――」


 蒼炎使いの一流魔法師メイジ


「偶然ね」


 八雲美雪の姿がそこにはあったのだった。


          *


「買うの、それ?」


 八雲は首を傾げて尋ねてくる。ブラウンのブレザーに、チェックで丈の短いスカートを見ると、どこかの高校の制服らしかった。


「いや興味があっただけだ。買うかは決めてない」

「あらそう。じゃあ譲ってくれないかしら?」

「そうだな……」

「お願い」


 川蝉が悩もうとすると、八雲は目力の強い眼光を浴びせてくる。

 そこまでの熱意に勝てるほど、別に欲しくはなかった。


「わかった。譲ろう」

「どうも」


 八雲は棚からすっと二冊のコミックを引き抜いた。心なしか、上機嫌そうに見える。


「これあんまり最新刊が流通してなくてレアなのよね」

「そうなのか」

「ええ、今日は運がよかったわ」


 ここまで興奮している八雲は初めてである。ダンジョンでの氷のような雰囲気はなりを潜めていた。


 やはり日常に戻れば少し変わった程度で、普通の少女なのだ。

 八雲は二冊のコミックを持って川蝉に向き直る。


「この後、何か予定ある?」

「いやないけど」

「じゃあデートしましょう」


 その意外な展開に川蝉は「あ、ああ」と曖昧に頷くしかできなかった。


          *


 映画なんて見たのは久しぶりだった。

 ただ川蝉にとって、隣に家族以外の女子がいるのは初めてだ。


 二人で見たのは『君の名は』と言うアニメ映画だった。大ヒットらしく、世間の事情に疎い川蝉ですら聞いたことのあるタイトルである。


 八雲の顔を少し覗くと、ぼーっとした表情で映画を鑑賞していた。


 約100分の上映が終わった。エンドロールが全て流れると室内の照明が戻っていく。


 いい映画だったと思う。


 川蝉が隣に座る八雲の方を見る。彼女は相変わらず無感動そうな表情で席に座ったままだった。


「行こうか」


 他の観客が立ち去って行くのでそれに習う必要がある。そう思って声をかけた。


「ちょっと待って」

「?」

「感動し過ぎて、動けない」

「えっ、あ、そうなの」


 川蝉もその発言には動揺してしまった。


 何せ抑揚に欠けた口調も表情もいつも通りなのだ。


 これっぽっちもそんな風には見えないが、きっと感動しているのだ。川蝉も一生懸命やっても周囲からはやる気を出していないように見られがちだったので、たぶんその亜種であろう。


 川蝉は時間に余裕もあったので八雲がよい頃合いになるまで待つのだった。

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